幕間小話 A prelude at next battlefield
ざあざあ、ざあざあと、雨が降る。
「・・・凄いなあ」
警戒任務中のビーク・ジガーロフは、ぼんやりと一人呟いた。
深夜、幕が降りたような漆黒の森林にて降る雨は止む気配無く、霖雨と呼ばれるのももっともな降りっぷりだった。特に、生えこびる樅の木々の葉に当たりパツパツと音を立てている様は幻想的なほどで、雨が自分の雨合羽の下にかぶるヘルメットへと当たって頭へと響く不快な音も気にならないくらいだ。
「故郷でも、これだけ降れば、水不足なんて・・・」
雨音と、それに想起された今は亡き故郷へと思いを馳せていたジガーロフは、自身へと呼びかける声に気が付かなかった。
「・・・おい・・・おーい・・・聞こえんのか、そこの兵卒!」
「え?は、はい!?」
怒声にビクリと肩を震わせ、慌てて姿勢を正した彼の目の前には小銃を構えた一団の姿があった。ここまでの接近に気が付かないとは。若し先任や上官に見つかっていたら大目玉間違い無しの大失態に、先までの感傷は吹き飛んだ。
「聞こえているなら返事をせんか、貴様!」
「は、はい!申し訳ありませんでした、曹長殿!」
ただ、一瞬で胸元の階級章を読み解けたのは訓練の賜物だ。その甲斐あってか、「まったく」とそれほど怒った心地では無さそうな曹長は土塁を踏みしめ、彼の元へと歩み寄る。
「どうした、呆として。耳が聞こえなくなったのかと心配したじゃあないか」
「も、申し訳ありません。この雨に聞き浸っておりました。この地ではこれ程までなのですね」
まるで雨を初めて見るような台詞に、曹長は怪訝そうに眉を顰めた。
「ん?貴様は・・・」
「失礼しました。私は数日前にこの地へ増派された援軍でありまして。名はジガーロフ一等兵、出身は大陸中央はツィラノクースクであります」
訝し気にジロジロと睨め回されれば、いくらボンクラに近いジガーロフでも『警戒されている』くらいの察しは着く。ピシリと教本通りに敬礼をしたジガーロフにそれを解いた曹長は、視線を和らげるとポンポンと緊張に強張る肩を叩いた。。
「そうか、あのツィラノ・・・・・・こちらこそ済まんかった。わざわざ来てくれた友軍を怒鳴りつけて」
「いえいえ、気が抜けていたのは事実でありますので。それに私は、いずれは亜種どもに奪われた故郷を取り戻すためと想い、軍にいるのです。至らぬとあれば、遠慮無く指導頂きます方が有り難く思います」
年若い兵隊にそう言われて気を悪くする年嵩のベテランは居ない。合点承知と破顔した曹長はしかし油断なく辺りを見回して初めて「ほう」と安堵の息を吐いた。
「そうか、しかし、貴様がそうして呆けてられた所を見るに敵影は無いようだな」
「ええ。それにしてもこの辺りはいつもこんな風でありますか?」
「ああ。それに、この雨だからな。耳も目もアテにならんときたもんだ。おっと、俺はトゥルヤネン曹長だ。ジガーロフ、先の言葉を聞くに、貴様はこんな雨は初めてのようだな」
ええ、と頷くジガーロフはその嬉しそうな表情も相まって年相応の若者に戻った。
「私の出身地は乾燥地帯ですから、こんないつまでも降る雨は初めてです!雨がこんな風に木々にあたる音が素晴らしいなんて思いもしませんでした」
「数十年前に亜種に奪われた東方森林地帯はもっといい感じで、正しく観光地、だったんだがなあ」
国自体が無くなった自分たちほどでは無いとは言え、やはりここの人たちも亜種に土地を奪われたらしい。ポリポリと頬を掻く、人当たりの良さそうな曹長ですら、その口から零れるのはどうしようもない怨嗟の声だ。
「まったく糞亜種どもめ、大人しく田舎の片隅に引きこもってりゃいいものを。こっちはいい迷惑だ。・・・おっと、スマン。あんまり聞いて面白い話じゃ無いな」
「い、いえ」
滅相も無い、と手をブンブンと振るジガーロフであったが、
