10-7 第137話  かい犬

天文二十一年 1552年 九月中旬 正午 場所:甲斐国 甲府 躑躅ヶ崎館 

視点:高坂昌信Position


信繁「では、次に保科ほしなに対する寺領安堵についてですね」

智様「う、うむ……」


 躑躅ヶ崎館からの逃亡に失敗した智様は、みっちりと政務に向き合わされている。

信繫様と跡部様がじっくりと、その様子を監視している。


 一応、智様の名誉のために述べておくと、智様は決して怠け症というわけではない。

……ただ、さっさと物事を進めたい性格の智様に対して、

信繫様は、じっくりと時間をかけて徹底的に検証する方なのだ。


 二人の部屋を比べてみてもわかる。

智様の部屋は、一見乱雑に書籍が積み上げられているように見えるが、本人にとっては区分できているようで、すぐに必要な書物を見つけ出すことが出来る。


信繫様の場合、書棚にびっしりと収納されている。

ただ、表紙を確認しながら探すので、時間がかかることもよくある。


跡部「保科と言えば、高遠頼継が亡くなった後に領地を引き継いで治めている者……でしたね?」

高坂「はい。保科 正俊まさとし[1]は高遠家で家老を務めていましたが、主君が敵と文を通じて内通していると届け出てきました」


 智様は、私たちの会話を聞きながら書面に目を通す。


智様「うむ。よかろう」

信繫「わかりました。寺について調査が終わり次第、甘利に文書を届けさせます」


智様「……これで終わりか?」

跡部「いえ、堤の普請の進捗具合についてですが……」


 こんな感じで、延々と続けられていくのだ。

普段ならば、このまま一刻(2時間)は逃れられないのだが、

今日の智様には、秘策があった。


跡部「ろ組の進み具合は……

「ワン!」


 そう、犬だ。

実は先月、智様の愛犬に子供が生まれたばかりで、子犬が沢山いる。


跡部「ここの組は怠け……

「ワン!ワン!」「ハッハッハッ!」「アウン!アゥン!」

智様「お~、かわいいなぁ~。ヨシヨシ~」


 ついには子犬を抱きかかえて、頬づりしている。


信繫「智ォ…………?」

智様「わかってます。わかってます、兄上」

「ワンワゥン!」「キャゥン!キャゥン!」


跡部「…………」


 ついには、跡部様も観念したようだ。


智様(今日は作戦勝ちかな~?)


 智様の口角が思わず上がる。


望月千代女「報告。尾張国の萱津かやづにて……

「ワンワンワゥン!」


 千代女さんにも子犬が突進する。


千代女「お~よちよち。かわいいでちゅね~」


 ……普段は涼しげな千代女さんも、この有様である。


信繫「それで、報告は?」

千代女「あ……え~っと。風流ふうりゅう踊りが流行っておるそうです」

高坂「その情報を活かせることがあるでしょうか……?」

「キャン!キャゥン!」「ワンワン!」

信繫「はぁ~」


信繫(このままでは、いかんな)



▼▼▼▼

後日 場所:甲斐国 甲府 富士屋

視点:京四郎Position


内藤「日頃の富士屋の忠勤に対して、武田家より褒美がある」

京四郎「えっ!何かもらえるんですか!?」


内藤「……犬だ」

京四郎「い、犬ゥ!?」


内藤「嬉しくないのか?」

京四郎「いや、犬は好きですけど……」


内藤「ならば、いいじゃないか!智様の飼い犬のお子ぞ!」

京四郎「は、はぁ……」


 内藤様から受け取った子犬は、愛くるしい瞳でオレを見つめる。


高坂「ちゃんと可愛がってあげるんですよ。甲斐犬[2]のいい子なんですから!」

京四郎「は、ははーっ!」


 こうして富士屋に、また一人……いや、一匹増えたのだった。



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[1]保科正俊:武田家家臣。1511年生まれ。槍の名手で『槍弾正』と呼ばれた。

[2]甲斐犬:山梨県原産の犬。別名『虎毛犬』。飼い主への忠誠心が高い。

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