第7話 The day before beyond
「あふ・・・」
余りの暇さに、ついついと欠伸が口を吐いて出る。ユーマとしては時間の浪費は忌むべきものだが、現実にやることが無いのではどうしようもない。
それに、ユーマたちはなにも好き好んで怠惰を満喫している訳ではない。
本来の計画では、ノルフィ王国での仕事が終わり次第に乗ってきた飛行機でベーレンまで戻り、報酬と本来は所属と同時に受け取るはずだった移動手段の借り受けを行う予定だった。しかし、それが2つの理由で出来なくなったのだ。
1つめの理由は単純至極、先の仕事にてその飛行機を使わせてもらったことによる。マンティクスにとって予期せぬ使用となったため、本来は2人を本部へ送り届けてから行う予定だった整備作業を現地で行わざるを得なくなったらしい。何でも飛行回数によって小まめに整備を行うことが義務付けられているようで、それがルールとあれば流石にどうしようもない。
そして2つめが、現在も降りしきっているこの地特有の霖雨である。まるで梅雨の雨を強烈にしたような、昼夜を問わずザアザアと降るこの雨だ。それによって滑走路は水浸し、とても離陸なぞ出来たものでは無い。
「甲斐なき繰り言だが・・・」
若し、先の戦闘に飛行機を使用しなければ、メンテも不要だったろう。若し、メンテが不要なら雨に巻き込まれることも無かったろう。若し、巻き込まれなければ今頃はベーレンのマンティクス本部でノンビリ出来てたことだろう。
もっとも、じゃあ代わりの方法を思いつけたかと問われれば、黙るしかないが。
「ええい、止め止め」
いかなる思考ルートを辿っても、最終的に脳内に投射されるのはドヤ顔のセリエアだ。気持ちは良いが、気分は良くない。
「済んだことだ、済んだこと」
そう、議題とすべきは今からのこと。これこの通り、天気が戻るまで現地待機を余儀なくされている現状への対策だ。
流石に格納庫内の小部屋ではあんまりと、外務局が部屋を用意してくれるという話もあった、のだが。
「いえいえ、結構です」
物凄く殊勝な態度で、それでいて頑とセリエアが断ってしまった。エフリードの傍に居たいという魂胆は見え見えだったが、そう言えば「じゃあ、君だけ行きなよ」と言われただろう。
から、黙っていた。
「俺は、ホテル暮らしでも良かったんだがな・・・ま、後の祭りか」
一応、不憫に思った基地側が簡易宿舎を手配してくれたが、それとホテルを比べるのは愚の骨頂だし、用意してもらってのそれは流石に悪い。加えて、ラグジュアリーの手配がある訳無いから着の身着のままで、基地の食堂が使える昼以外の3食中2食は味気ない携行食のみときたものだ。他の職員?当直士官以外はみんな家に帰る。
「ほかほかご飯にあったかい布団・・・・・・良いなあ」
心理的待遇以外では、捕虜や囚人の方がよっぽどいい暮らしなのでは無かろうか。
「しかし・・・本当にやることが無いな」
そう、それが彼にとって1番の問題。思わず日本昔話に逃避してしまうほどの暇。
初めは「セリエアとエフリードの整備でもしてれば暇も紛れるか」と思った。しかし、こんな場末の基地で出来る整備は限られている。事実、あっという間に終わってしまった。整備が終わって「なんてこった」と頭を抱えた経験は、恐らく初めてだろう。
思わぬ余暇に暇を持て余すユーマとは異なり、セリエアは勿怪の幸いとエンジニアらしく図面を引いているそうだ。邪魔をする訳にはいかないし、そもそも彼に女性の部屋を暇つぶしで訪ねるなんて出来る訳がない。
「そういえば、何だったんだろうな、あれ」
確か、整備が終わって2日目だったか。食堂に行こうとドアの外から声をかけたら、開けるなり「ヘタレ!」と面罵されたのだ。
「まあ、良いか。それより・・・この世界の勉強でもするか」
結局、ソフトウェアの勉強かそれの他にやることも思い浮かばない。最早何度目か分からぬ台詞を吐きつつ、借り受けた書籍に手を伸ばす。すると、
「失礼しやすよ」
ノックもそこそこにガチャリとノブを回す音。ギッと蝶番を軋ませて覗かせた顔は、薄ら笑いを貼り付けた20代前半くらいの男の顔だった。
「お前は確か・・・キョウズイ、と言ったか?」
表情に加えて薄紅色の丸い色眼鏡に一つ結びにした長髪と、まるで映画に出てくる中華マフィアのようだ。