「いいんだ。それよりな、雨も良いがもっと北に行けば雪が降るらしいぞ」
「雪!本当ですか!?」
その言葉に、一瞬で表情がパアと明るくなる。若さの特権だ。
「ああ、そこに住んでいる俺の叔父きが言っているんだ、間違いない。よければ案内してやろうか」
「いいんですか!?」
「ここで会ったのも何かの縁だしな。まあ、今回も上層部は大攻勢だなんだと息巻いてはいるが、結局のところ帝国が動かん以上は我が国だけでは何も出来ん。それぐらいの余裕は出来るだろう」
無念さを滲ませる曹長の声を払拭するように、ジガーロフは声を弾ませた。
「あ、有り難うございます。一緒に来た部隊の皆も一度は見てみたいって・・・・・・あれ?何か、聞こえました?」
「いや、何も。何が聞こえた?」
「いやその、何か、甲高い音が聞こえたような気がして・・・すみません」
またやってしまった。そう思いしょんぼりと頭を下げる彼の肩を、何故だかトゥルヤネン曹長はガシと掴んで揺さぶってきた。
「え?そ、そ、そ、曹長殿!?」
「甲高い音?おい貴様、それはどん―」
ヒュュュ――――――――――――――――ィ、ヒュュュ―――――――――ィ。
「・・・?」
「!?」
今度は間違い無く、森の奥から甲高い音が、両者の会話を遮るかのように響き渡った。
「あ、これです。さっき聞こえたのは」
ぽやんとした顔で答えるジガーロフだったがしかし、トゥルヤネン曹長とその部下はそんな彼には目もくれず、堡塁へと飛び込んできた。
「そ、曹長殿!?」
「ジガーロフ、部隊指揮所はどこだ!?」
先程とはうって変わった権幕にジガーロフは声も発せず、あっちです、と退避壕の1つを指さす。すると、丁度良くそこから部隊長が慌てた様子で顔を出した。
「兵卒ども、聞こえたか!?ん・・・おい、誰だ貴様らは!」
「失礼、我々は隣の堡塁を守っているノルフィ王国軍第十二歩兵大隊所属、私はヒューゴ・トゥルヤネン曹長と申します。指揮官殿で?」
「第7派遣隊隊長、ミハイル・ロフスキー大尉だ。さっきの音は、やはり・・・」
「『セイレーン』、間違いないでしょう」
断固と言い切った曹長の言葉に、ロフスキー大尉は思わず天を仰いだ。
「そうか、ああ糞!総員、戦闘配備。仮眠中の連中も叩き起こせ!」
ガンガンと非常時を告げる為の鐘の音代わりのバケツを当直士官が荒々しく叩くと、さっきまでは静かだった堡塁はたちまち蜂の巣を突いたような騒ぎに包まれた。
敵襲。そう、これはジガーロフにとって初めての、敵襲だった。
「対熱源探査、どうなってる?」
「確認しています・・・・・・左方に高温の反応あり、魔導炉とは断言できませんが、少なくとも野生動物なんかじゃありません!数2、3・・・あ、その内1つがこちらに!」
「間違いないな、『セイレーン』だ。曹長、貴官らは自身の堡塁へ戻られよ」
その申し出にヒューゴはしかし、「有り難いお言葉ですが」と断りを入れ、フルフル首を横に振った。
「恐らく、その他2つが我々の堡塁へと向かったのでしょう、今からでは間に合いません。どうかここで、助力させて頂きたく。・・・それに『セイレーン』が近づいて来ている所をうろちょろするより塹壕内にいた方が生存率は高いですからな」
「・・・感謝する。投光器、作動どうした?」
やってます、と返ってくる以上、練度は水準以上なのだろう。しかし、トゥルヤネンがふと目を横にやると何をするでも無し、手持ち無沙汰におろおろするジガーロフ一等兵が目に入った。
「ロフスキー大尉殿、あちらの銃座をお借りします」
それだけ言って、ヒューゴはずんずんとジガーロフの元へ向かい一喝する。
「ジガーロフ!貴様、何をやっている!貴様の部隊は何処だ!?」
「あ、ああ。あっちです」
そう言って指さすのは正に鉄火場、大尉指揮の下で様々な命令が飛び交うグラウンドゼロの向こう側。とてもこの若者に突っ切って行く度胸はあるまい。
