32. 『さん』付け

 ノルンの暴走を一先ず抑え、その場の空気に落ち着きが戻った頃。



「アースさん。」


 クレアが意を決した。



「はい。」


 クレアに初めての名前で呼ばれたアース。


 しかも『さん』付け。



「…わたくしは…わたくしには何も無いのでしょうか?」


 意味不明なことを言い出したクレア。



「はい?」


 (なんのおねだり?)と思うアース。



「ノルン様の子孫であるわたくしに長寿になれる可能性は無いのでしょうか?」


 クレアは長寿になりたいらしい。



「長寿になりたいとお思いなのですか?」


 正直に言えばクレアが面倒なことを言い出したと思っているアース。



「はい、ノルン様をこれからもずっと支えたいのです。」


 クレアからすれば以前から考えていたことを口にしている。


 知り合って直ぐに感じたノルンが持つ孤独を少しでも和らげることができないだろうかと。



「クレア…」


 ノルンもそれは感じていた。



「ノルン様の寿命が尽きたなら同時にわたくしの寿命も尽きて構わないのです。」


 無理は承知のクレア、感情を吐き出したら止まらなくなってしまった。



「でも、クレアさんに秘術を施した痕跡はありません。」


 とアース。



「存じています。でも…」


 涙目のクレア。



「クレアさん…」


 クレアの気持ちを察したアース。



「でも、もし、アースさんの術が失敗していたら。」


 両手を胸の前で強く握り俯くクレア。



「………」


 失敗などあり得ないのだがクレアからすれば尤もな気持ちだろう。



「あっ、アースさんには失礼なのですが、考えずには居られないのです。」


 アースの方に顔を向けたクレア。


 目に溜まっていた涙は頬を伝っていた。



「なにを、ですか?」


 とアース。



「この術がもし失敗していたら、ノルン様はまた何千年もお一人で手がかりを探して…」


 クレアは言葉を詰まらせる。



「クレア、ありがとう。」


 ノルンもクレアの気持は嬉しく思っている。



「でも、辛いです、寂しいではありませんか。」


 クレアも無茶なことは分かっている。


 だが、止められない。



「クレア、いいんじゃよ、本当にありがとな。」


 クレアに諦めるように促すノルン。



「でも…」


 少し落ち着きを取り戻すクレア。



「儂と少しでも長くおりたくば、身体をいたわり鍛えよ!体術は得意であろう。」


 空元気を見せるノルン。



「クレアさん、残念ですが私は人の寿命を変えることはできません。」


 嘘だ。


 アースにとって人の寿命を変えることなど造作もない。


 自主規制をするかしないか、ただそれだけだ。



「………」


 シュンとするクレア。



「ですが、少し診ましょうか?分かることが有るかも知れません。」


 アースは自分が今行おうとしていることが、ただの自己満足だと分かっている。


 でも…



「…はい。」


 気休めなのは分かっているがアースの優しさを受け入れ診てもらうことにしたクレア。



「いえ、脱ぐ必要はありません。」


 急いで止めるアース。



「………」


 涙目のまま顔を真っ赤にし脱ぎかけた服を直すクレア。



(乗りかかった船だ)


 アースの感情は複雑だった。



「世話になったな。」


 ノルンが分かれの挨拶を切り出す。



「いいえ、礼を言うには少し早いです。」


 アースはあくまでも、成功を判断できるのはまだ先と言う。



「………」


 クレアはまだ元気がない。



「そうじゃな、先ずは女児が産まれたらまた知らせに来よう。」


 ノルンも成功を確信してはいるが、術の継承が済むまでは油断できない。



「そうですね、その後は娘さんが百年以上健在だったらまた知らせに来てください。」


 何となく言ったアース。



「えっ!!!」


 寿命を意識していないアースの発言にクレアの直感が反応した。



「お主は死んでおろう。」


 ノルンはアースの冗談と判断。



「そうでした。クレアさんも体術は続けてください。」


 失意のままお別れするクレアを気遣うアース。



「ええ、長生の秘訣ですね!」


 クレアはアースが長寿の術を施してくれたと判断した。



「はい、筋力の衰えを抑えることが大切です。」


 アースはクレアの直感など知る由もない。



「分かりました…」


 泣き出したクレア。



「???」


 アースは全く理解できていない。



「どうした?クレアよ?」


 ノルンの訳が分からない。



「いいえ、何でも…行きましょうノルン様」


 この時クレアの中でアースは神の使いになった。



「おお!またな!アース。」


 とノルン。



「ごきげんよう。アース様」


 会心の笑顔をアースに向けるクレア。



「アース様?」


 急な『様』付けに驚くアース。





 二人と分かれアースはあることに気付いた。


(秘術の石を無効化しておきたいなぁ。)



 丹田の辺りに置いて一晩すると可笑しな魔力が体内に常駐する石。


(どんな仕掛けだよ!物騒で仕方がない…他にもあるのか?そんな物?)


 嫌な感じがするアース。






 アースと分かれ王都の街を歩く2人。



「どうした、クレア?泣き出したと思ったら急に元気になりおって。」


 ノルンが不思議に思う。



「アース様は神が遣わされた天使様ですわ!」


 クレアが正解ではないが、かなりいい線の仮説を述べる。



「あハハハハハ!奴が天使だと!」


 アースの天使姿を想像して爆笑するノルン。



「アース様は既に長寿の術を完成させておいでです。」


 クレアはまたしても正解を言い当てる。



「アース様?」


 ノルンは『様』付けの方が気になった。



「ノルン様のお子様が百年以上ご存命でも、逢いに行けばどこかで生きていらっしゃいます。」


 これも正解を出したクレア。



「これで何も起きなければ、飛んだペテン師じゃがな。」


 ノルンはあくまでも冗談として対処する。



「『娘さんが百年以上健在だったらまた知らせに来てください。』と仰っておりました。それが証拠です!」


 証拠になっていないクレア。



「憶測以下の証拠じゃな。」


 とノルン。



「ノルン様への術も成功しているはずです。」


 クレアの言うことが怪しい宗教の信者のようになってきた。



「そうだと良いな。」


 ノルンの目は遠くを見ていた。



「成功しています。天使様なのですよ!」


 洗脳されているような発言をしだしたクレア。



「クレア、奴に何された?」


 本格的に洗脳されたと思い始めたノルン。



「長寿の術を施して頂きました。」


 クレアは本気で信じていた。



「………」


 ノルンはクレアの心が壊れたかと心配した。

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