「ご明察。それと、施錠くらいはしておく方が良うがんすよ」
装束といい貼り付けたままの笑顔といい、普通なら気味が悪いと感じるものだが、不思議とユーマの心に警戒心は芽生えなかった。
「詳しくは中佐から後で聞いた。何とも災難だったな」
それは恐らく、彼の、と言うよりトーリスからの扱われ方について忸怩たるものがあるからだろう。勿論生半可には死なないという信託あってのことだろうが、勝手に信託された方からすればいい迷惑だ。
「いえいえ。あれくらい、いつものこって」
「だと言われてもな・・・俺たちは危うくお前を殺すところだったんだぞ?」
「まあまあ。結果的に死ななかったんですから、良しとしやしょう。しかし・・・驚きやしたね」
「何がだ?」
「いえいえ。その表情から察するに、どうもあっしのことに憤って下さっている様子で」
そう言うキョウズイの顔は相変わらずのヘラヘラ笑いのままだが、その声音にはどこか感心した風な色が混じっていた。その響きに、彼がどうこうと言うよりは、危うく味方殺しをさせられそうになった事への怒りが大きいとはとても口に出しては言えず、
「フン。それで・・・何の用だ?」
誤魔化し半分に、大きく鼻を鳴らして話を逸らした。
「いえいえ。そんな、お優しい旦那に聞きたいことがありやしてね」
「冗談は止せ。・・・聞きたいこと?」
「ええ。何でも旦那は・・・『渡り人』、らしいじゃないですか?」
その言葉に、ユーマの表情は一瞬強張り、キョウズイとやらの薄ら笑いもその瞬間、コンマ数秒だろうが外れ、色眼鏡の奥で深紅の瞳が物騒な輝きを示す。
「それを、どこで聞いた?」
「お察しの通り、トーリス中佐で」
「・・・人の事をベラベラと」
思わず、悪しざまに吐き捨てる。心の中で、トーリス中佐の信頼度がまたワンランク下がった気がした。
「それでですねえ。『渡り人』、つとに旦那のような立派なお人は前の世界ではどんな風でやしたのか、興味が―」
「悪いがな、昔語りをする気分じゃ無い」
反射的に、まるでびしゃりと鼻柱を打つかのような一方的な断り文句が口を吐いて出た。それでは、何かあると言わんばかりだと言った後に気が付く。
「それにな・・・あんまり、良い思い出じゃ無くてな。スマン」
きわめて冷静を保とうと、何事も無いかのように発した筈の声は、それでも少し上擦っていた。
「・・・そうでやすか。いえいえ、こちらこそ無遠慮な真似を」
しかし気付いたのか気づか無かったのか。再び薄ら笑いを貼り付けた顔は「失礼しやした」と言い残しすと、こちらが何か言う間も無くバタンとドアを閉め出て行った。
「・・・何だったんだ、アイツ?」
ふと視線を窓に戻すと、雨足が少し弱くなっているのか窓に当たるバツバツという雨音も、昨日までの嵐のようなそれから変わったようだ。
(そういえば・・・あの時もこんな雨だったか・・・)
そう、あの時もこんな風に降る雨を、眺めていた。
ザアザアと降る雨は、自分から時間を奪ってくれる。それを見ているだけで時間が過ぎて行ってくれる、そんな雨が好きだった。
そう、あの時も。
「・・・ま!・・・うま!おい、悠真!」
教室の窓から真冬にしては珍しくザアザアと降る雨を眺めていた俺、小女子悠真(こうなごゆうま)は余程雨に心奪われていたのだろう。学友が呼ぶ声に、肩を掴まれるまで気づかなかった。
「ん?何だ」
「何だ、じゃない。いくら呼んでも呆としているから」
「昇天したんじゃないか、てね?」
「縁起でもない、止めろ」
茶々を入れてくる坂崎馨(さかざきかおる)と、それを怖い顔で窘める有藤矩陽(ありとうのりひ)。どちらも悠真には数少ない、大事な友人だ。
「まったく・・・で、どうしたんだ悠真。昼から今まで心ここにあらず、どうかしたのか?」
「そうそう、昼休みにセンセーに呼び出されてから、ずっとそう。あれかなユウ?何か怒られたのかな?」
「馬鹿かお前は。悠真の成績で呼び出しを喰らうなら、お前なんて家に帰してもらえんぞ」
有藤は真剣に、坂崎はふざけ口調ながらも口々に俺への心配を口にする。
「・・・っと、忘れるところだった。はいコレ、ユウ」
「ん?」
「機械工作部の田井中パイセンから。今度のロボコン用にユウが設計したOSだって」
