第3話

 わたあめが学校についてきてから、翔はクラスメートと話すようになっていた。今まではきっかけが無かっただけで、ほんの少しのきっかけで話すようになるのだと分かった。最初こそ戸惑ったが、翔も次第に慣れていき、すぐに周囲と打ち解けた。気がつけば昼休みを友人と過ごすようになった。

 そうして学校生活が少しずつ変わっていった後の、とある土曜日。母は父に会うために一泊二日で旅行に行き、兄は友人と会う為に外出した。家には翔とわたあめだけが残されていた。


「もうそろそろ起きてください、翔」


 休日に惰眠を貪る翔の上に、わたあめが乗って言った。翔は眠そうに「ううん」とうなって寝返りをうつ。上にいたわたあめは翔の寝返りに巻き込まれてコロコロと転がった。なんとか自力で起き上がると、翔の顔の方へ歩いていく。彼が起きる様子はまだない。


「もう、仕方ないですね」


 わたあめは翔の首あたりに座り込むと、自分も目を閉じた。人間がやる睡眠というものに興味があったのだ。充電ドックに乗っている間が人間の睡眠に近いのだろうが、全く同じではない。充電中は目を閉じなくても問題ないし、データのバックアップを取ったり、音声データの解析をしたりできる。だが、人間は寝ている間は何かを考えるということができない。それを自分も試してみようと、わたあめはあえて思考を停止した。

 それから一時間ほど経ってから、わたあめは自分の体が揺れたことに気がついた。わたあめが目を開けると、目を覚ました翔がわたあめを撫でていた。


「目が覚めましたか?」

「うん。おはよう」


 翔は体を起こすと両腕を突き上げて伸びをした。その様子を目を輝かせて見ていたわたあめは、真似をしてみようと前足をぐっと伸ばしてみた。


「あー、ご飯どうしようかな」


 ボリボリと頭をかきながらベッドを降りる翔を追いかけて、わたあめもベッドから飛び降りる。だが着地に失敗してころりと転がった。それを見ていた翔は、少し笑いながらわたあめを両手でもつと床に立たせた。


「ありがとうございます。朝食はご両親にお願いしては?」

「父さんは出張でずっと不在だし、母さんと兄ちゃんは家にいないんだよね」

「それは困りましたね。育ち盛りの少年がご飯を抜くのはよろしくないです。一緒に何か作りましょう」

「一緒にって……わたあめ、なんか作れるの?」

「この短い脚で料理ができると思いますか?」


 翔はがっかりした顔で首を横に振った。


「でも私はネットワークに繋がっています。ということは、冷蔵庫の中の在庫さえ分かれば、簡単に作れるレシピをお伝えすることができます!」

「なんだ……。結局作るのは僕か」

「料理を作るのは良いことですよ。自分の生命に直結することですから」

「まあ、確かにね。たまにはチャレンジしてみようかな」

「その息です、翔」


 少し遅い朝食を作る為に、翔は部屋を出ていった。その後を一生懸命追いかけるわたあめ。開きっぱなしだった扉からやっと出たところで、戻ってきた翔に抱き上げられて一緒にキッチンへ向かった。

 リビングを通ってキッチンに行くと、片手でわたあめを抱えながらもう一方の手で冷蔵庫を開けた。ハムや卵はあった。続いて野菜室を開けてみる。中には人参やネギ、白菜などが入っている。最後に冷凍庫も開けてみたが、冷凍食品の唐揚げが二袋入っているだけだった。ううん、と首を傾げながら冷凍庫を閉じる。


「わたあめ、今の材料で何が作れそう?」

「そうですねぇ……チャーハンでしょうか」

「……」

「翔? どうかしましたか?」

「いや、案外捻りのない答えだなと思って」

「……」

「……」

「では別のレシピにしましょう。ネットを検索したところ、気まぐれシェフが五時間煮込んだ思い出の」

「ごめん、チャーハンで大丈夫」

「それは良かった。では、私が手順をいいますから翔はその通りに調理してください」


 幸い炊飯器の中には米が残っていた。不慣れな手つきで人参やネギを切り、油の音に驚きながら米を炒めた。キッチンカウンターでそれを見ていたわたあめは、それは違うとかそうじゃないとか口やかましく指示を飛ばした。そうして小一時間ほどかけて、やっとチャーハンが出来上がった。

