20. 行かないで

 翌朝。


 アースは昨夜、ロイドと話した内容をエルルとカーラに伝えた。


 エルルとカーラがレストランへ移動すると、アンナがいつも通り起きて朝食を作ろうとしていた。


「やだ、手を怪我していますわね。」


 カーラの迫真の演技、エルルにはまねできない。


「起きたらなぜか怪我していて。」


「アハハ、寝ぼけ過ぎですわ。お父様は?」


「父さんもなぜか怪我していて……」


「そう、いいわ!今日はわたくし達で作ります。」


「何かあったの?父さんまで怪我なんて……」


 母のアンが怪我をした時も、アンナの手は傷だらけだった。その記憶で不安になる。


「心配しなくても大丈夫ですわ。」


「うん。」


「朝食を作りますわ。」


「できることがあったら手伝うね。」


「お願いするわ、まずはエルルを呼んでくださる?」


「私は要らないってこと?」


「休んでいなさいと言うことですわ。」


 アンナはこの日の朝食をロイドの部屋で親子水入らずで摂った。







 朝食後、景色の良い高台で涼を取るカーラ。


「カーラ、ここにいたんだ。」

 アンナが声を掛ける。


「アンナ。」


「ここの景色いいでしょう。」


「ええ、湖がとても綺麗ね。」


「私も休憩の時によく来るの。」


「あなたを見かけて、わたくしもここを知りましたのよ。」


「お母さんと沢山遊んだ場所なの。」


「そうですの。」


「………」


「身体はもうよろしいの?」


「身体はね。でも………」


「………」


「………うぅ…」


「………」


「私が…私が……お母さんを…うぅ………」


「………」


「……ぇぐっ…」


「………」


「………」


「アンナ、大丈夫と言ったでしょう。もういいの。心配は要らないわ。」


「………………お母さんみたい。」


「なんのことかしら?」


「そう言えば、お母さんが見つかった時もそばにいてくれたね。」


「そうでしたか?」


「お母さんって呼んでいい?」


「お断りします。」


「お母さん!」


「ダメだと言いました。」


「お母さん!」


「3歳しか違いませんのよ!」


「えっ!」


「知りませんでしたの。」







 夕方、アースはレストランでお茶を楽しんでいた。


 レストランの扉が開き村長が入ってきた。


「やー、アースさん、だいぶ遅くなりましたが、現場検証、終わりました。ご協力感謝します。」


「いえ。」


「で、ですね、泥出しなんですが、捜査に必要だったので私等でやってしまったのですよ、やり方は昨日教わっていたので、あれでいいかと思います。中にあったものは一つを除いて一箇所にまとめてあります。」


「一つを除いてですか?」


「ロイド、心当たりが無かったらアースさんに渡しておいてくれ。」


 そう言い残して、格好つけて立ち去る村長。




 ロイドが必死に涙を堪えていた。

 指輪を握りしめて。







 と、村長が慌てて戻ってきた。


「どうした?お前、その顔。」


 昨夜のことを村長は知らない。


「いや、転んだ。」


「そうか。」


 首をひねりながら帰る村長。







 その日の深夜。


「アンナ。」


 アンナが寝ているベットに、アンが腰を掛けている。


「お母さん。」


 ぼんやりとした温かい感覚で目を覚まし、なぜか母が他界していることをアンナは忘れている。


「寝顔はいつ見ても子供のままね。」


 額を撫でながら愛おしい気持ちが溢れている。

 アンの顔の左右には一つずつぼんやりと淡く光る物が浮いている。


「フフ、やめてよ。」


 身体を起こすアンナ。


「アンナ。」


 愛おしくてたまらないアンは、アンナを強く抱きしめる。

 光る物がアンナに接触しないように動く。


「苦しいよ。」


「どう?お父さんと仲良くしている?」


「もちろんよ。どうして?」


「たしか……アンナが8歳の時よね、お父さんが出稼ぎから帰ったのは。」


「そうね。」


「あなた、ずいぶん…戸惑っていたわね……」


「うん。」


「………」


「まだ……少し……」


「……そう……でも、大丈夫。アンナ、あなたは何も心配しなくてもいいの、あなたは何も悪くないわ。」


「父さん、凄く良くしてくれるのに………」


「コラ、言ったでしょ心配はいらないの。」


「でもぉ。」


「お父さんとのことは、必ず時間が解決してくれるわ。」


 アンが再び強く抱きしめる。


「………」


「悪いのは私なの。」


「そんなことない!そんなことないよ!」


「違うのアンナ…」


「違わない!…私がお母さんを追い詰めて!苦しめて……あぁ………」


 アンナは、今ここにいる母がこの世の存在ではないことに気付く。


「………」


「お母さん!お母さん!ごめんなさい、ごめんなさい、だから……ねえ……帰ってきて……帰ってきてよぉ……あぁ………」


「アンナ、アンナ、聞いて、違うの。」


「いやよ!帰ってきてよ………」


「アンナ。」


「………」


「アンナ。」


「……なに?」


「聞いてくれる?」


「うん。」


「本当なの、悪いのは私。」


「………」


「大人はいい事も悪い事も沢山するの。」


「………」


「でも、その時はそうするしかないと思ってしまうの。」


「どういうこと?」


「私がいなくなるしかないと思ったの。」


「………そんなこと……ないよぉ……」


「泣かないで……アンナ……泣かないで……」


「だって………」


「私が悪いの………あなたも気付いているでしょう、もう一人のあなたに。」


「………」


「もう一人のあなたを作り出して、その子に押し付けないと、あなたは耐えられなかったのね。」


「??」


「ごめんなさいアンナ。」


「………」


「その子を連れて行くわ。」


「お母さん??」


「………その子を連れて行くと、押し付けていた物があなたに返ってくるの。」


「お母さん??」


「そうなっても私を許して欲しい……なんて………」


 アンがアンナの頭にかざした手を引くと淡く光る物が現れアンナからアンの顔の横に移動した。


「行かないで!!」


「でも、いつか許してくれると嬉しい…かな。」


 悲しそうな笑顔で消えるアン。




「ヒッ!」


 もう一人のアンナに押し付けていた物が流れ込む。


 痛み、苦しみ、悲しみ、父にしたこと、母にしたこと、全てが欠落していた記憶に結びつき容赦なくアンナの心を傷つけた。


「ああああああ!」


 アンナの顔が見る見る紅潮する。


「あああ…あのクソババァァァァ!」


 ちょいワルアンナが誕生した。






 翌日の朝。


 アンナが目を覚ます。

 昨夜のアンの告白を思い出し呆然とする。


 もう一人のアンナから受け取った記憶は今も耐え難いほど酷いものだった。


 あれが事実なら自分も母も到底許せない。


「夢?」


 大きくなったアンナは夢を見たことにした。


 アンはもういないし、アンが生きていると思って少しの間話していた。

 あり得ない。


(お母さんの遺体が見付かったから、こんな怖い夢を見たのね。)


 身支度を整えてレストランへ向う。


 ロイドが朝食の準備を始めようとしていた。


「おはよう、お父さん。」


「おと……」


 普段は『父さん』と呼ぶアンナが初めて『お父さん』と呼んだ。

 『お』が付いただけ、だが気にしていたロイド。


「お父さん。」


「えっ、あぁ。」


 ロイドに抱きつくアンナ。

 これも初めて。


「お父さん、大好き!」


「お父さんもだよ、アンナ。」


 絆創膏と包帯だらけの二人が、極ありふれた親子のハグをしている。

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