そう言われて思い出した。確か、プログラムを3パターンほど組んでみたので、それぞれ動作確認を依頼していたのだった。
「で、なんと?」
「どれも問題無し。感覚的には2つめのが一番いい感じだから、それをブラッシュアップしてってさ」
そうか、と軽く頷いた悠真は受け取ったMOディスクを学ランの内ポケットに押し込んだ。
「しかし、悠真・・・お前、良いのか?」
「何がだ、有藤?」
不穏な声音に思わず彼を見上げると、その眉間にはクレパスのような皺が刻まれていた。
「先のコンテストも、この間の発表会もだ。どれもこれも、システムを組んだのはお前の筈だろう」
それが?と小首を傾げる悠真に、有藤は眉間の皺を増々深くする。
「なのに、表彰されるのも何かを与えられるのも、何もしていない部のメンバーだけ。員数外のお前には梨の礫だ。そんなことが許されて―」
「良いんだ、それは。俺はあまり、前に出たくないからな」
むしろ、大々的に取り沙汰される方が、悠真にとっては恐るべき事態だ。しかし、有藤はそれを良しと考えてはいないようで、「しかしだ」と食い下がってくる。
「評価は、キチンとされる者が評価されなければならん!断じて、あんなヘラヘラ男では無い、お前が!」
「そこまでにしときなよ、ノリ。みんな引いてるよ?」
思わぬ大演説、それも2年生を差し置いて剣道部の主将に選ばれるほど武闘派のそれだ。チラホラと教室に残っていた学友たちが皆、蜘蛛の子を散らすように帰って行く。
「済まん。しかし・・・若しや、今日先生に呼ばれたのも元気の無いのもそれでは、と邪推したものでな」
「・・・それは関係ない。それより、もうこんな時間か。帰るぞ」
心配は有り難いが、その内容はいくら仲の良い友達にでも言えることじゃ無い。そう言って膝に抱えていた鞄を小脇に抱え直して教室の出口へと独り向かう。後ろでは2人が不審そうに顔を見合わせたが、
「おい待て、そもそもお前をだな!」
まるで背中に追いすがって来る声から逃げるように、優真は下駄箱へと急いだ。
(・・・小女子君、今回の模試も殆ど満点じゃないか。先生も鼻が高いし、お父上も君のような息子を持てて幸せだろう・・・)
(・・・これだけの成績ならどんな進路でも選べるだろうけれど、やっぱりお父さんと同じ道を選ぶのかな?・・・)
(・・・そう、呼び出したのはこの前の進路調査についてだ、君だけ白紙だったからね。勿論先生としては無理強いはしないよ。でも、お父上もそうしてくれることを望んでいるんじゃないかな。まあ、2年生になるまでに決めればいいよ・・・)
(・・・いやあ、いつも助かるよ。ここまでしてくれるなら、いっそ部の正式なメンバーになれば一緒に評価してもらえるのに。それほど恵まれているから、名声欲も無いのかな?・・・)
(・・・調子に乗るなよ、七光り・・・)
「いやあ、もう12月だってのに。こんな長雨、珍しい珍しい。よかったね悠真、大好きな雨が年の最後までたっぷり」
「・・・帰るまでに止んでくれれば、尚良かったがな」
学校からの帰り道、大通りから在所へと向かう道のわきには先日からの長雨のせいで溢れんばかりに増水した川が轟々と流れていた。しかし農業用河川であるからか、氾濫にまでは至らない様子だ。
時折横の車道を通り過ぎる車が飛ばしてくる水が不愉快なくらいだが、この雨模様のせいかそれ程は車通りも多くない。その半面道の整備はおざなりなようで、道の凸凹は大小さまざまな水たまりをこしらえており、優真たちはそれを器用に避けながら進んでいた。
「そうだな、12月。高校入学からあと3か月で1年か」
「だね!2年になれば、そろそろ進路も見えて来る、見えて来る」
「お前はその前に、進級出来るかどうかが問題だろうがな。しかし進路か・・・文系か理系か、まずはそこから・・・おい、どうした優真!?」
進路、その響きに顔が強張ったのだろう。心配そうに有藤が顔を覗きこんでくる。
「いや・・・気にするな、何でも無い」
「気にするさ。どうせ、俺が粗忽者だったんだろう?気を付けるさ、本当に」
その言葉に「この粗忽者!」と飛び掛かった坂崎に押されて、バランスを崩した有藤が盛大に水たまりに尻から着水した。手放した傘も忘れ憤怒の表情で追いかけて行く有藤と慌てて逃げ去る坂﨑を眺めながら優真は、
(進路・・・か)
