後ろめたさ
ムラサキハルカ
Caché
※
後ろめたさというのはどこからやってくるのだろう。
/
俺に隠してることがあるんじゃないか。
ある夜の恋人からの睦言。私の頭の中に、道端で魚の目をして転がっていたお兄ちゃんの姿が浮かんだ。
なにもないよ、と応じて、ほんとか、と乳房を揉まれてその時はおさまった。その時は。
/
恋人はその後も度々、隠し事はないか、と尋ねてきた。その度にないと応じたけど、お兄ちゃんに背を向けて息を切らして走った時の感覚が蘇って動機が激しくなった。
番の男の目は私が否定するたびに疑いの色を増した。
そんなに私の答えは不自然に見えるのだろうか?
/
何でそんなに疑うの?
ある日、堪らなくなって、恋人に聞き返した。既に婚約も済ましてるだけに、心から安心できない状況は耐え難かった。
とはいえ、その気持ちは向こうも同じなのだろう。神妙な顔で取りだしたのは、スマホだった。
画面内には私の名前と、あの女は卑怯者だ、聞いてみればわかる、との旨が記されていた。
心当たりはある。とはいえ、口にするつもりはない。
こんな怪文書と私、どっちを信じるわけ?
何度も送られてくるし、それに明らかにお前のことを知ってるやつだよ、これ。
恋人が画面内に示したのは、子供の頃の写真と、それに対する状況説明だった。
市民プールに行った、裏山にカブトムシを取りに行った、隣町のショッピングモールに行った。
記憶にあるかぎり、写真と説明に齟齬はない。気味の悪さは増したが、犯人は絞られた。
なあ、ほんとになにもないのか?
しつこいなぁ!
声を荒らげて応じながらも、頭の中には警察に連れて行かれる幼馴染の男の子の姿が浮かんでいた。
/
久しぶりに帰った地元は、かつてより寂れている気がした。家族と一緒に町の方へ越してから何年も経っているせいか、記憶よりも大分こじんまりしている。
田んぼ脇の土の道を歩いてる最中、見知った顔をみつけた。かつてご近所に住んでいた中年女性だ。大分、良くしてもらったおぼえがある。年月の積み重ねのせいか、大分老けたように見えた。懐かしくなり、お久しぶりです、と挨拶をしようと口を開こうとしたところで、
余所もんか?
あからさまに敵意の籠もった声をかけられるのと同時に、胡乱げな視線が突き刺さった。
そりゃ、覚えていないか。腑に落ちると同時に、悲しくなる。
はい。ぶらぶら旅の途中でして。
知り合いだと名乗る気も失せて、愛想笑いを浮かべる。
なんもないとこにご苦労さんだなぁ。
嘲るような口ぶりに、もう私は余所者でしかないんだな、と実感する。誰も覚えてないのだと。
けれどもあの文面と写真を送ってくるやつは覚えているのだ。
/
意外と覚えていた道を辿った先、記憶よりも大分さびれた小屋をみつける。
チャイムがなかったので扉をノックする。
大分時間が経ってから、どうぞ、と鈍い声が返ってくるのに合わせて扉を開く。
ダブルベッドと机以外、ほとんど何もない殺風景な部屋の中。眼鏡をかけたひょろひょろの男性が座っていた。大分、姿かたちは変わったが、面影はある。
どなたですか?
穏やかに尋ねてくる男に、少しだけ迷ってから、お久しぶり、と口にしてから名乗った。
男は小さく瞬きをしたあと、
君かぁ。
感動少なめに応じた。
こいつがあの文面を送ってきてるわけじゃないのか? 疑いが薄れかけたものの、ねえ、と尋ねる。
なんだい?
近頃、私の恋人宛に、昔の私の写真が送られてくるの。
大分ぼかした物言い。しかし、眼鏡の男はそれだけで察したらしく。
僕が犯人だって言いたいんだね。
遠回しにしようとしていた追求を先取りした。私が黙っていると、
なんで僕? 今の君がなにをしているのかも知らないのに、恋人なんて知るわけないだろう。
いかにも心外だといった風に正論を口にしてくる。けれども、
どの写真にも写っているのはあなたしかいなかったから、
全てを知りうるのはこの男だけ、というのが、私の中で絶対的な根拠としてある。なによりも、この男には動機があった。
そうやって、また僕に全てを押し付けるんだ。
ぐさりと後ろめたさの楔が胸に刺さる。
お兄さん殺したのは僕じゃないって知ってたはずなのに、かばってくれなかったよね。
淡々とした言葉は、
言ったら、ただじゃおかない。なんなら、生贄を出せ。
かつて、魚みたいな目をしたお兄ちゃんの傍らで、囁きかけてきた女の声を頭蓋の中に響かせる。走り逃げたあと、どうしよう、と思っていたところで、かつて男の子だったこの男に疑いが向いた。ちょうどいいと思って庇わなかった。
あの後、僕は釈放されたけど、家族ごと村八分。耐えられなくて、僕以外離散だ。それに引き換え、君は随分と幸せそうだねぇ。
強い妬みが籠もった一言に、
やっぱり、あなたなの?
などと応じてしまう。復讐、というあまりにもお誂え向きな理由が、私の疑いを逸らさなかった。
男は蔑むような目つきをしたあと、
違うと言っても、君は信じないんだろうね。
絞りだすように告げた。
もう、やめてよ。できることならするから。
これ以上、私の生活をぐちゃぐちゃにされたくなかった。
君にしてもらうことなんかないさ。吐き気がする。
シッシッ、と振り払うように掌で指し示す。
お願い、したからね。
念押しをしてから小屋の外に出る。
帰り道、何人かの中高年の男女に胡乱げな眼差しを向けられたり、若い女性に鋭い視線を注がれたりしつつ、はたして、私の行為に意味はあったんだろうかと考え続けた。
※
一月ほどあと、幼馴染の眼鏡の男が殺されたことを全国ニュースで聞いた。不謹慎ながらも、ホッとした私は恋人との結婚に臨んだ。
しかし、結婚後も夫に怪文書と写真は届き続けた。私を嘲笑うみたいに、亡くなった眼鏡の男が写ってない写真なんかも添えて。犯人がわからないまま、
本当に何もないんだな?
嫌になるくらい疑わしげな目を夫に向けられる毎日。
ないって言ってるでしょ!
叫べば叫ぶほど、自分が醜いもののように思えて、毎日がしんどくなっていった。
怪文書は今も定期的に届き、その度に新居には罵声が響き合っている。
後ろめたさ ムラサキハルカ @harukamurasaki
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