「止むを得ん、貴様の身柄は一時的に我が隊で預かる。そこの銃座に据える機関砲を取って来い」
「は、はい!」
「それにしても・・・幾ら長雨だからと言って銃座から外しておくとは、まったく」
たるんどる、とまでは言わないのは、遠路はるばる援軍に来た彼らへの最低限度の遠慮からだ。
わたわたと退避壕へ武器を取りに行ったジガーロフを尻目に双眼鏡を構えるが、生憎の雨模様のせいもあり森の奥は何一つ見えない。
「照射準備完了!」
「よし、照射!」
まったく、間の悪いことはあるものだ。起動した投光器の明かりが彼が見ていた森の奥を照らし、不意に発生した光は不幸にも双眼鏡を通して彼の目を焼いた。
「うっ!」
「だ、大丈夫ですか隊長殿?」
「大丈夫だ、問題無い。それより機関砲は?」
「今据えています、射手は誰を」
いまだ目が眩んだ状態のトゥルヤネンでは無理だ。1つは部下を充てるとして、記憶では銃座は2つあった筈。
「ジガーロフ一等兵、貴様は機関砲の操作経験は?」
「は、はい。あ、あります!」
なら、是非は無い。
「ならば、貴様がそちらの機関砲を使え。もう一つは我が隊で使用するが・・・ケイとカアンは装弾を手伝ってやれ!」
「敵影確認!」
矢継ぎ早に出した指示に従い部下たちが配置に着けた、その時だ。その報告にようやく視界が戻って来た目を向ければ確かに、木々の向こうに明らかに人より大きい動く影が見える。
「そ、曹長殿。あ、あれが―」
「そうだジガーロフ。あれが『セイレーン』、亜種どもに味方して、俺たちを侵す鋼鉄の化け物だ。しかし・・・どうやって入り込んだのやら」
「泳いで来たのでは?」
馬鹿モン、とジガーロフの頭を叩きそうになって、ヒューゴは彼が異郷出身であることを思い出す。流石に、知る由も無いことを知らないことは罪ではない。
「残念だがな、ここいらの湖は阿呆みたいに深いから、いくら鋼騎と言えど脚は着かん。それに、あんな鋼鉄の化け物が浮くものか」
だが、そのお陰で皆の緊張が良い具合に解れた。
「しかし、大きい。あんなもの、どうやって―」
「兎に角、近寄らせるな。発砲開始!」
ヒューゴが命じるのと共に、恐らく他の銃座でも同様の判断が下されたのだろう、数多の地点から火線が延びる。10発に1発の割合で混ざる曳光弾が、闇夜に光のレーンを切り開いて行く。
忌々しい亜種どもの技術だが、それを帝国のエンジニアとやらが解析して常人のモノにしてくれた御蔭でサーチライトやバッテリー、この機関砲のような対抗手段が使える。・・・もっとも、相手のセイレーンもそのエンジニアの手によるものだろうから、素直に感謝する気にはならないが。
「どうだ!?」
「命中弾、見受けられず!」
しかし、あちこちから伸びる射線は標的に掠りもしない。どうやら小癪にも木々の隙間を巧みに動き、それを使って弾を防いでいるようだ。
「あ、あああああ、当たらない!」
「情けない声を出すな!」
「伝令!こちらの銃座は射撃を継続、兎角敵を近づけさせぬように、と!」
曰く、複数の銃座から順繰りに射撃を行い、時間を稼ぐ作戦だとか。
「承ったと伝えてくれ」
しかし、伝令兵の背中を見送りつつ、「難しいだろうな」とヒューゴは内心で呟いた。
基本的に、堡塁の防衛用の銃座は通常、敵が進行しやすい開放地へ火力を集中出来るよう設けられているものだ。対して敵はどうやったのか、湖沼地帯を踏破して進行してきた。故に、向けられている火線は多いが弾幕はキルゾーンには程遠い。
「だからこその時間稼ぎ、か」
時を稼ぎ、中央に温存されている虎の子の鋼騎部隊が出撃するまで粘る。それが彼らに出来る、現状の精一杯だ。噛み締める唇が破けたか、ヒューゴの口腔内に鉄臭い味が広がる。
「うお!?」
ドオン、と大きな爆発音が響いた。続いて塹壕を伝って衝撃波と巻き上げられた塵がヒューゴたちの銃座へと押し寄せる。