と、心の中で呟いた。しかし、その言葉と共に甦るのは冷たい父の背中だ。
中学に受かった時も、入学早々の実力テストで全国上位に入った時も、ついこの間の期末考査で学年トップだった時も。ただあの男は顔も見ず「そうか」と言うばかり。
きっと、あの男にとって俺は『それをして当然』の存在なんだろう。弁護士を務める自分からすれば、それはスタートラインに過ぎないくらいの思いなんだろう。そうして、俺も当然、自分と同じ道を選ぶ、そうとしか見ていないんだろう。
(だから・・・見てろよ)
実のところ、悠真自身としては理数の分野に興味が引かれていた。と言うよりは、父親への反発からそちらに没頭するようになったと言う方が正しいか。特にプログラミングやシステム構築といったソフトフェア関係には水が合うようで、昨今著しい機械工作部の勇躍には、殆ど悠真が参画していた。勿論、父には内緒で。
(若し、あの男がそれを知ったら・・・軽蔑するかな)
知らずに、自嘲的な笑みが漏れる。事実彼は帰ってからその父に告げる心算なのだ、「工学系の道に進みたい」と。
それを聞いてあの男はどんな顔をするだろうか。いつもと変わらず背中だけか、それともいきり立って反対してくるか。
「俺は・・・俺はあの男の思い通りにはならない」
自分ならば、あの男の思う通りに従わなくても、どんな道でもやっていける。そんな想像をしていると気付けば、きつく傘の柄を握りしめた右手は真っ白になっていた。
「おーい、おーい?」
そして、その呼ぶ声にハッと前を向けば数十メートルも先に行った2人の姿が見えた。どうやら考えすぎて立ち止まってしまっていたらしい。「直ぐ行く」と返事をして歩調を早めようとした。その時、
『宜しい。ならば、迎えて差し上げよう』
不意に、声が聞こえた。
「え?え?」
辺りを思わず見渡すが、さっきのような声をかけてきたような人は見当たらない。待ちわびたのか、こちらへと向かって来る友人しか目には入らない。
(・・・気のせいか)
はたまた気の病み過ぎかと思い直したその時、不思議なことが起こった。
急に突風が襲い掛かる。台風のような強風に、悠真は傘を持って行かれてはならじとしっかと掴み直す。
「え?」
すると、何という事だろう。
その傘ごと、自分が風に持ち上げられたのだ。高校生としては少々痩せてはいるが標準的な背丈の悠真である。それを持ち上げられるほどの風が吹く筈は無いし、それ程の風が吹いたのなら飛ばされるより早く傘の方が壊れる筈。それが常識だ。
しかし現に自分は宙空におり、足は空を切る。その恐怖に思わず悠真は、傘を掴む手を放してしまった。
「あ!?」
気が付いて傘の柄に手を伸ばすが、後の祭り。伸ばす手は空しく空を切る。
「あ、ああああああああ!?」
ザブン、と耳を包む音から、優真は自分が増水していた川に落ちたことを理解した。茶色く濁り自分を押し流す濁流に抗うべく、生存本能に急かされて何かを掴めと手を伸ばす。
(死ぬ?・・・嫌だ、助けて。助けてよ・・・)
果たして、それは誰に対して求めた救いだったのか。
しかし、現実は非情である。そもそも、人が抗えるような流れでは初めから無かった。鼻から口から、至る所から水が侵入してくる。濁流にもみくちゃにされて視界は二転三転し、優真はそのまま意識を手放した。
『今度の収穫は如何でしたか?』
『上首尾。大漁です』
『それは良き事。では配分はいつも通り、我々が9で猿共が1』
『当然です。いつも通り最も才の無い者を除いて、全ては我々の物。不良品とは言え、分け与えてやっていること自体、慈悲の様なものです』
『左様。先の誅罰の折に反抗する猿共のせいで、我々は多くの手駒を失いました。それの補充も、どうやら』
『ええ。今回の収穫で賄えそうです』
『結構。では、いつか来るべき日の為に』
『ええ。いつか来るべき日の為に』
ゆらゆら、ゆらゆら。気が付くと悠真は、何とも表現しがたい浮遊感に包まれていた。反射的に開けようとした眼は開けられず、息を吸おうと開こうとした口は動かず。
(・・・あ)
その時に初めて、自分が川に流されたことを思い出した。しかし、この浮遊感は水中で得られるものとは違う。それに、あの川はこんな澄んだ水では無かった。
ならば。
(俺は・・・死んだのか?)
