幕間小話 Nightmare after the war

 あれは、素晴らしい日だった。

「有難う、カクトン君。それにソウシ君とキュウィル君も。君たちはこの街キンツェフの、郷里の英雄だ」

 そう言って、順繰りに俺たちの手を握っていったのは、市長だったか。その後ろで父が手を組んで立ち、母は出しなにソファで泣き崩れていたっけ。

「市長、そろそろ」

 そう、馬借が声をかける。ああ、そうだ、やはり市長だった。線の細い初老の、服に着られているような男だ。

「では、諸君の武運長久を願って!」

 それを合図に、集まってくれた皆が肩を組み声を張り上げ、歌を歌う。子供のころから聞いて歌っていた、懐かしの歌。それを背に受けて俺たちは馬車へと乗り込む。

 「やるぞ」と俺、カクトン・ケーリッヒ。

 「ああ」と幼馴染、キュウィル・ネンレルト

 「勿論」と後輩、ソウシ・ヨウシ

 意気揚々、意気軒昂。お互いに顔を見合わせて、俺たちは大きく頷いた。胸元には、首から下げたアミュレットがキラリと光る。軍へ入る俺たち3人の安全を祈って皆が造ってくれた、かけがえのないお守りだ。

 幌の外からは、相変わらず耳馴染みしかない歌が聞こえてくる。すると、ブルルと馬の嘶きの後、ゆっくりと馬車は走り出す。

「おい、見ろよ」

 キュウィルが、そう言って俺の肩を突く。

「アイツら・・・はしゃぎやがって」

 そう、キュウィルが指さす方には多くの友人が集い、横断幕を掲げていた。その大仰な文句に、思わずボッと顔が熱くなる。

「そう言わないで、キュウィルさん。私たちみたいに志願して兵役に出る者が町から出ること、それは町にとって大きな誉れなのですから」

 そう、ソウシが窘める通り、俺たちは志願して軍に入る。伝え聞く限りでは、亜種の侵略はそうとうな速度で迫って来ているらしい。このままでは町が、俺たちが生まれ育ったあの町が戦火に晒されるかもしれない。家は焼け、家族や友人たちは殺し尽くされるか攫われるか。

 そんなことを防ぐため、俺たちは今日、軍に入営する。

 これから王国の首都にある軍本部へと運ばれて、訓練を受け、前線に向かうのだ。

 恐れが無い訳じゃ無い。ただ、自分が戦場で死ぬよりも親しい人たちに迫る危機を見過ごす方が、よっぽど怖い。それはキュウィルもソウシも同じ思いのはずだ。

「カクトンさん」

「ああ」

 ソウシが何を言いたいのかは分かる。振り向けば見える、過ぎ去り行く街並みに思わず涙が零れる。

 あそこを守る。皆を守る。国を守る。それを果たすために、力を手に入れる。

「皆、見ていてくれ」

 誓いを胸に、ギュッと手を握り締めた。


「・・・・・・あ?」

 それは、最悪の日だった。

 戦争が終わり、軍役が解かれ、戦友たちと生還を喜び合った、次の日だ。

「・・・え?」

 俺は、ぼんやりと立ち尽くしていた。

 そこはキンツェフの街、俺たちの生まれ故郷のはずだ。家族と住み、友人と過ごした故郷のはずだ。誓いを胸に旅立った、守るべき場所。・・・そのはずだった。

「お、おい・・・これはどういうこった!?」

 キュウィルが爆発していなければ、俺がしていたことだろう。胸倉を掴まれた、ここまで送ってくれた運転手は息も絶え絶えに弁明を試みている。

「だ、だ、だから、だから言ったでしょうよ!こ、こ、こ、ここにゃもう、な、何も無いって!」

 そう、俺の前に広がるのは、無。ただただ大きな穴の開いた、だだっ広い荒野だ。

「この野郎!」

「止めて下さい、キュウィルさん。この人が悪い訳じゃない!」

「でもよお!」

 後ろで言い争うキュウィルと、それを止めようとするソウシの話す言葉は十分の一も頭へ入って来ない。ドサリと肩から下げていた雑嚢が地面に落ち、開いた口から土産代わりに見せようと思っていた、勲章の入ったケースがコロリと転がり出た。