「ゴホッゴホッ!どこがやられた!?」
「し、司令部付近と!」
最悪だ。不利な状況下で何とか敵を押し留められていたのは、ロフスキー大尉の的確な指揮があってこそ。それが失われた今、各砲座はてんでバラバラに射撃を繰り返す存在に成り下がってしまった。敵からすれば、そんな散発的な射撃は射点を報せてくれる目印でしか無い
それを証明するかのように、敵からの射撃は堡塁の銃座を効率的に潰しているようで、だんだんと走る火線の数も射撃音も少なくなっていた。
「止むを得ん、射撃中止、身を隠せ!」
「何故でありますか?」
「逃げたかやられたように思わせる、云わば死んだふりだ。銃座が沈黙したと勘違いした敵が堡塁に乗り込む瞬間を狙う、それしかない」
尚もグリップから手を放そうとしないジガーロフを叩き伏せつつ大声で命じた時、ジガーロフの頭があった所へ火線が走った。
「畜生め!機関砲は無事か?」
「も、持ってます」
手を放そうとしなかったのが奏功したか。どうやら機関砲ごと引き摺り倒したらしく、敵に反抗する数少ない手段の1つは損傷無くジガーロフの手の中。
「ふふん。ツイとるな、貴様」
その幸運の一方で、はす向かいの陣地が派手な爆発音の後に沈黙し、敵味方両方の火線はピタリと止んだ。
「他の銃座は全滅したか・・・馬鹿、頭を出すな。敵はまだ様子を伺っている筈だ、動き出したらやるぞ」
さっきまでとは打って変わり静まりかえった戦場に、唯一響くのは『セイレーン』の時折発する甲高い音のみ。他の味方はどうなったのか、自分の本来の分隊仲間は無事なのか、そんな事を考える余裕は今のジガーロフには無い。
ただ祈りを捧げつつ、トゥルヤネン曹長からの命令を待っていた。
(ああ、神様・・・お助け下さい)
そして、その機会はやって来た。しばらくは様子を伺っていたらしい『セイレーン』とやらも攻撃のこないのを感じ取ったか、先ほどの動きとはうって変わったノソノソとした動きで森林を抜け接近してくる。
そうして森を出て、堡塁に張られた形ばかりの防壁をえんやと踏みつぶそうとした、その時。
「今だ、撃て!撃ちまくれ!」
曹長からの命令で再び火線が走る。間違い無く不意を突いた一撃のはずだが、それでも余程敵は勘が良いのか、弾の殆どは空しく空を切る。
しかし、祈りの結果かはたまた偶然か、ジガーロフの放った弾丸は左足の装甲板らしきものを吹き飛ばした。
「あ、ああ、当たった。やったぞ!」
幾ら化け物だろうと足がやられては動けまい。あとはカモ射ちだ、弾が切れたためカートリッジを交換しようと懐へ回した手を、何故かトゥルヤネン曹長が掴む。
「へ。そ、曹長殿?」
「何をしている馬鹿野郎!逃げるぞ」
「し、しかし、敵は足をやられて―」
キイィィンと耳障りな機械音が響き、1条の火線がジガーロフの眼前を横切った。
「は?」
目を音源の方へ向ければ、ジガーロフが吹き飛ばした筈の足でノシノシとこちらへ向かって来る『セイレーン』の姿。
「わ、私は当てたのに・・・曹長殿、どうしてです?」
しかし、その問いに答える味方はいない。何れも同じ、言葉を発せぬただの肉塊に成り果てていた。そういった意味で言えば、ジガーロフは最期までツイていたのだろう。
しかし、だからどうする。味方は無く、弾は空っぽで、何よりジガーロフからは筒先を向け近づいてくる鋼鉄の悪魔に反抗するガッツは失せていた。ほんの数十分前にトゥルヤネン曹長へ語った理想が、今は酷く遠いところに思える。
「嫌・・・嫌だ、そんなの」
絶望にがっくりと膝をつくと、パシャリと泥水と血が混じり合った液体が撥ね軍服を汚す。
「ああ、あああ。神様、助けて」
残念なことに、その祈りが通じることは、遂に無かった。
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