これが所謂、死んだ後の世界なのだろうか。それの証左か、よくよく探れば近くに多くの気配が在るように思う。仏教で言うなら、自分たちは今三途の川の畔で奪衣婆を待っている状態なのだろうか。
(死んだ体験なんてした事は無いから分からんが、伝承に添うと言うことはやはり、こういうモノなのか?)
その時、それまで周りに感じていた気配が1つ2つと消えていく。丁度、多くの候補の中から1つずつ選別していくかのように。あまりにも理解出来ない事態の連続に、何とか状況を確かめるべく俺は渾身の力を込めて目蓋を持ち上げようとした。
ようやっと、薄く開きかけた、その時である。
『もうよい、もうよい』
何処からか、うわんうわんと響く鐘の音の様な声が聞こえた。
すると、浮遊感は一挙に消え去る。それと引き換えにやってきたのは息苦しさ。
(!!!苦しい。苦しい。苦しい。苦しい―!)
そのまま、優真の意識は遥かな闇の中へと落ちていった。
「はあっ!はあっはあ!・・・・・・はあ・・・」
ゴホゴホと咳き込みながら、ユーマはガバと上体を起こす。
「はあ・・・はあ・・・はあ」
ぼんやりとだが役割を取り戻した視界には、簡易宿舎の一室だ。どうやら寝てしまっていたらしい。パツパツという雨音は止んだようだが、窓を見ても同じような薄曇りで、時間の経過は分からない。精々が夜ではないことくらいだ。
「今は・・・ああ、何時・・・だ?」
「やあ、ユーマ」
時計の方を見遣ると何故だか、バツの悪そうな顔のセリエアがそこにいた。
「何故・・・ここに?」
「その前に、はい水。凄い声だよ」
起き抜け、それも咳き込みながら飛び起きた起き抜けだ。差し出されたカップを受け取ると、それを一息に呷る。
「ふう・・・すまんな。で?」
「ああ・・・呼んでも返答が無かったからね。しかし暇だからと言って惰眠を貪るのはどうかと思うよ、僕は」
「そうか・・・すまない」
俯き、額にペタリと手をあてる。じっとりと濡らす汗が気持ち悪い。そんなユーマをセリエアはいつになく心配そうに眺めた。
「えらく殊勝じゃないか。それに酷くうなされていたようだけれど・・・悪い夢かい?」
「いや。・・・ただ・・・昔の夢だ。心配させて悪かったな。・・・それはそれとしてセリエア」
「な、何だい?」
ジロリとユーマが鋭い視線を向けると、セリエアはギクリと体を強張らした。それと先の息苦しさ、加えて鼻の違和感とくれば、だ。
「お前・・・鼻をつまんで塞いでいたな」
「し、仕方ないじゃないか!用事があるというのに、酷くうなされているしで・・・ああ!」
そう言ってセリエアは、ワザとらしくパンと柏手を打つ。
「っそ、そうだ!こんな事している場合じゃあ無いんだよユーマ!マンティクスから前に中佐が言ってた移動手段とやらが届くそうだから迎えに来たんだ!だからいいかい、今のことは忘れて急ぎたまえ」
どことなく上擦った声で強引に話を纏め、くるりと背を向けてドアの方へと一目散に向かっていこうとしたセリエアだったが、ドアの直前で「ハア」と息を吐く。
「ねえ・・・ユーマ?」
「・・・ん、何だ?」
てっきり直ぐに出て行くと思い、身支度を整えるため放り出してあった普段着代わりのジャージに伸ばした手が止まる。
「ユーマは・・・本当に戻りたいのかい?元の世界に」
「・・・え?」
「何でも無い。何でも無いよ、気にしない。さあ、滑走路にそろりと来るはずさ。先に行くよ!」
そう早口に言うが早いか、セリエアは乱雑にドアを閉めて出て行った。湿度の高い筈の室内で、バタンという音が不思議と乾いて聞こえた。
「・・・元の世界、か」
気まずい空気が残った室内で、ユーマはそう独り言ちた。
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