21-5-2 第244話 山科様、旅館を満喫する

弘治二年 1556年 十二月上旬 夕方 場所:甲斐国 甲府郊外 旅館『甲富屋』 

視点:律Position


京四郎「お疲れ様、律!ご客人はどうしてる?」


 日が沈むころになって、京四郎が馬で現れる。


律「お疲れ様。今頃温泉で浸かっている頃で……

山科「おお、女将殿!いい湯でしたぞよ!」


 その言葉と共に、山科さんが小袖一枚の姿で前を横切る。


京四郎「どうやら浸かっての方が正しいようだな」

山科「ふ……ふぇっくしょん!」

律「ああ、もう山科様!冬場なのですから、ちゃんと着てください~!!」


▼▼▼▼


 入浴の後は夕食の時間である。

調理の片付けをしていると、京四郎が話しかけてくる。


京四郎「しかし、お公家様か……有名な人なのか?」

律「まぁ、戦国時代の有名公卿と言えば、三本の矢には入るでしょうね」

京四郎「三本のな。矢だと毛利家になっちまう」


律「ああ、そうか。ごめんごめん」

京四郎「何だ、確信犯じゃなかったのか」

律「違うわよ!」


 彼は、半笑いしながら言葉を返す。


京四郎「しかし、武田家にとってもウチの店にとっても公家とのコネクションが作れるのは大きい。朝廷というブランドは戦乱の時代にも確固たるものだ」

律「もちろん、それは今回の接待が成功したらという前提だけど」


 京四郎が自信満々に話す時は少し心配になる。

運命の女神なんて気まぐれだ。そうそう計算通りなんて、いかないのだ。


京四郎「それに関しては問題ないだろう。今頃、オレの作った食事に……

タツ「すいません!お二人とも、少しいいですか?」


 従業員部屋にタツ君が駆け込んでくる。


京四郎「ほら!早速お褒めの言葉だ」

タツ「いえ、違いますあにさん。山科さまがこの様な物は食えぬと……」

京四郎「何ィ!?丹精を込めた鴨南蛮そばだぞ!?それが食えねぇってのか!あのマロ野郎!」


 ……さっきまで褒めちぎっていたのが、嘘のような手のひらクルーである。


律「アタシが、話を聞いてくるわ」

タツ「そんな!ワザワザ姐さんが出張らなくても」

律「アタシにも女将って立場があるしね。それに……」


タツ「それに?」

律「そうでもしないと、アイツが山科様の鼻に蕎麦を詰めそうだから」

タツ「あー、なるほど。それじゃあ、暴走しないように見張っておきますね」

律「お願い」


 山科さんに事情を聞くと、そう難しい話ではなかった。


山科「かような薄汚れた麻糸の様な物など、食したことござらぬ!このような安っぽい物を麻呂に食わせるおつもりか!」


 なるほど、察するに蕎麦という未知の料理にケチをつけているようだ。

大方、食わず嫌いなのだろうが、麺料理が市民権を得つつある甲斐以外の事情も鑑みるべきだったかもしれない。


律「わかりました。他の料理もございますので、今お持ちしましょう」


 こうして、アタシは一旦従業員室に引き返して、山科さんの客室に再び戻る。


律「お待たせ致しました。こちらをどうぞ!」

山科「ほう、これは美味しそうだ。それに……この香りは茸か?」

律「そうです。人参の色味も入った炊き込みご飯。これならば、お気に召しますか?」

山科「それは勿論でおじゃる!」


 さっきまでのツンケンぶりが嘘のように、山科さんの箸が進む。

あの炊き込みご飯。ホントは今日のまかない飯だったんだけどなぁ……。


 ま、我慢するか……。


京四郎「あれ?お前の夕飯どうした?炊き込みご飯を用意しといただろ?」

律「ああ、それ。山科さんにあげちった!」

京四郎「はぁ……そういうことだったのか。どうやって収拾つけたのかと思えば……」


 京四郎は、ヤレヤレとばかりに肩を下す。


京四郎「ほれ、お裾分けだ」


 彼は、自分の分の炊き込みご飯の半分をよそって渡す。


律「そんな、悪いわよ」

京四郎「手をつけてないとは言え、お客様のお残しだけを食わす訳にいかんだろ、ほれ!」


 ……まったく、優しいんだか、素直じゃないんだか……。


○○○○

翌朝


山科「どうにか、もう少し安くならんのか??」


 山科さんはチェックアウトでも、この調子である。


律「しかし、宿代は決まっておりますし……」

山科「ああ、主上!この様なところで金子を使い果たしてしまっては、お役目を果たせませぬ!」


律「ですが……

山科「このままでは、お役目を果 た せ ま せ ぬーーー!」


 このままではらちが明かない。


京四郎「わかりました。負けましょう」

山科「おお、ありがたい!そちの名前、しかと覚えおくぞ!」

京四郎「はいはい」


「京四郎、大儀だったぞ」


 そこへ現れたのは内藤様である。


律「あ、来た。早く引き取ってくださいよ、山科さ~ま」

内藤「ん?内藤?」

律「とぼけないでくださいよ。武田家から御依頼のお客様でしょ?」


内藤「いや、違う。俺が出迎えに来たのは策彦さくげん周良しゅうりょう[1]様だ」

律・京四郎「「えええええええええええ!」」


 それじゃあ、アタシたちの気苦労は何だったの……。


山科「周良なら程なく、甲斐に来るはずだ。体調を崩したとかで麿が先に来ることとなったのじゃ」

内藤「ああ、そういう事でしたか。でしたら府中(甲府)の方へとご案内させて頂きます」


 どうやら、話は付いたらしい。


京四郎「なんか、疲れがどっと出たな」

律「アタシは胃が痛くなってきたわ……」


山科「胃薬ならば、麿が調合したものがあるぞ、飲むか?」

律「あ、ありがとうございます」


 筒に入れられた丸薬が手のひらに出される。


律「それじゃあ、頂きます」

山科「もちろん、薬代は頂くぞよ」

律「…………」


京四郎「薬だけにクスリとも笑えんな」

律「………………!」

京四郎「あ、痛っ!や、やめて殴らないで!」



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[1]策彦周良:戦国時代の禅僧。臨済宗。1501年生まれ。

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