第5話
――それが最後のループになった。
女の正体は彼らの考えた通り、蒼維の故郷世界の人間だった。
だが、違っていたこともある。
「彼女は兄の刺客じゃない。むしろ、ぼくの支持者でした」
落ち着いてから、蒼維は説明してくれた。
「転生のことを知った彼女は、思ったんです。ぼくがこちらで死ねば、また元の世界に戻ってくるんじゃないか、と」
「は」
セツロはぽかんとした。
「無茶だ」
もぐりの転生屋が嘘八百で彼女を騙したのか。それにしても、支持する相手を殺そうとするとは。
「彼女はどうなります。何か処罰を?」
「僕らが罰するわけじゃありませんが、ひずみの原因になったので、何かしらの罰は受けると思います」
タイムパトロールはそこを見逃さないはずだ。
「ですが、そんな酷いことにはならないかと。諸々忘れてもらったあと元の世界に帰してもらえるでしょう」
人がいなくなれば世界の綻びが増える。それは誰も望まない。
「ところで」
こほん、と蒼維は咳払いをした。
「架凛さん」
「ハ……ハイ」
推しに目の前で名を呼ばれた彼女はガチガチになっていた。
「大変な苦労をしてくれたんですね。申し訳なかった」
「なっ、いやっ、そんなっ、ソーイくんのためだったら何でも!! やめてください頭なんて下げないで!!」
「ソーイさん、謝罪よりお礼の方がいいと思いますよ」
「ああ、そうか。……ありがとう」
極上の笑顔が向けられ、手が差し伸べられた。架凛は体中真っ赤にしながら、彼女だけの握手会を体験した。
――どうしたものか、とセツロは迷ったが、ある程度の裁量は彼に任された。
蒼維が雑事のために去り、架凛とふたり残った楽屋で、セツロは口を開く。
「覚えていたいですか?」
「え」
「あなたは心が壊れるほどの体験をした。記憶もあやふやなことが多いでしょう」
「……はい」
「僕らのシステムを使えば、それを消してしまうことができます。あなたはただ蒼維の握手会に参加し、彼の笑顔と言葉を喜んで、もう手を洗わないなどと考えて帰る」
「……洗いますよ、手は」
「例え話です」
セツロは淡々と返した。
「こちらとしては、それを提案します。あなたのためにはそれがいい」
「でも、それだとさっきの……ソーイくんの最高の笑顔の記憶はなくなっちゃうんですか」
「差し替えておきますよ、その笑顔に」
「う、うーん……」
「それを偽の記憶だと感じ、受け入れられないのであれば、残すこともできます。ただ、そこだけ残すのは無理です。矛盾が生じるので」
「じゃあ覚えておきたいです」
さらっと架凛は答えた。セツロは額を抑える。
「めちゃくちゃしんどかったですよね? そもそも蒼維の死を覚えてるのきつくないですか」
「めちゃくちゃきついです」
またしてもさらっと。
「でも覚えておきたい。一生の悪夢と引き換えにしたって、さっきの笑顔は忘れたくありません」
「そう、ですか」
セツロはうなり、それからうなずいた。
「では記憶通りに。あ、僕らのことは忘れてもらいます。全部消すとこれも矛盾なので、何となくわからないようにする、という感じですが」
「う……そこに交渉の余地は」
「ないです」
「うう……」
架凛はうなったが、セツロたちの事情も汲んだか、渋々とうなずいた。
「ではこのまま明日へ進みましょう。最初は少々混乱するでしょうが徐々に思い出してきますからご安心を」
そして、蒼維と架凛の物語は終わった。
もしかしたらやがて架凛と芯太――とあるバイトスタッフ――の物語が始まるかもしれないが、そこに転生屋は関わらないだろう。
―了―
二ヶ月間のお片付け~異世界転生、承ります~ 一枝 唯 @y_ichieda
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