「ああ・・・ああ・・・」

 それとほぼ同時に、俺の膝も又、地面に落ちた。ガックリと肩を落とし、両手で地面に這いつくばる。顎を伝い、ボタリボタリと涙が滴り落ちる。

「どうして」

 それは、誰に向けられた言葉だったか。

 地に着いた手で、大地を握り締める。辛うじて形を作っていたそれはしかし、握った手の中からサラサラとこぼれていった。


「はあ!?」

 ガバと、カクトンは寝台から飛び起きた。ヌラヌラする汗が額から胸毛から湧きだし、鼓動はバクバクとけたたましいくらいに脈を打つ。

「大丈夫ですか、カクトン」

「ああ、大丈夫だ」

 心配そうに声をかけるソウシに、全く大丈夫そうでない声で答える。

「なら、良いのですが」

「そんなことよりソウシ、例の件は・・・」

「人員については今朝早くに解放戦線の生き残りが我が方へと合流しました。現在、キュウィルたちが身元の確認を行っています」

 サラサラと立て板に水を流すかのように、報告が紡がれる。数年前はカクトンとキュウィルの後を付いて来るだけの後輩だったのに、よくもまあ育ったものだ。

「何か?」

 ジッと、顔を見ていたからだろう。ソウシが怪訝な声を上げた。

「何でも無い。それで?」

「はい。装備についても、各地の支援者より届けられてきております」

「順調だな」

「ええ。先日、帝国農務局が発布した農耕用に鋼騎を使用することを推進するの法、アレのお陰で各地に鋼騎がバラ撒かれましたから。パーツ単位なら、あと10騎分は集めて見せましょう」

 結構なことだ、とカクトンは皮肉気に嘯く。帝国の方針のお陰で、カクトンたちのような反帝国と言っていい勢力の戦力が拡充出来るのだ。これを皮肉と言わず何と言おう。

「しかし、油断はするなよ。今日の移送は?」

「ゲンナールです。・・・心配ですか?」

「ちょっとな。嫌な予感がする」

 彼の経験上、こうも上手く進むときには1度こけるものだ。無論、確証がある訳では無いが、杞憂と笑い飛ばすには嫌な予感が勝り過ぎる。それに加えてゲンナールが咄嗟の機転が利くタイプで無いことも、それを後押ししていた。

「承知しました。では、隊を3つに分けましょう。1隊は予定通りゲンナール、残り2隊をそれぞれグラームスとワツカインに任せます。宜しいですか?」

「良いだろう。ただし・・・」

「分かっていますよ、カクトン。ルート分散と秘匿は徹底させます」

 そうして、ソウシは眼鏡をなおしつつ「では」と見事な回れ右をして、カクトンの元から去って行った。

「・・・ふう」

 そうして、去って行った背中が見えなくなって初めて、カクトンは大きな溜息を吐いた。悪夢にうなされるのは最早日常茶飯事だが、それによって弱音を生じさせる訳にはいかないし、そんな姿を同志に見せる訳にもいかない。

「リーダーは孤独、か」

 あの地獄のような軍生活で上官が世間話のようによくそう言っていたが、今ならその意味も良く分かる。茶化さなければ、責任感で押しつぶされてしまいそうになるからだ。

 そして、彼をその孤独に耐えさせるものはもう1つ。忌々しい、何百回滅ぼしても飽き足らぬ、帝国への憤怒だ。

「・・・あと、数日だ。それであの、アイツらを・・・・・・」

 噛み締めた歯の隙間から漏れ出る、呪詛のような囁き。それは幸運にも誰の耳にも入ることなく、虚空へと溶け消えて行った。


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