 湯気の立つ少し不恰好なチャーハンを皿にもり、それをリビングのテーブルに置いた。わたあめはキッチンカウンターからテーブルに飛び降りると、チャーハンをじっと見つめた。


「カシャ」

「今の、声?」

「シャッター音です」

「カメラもついてるの?」

「目の中に内蔵されています」

「すごいね。何を撮ったの?」

「チャーハンと翔です」

「また面白くもないもの撮ったね」

「そんなことありませんよ。初めて翔が作ったチャーハンです。思い出深いでしょう?」

「……そうかもね」


 そう言って翔はわらった。それからわたあめを持って抱くと、ズボンのポケットに入れていたスマートフォンを取り出した。画面をタップしてカメラを起動し、インカメラで写真を撮った。


「何を撮ったんですか?」

「わたあめと僕とチャーハン」

「……それは、良い写真ですね」

「でしょ。さて、冷めない内に食べなきゃ」


 わたあめを膝の上に置くと、スプーンを手に取った。チャーハンを掬って口の中に運ぶ。わたあめに口うるさく言われたおかげか、味はとても美味しい。具材は不揃いで少し不恰好だったが、卵の甘さもあり、どんどん食べられた。


「美味しくできたようですね」

「うん! まさかこんなに上手くいくとは思わなかった」

「頑張りましたね」

「わたあめが教えてくれたからね」

「ふふ」


 チャーハンがのったスプーンが、何度も何度も翔の口と皿を往復するのをわたあめは彼の膝から見上げていた。そうして十分もしない内に皿は空になった。一度わたあめを隣の椅子に移すと、席を立って皿を洗いに行く。水で軽く洗った皿を食器洗い機に突っ込むと、わたあめを持って部屋を出た。たった二人の休日を、一緒にテレビを見たりゲームをしたりして過ごした。ゲームは兄にもらった古い型だったし、わたあめの短い脚でできるゲームは限られていた。それでも二人は楽しい時を過ごした。夕日が輝く時刻にはわたあめをリュックに詰めてスーパーに行き、カレーの材料を買ってきた。お小遣いが残り少なかったので、肉は少なめにした。それからわたあめのアドバイス通りにカレーを作り、しっかり煮込んだ美味しいカレーを食べた。自分も味蕾が欲しいから、食事をする機能を本社にリクエストして欲しいとわたあめは頼んだ。翔はわたあめの言ったとおりに、スマートフォンからわたあめの開発会社にリクエストを送ってやった。そうして一日が終わった。


 翌日、食事を終えてテレビも見飽きた二人がベッドの上でゴロゴロしていると、玄関の方で音がした。ばたばたと歩く足音を聞く限り、兄の涼が帰ってきたのだろう。続いて小さな足音が後を追うように家に入ってきた。母の足音だ。二つの足音は、涼の部屋の前で止まった。


「ちょっと涼くん、聞いてるの?」

「聞いてるよ、うるさいなぁ」

「塾にも行かないでどこに行ってたの?」

「だから友達の家だって言ってるだろ」

「こんな大事な時期に、塾をサボって遊びにいったのね!」

「違うって! 勉強しにいったんだよ」

「ほとんど手ぶらで勉強をしにいくなんてこと、あるわけ無いでしょう!!」

「ーーうるっさいなぁ!!」


 バン、と扉を強く閉める音。取り残された母はしばらく黙っていたが、しばらくすると涼の部屋の前から去っていく足音が聞こえた。やりとりを聞いていた翔はふうっと息をついた。


「びっくりした」


 そう言った時、去っていった母の足音がバタバタっと近づいてきて翔の部屋の扉を開けた。


「ちょっと翔! 何か作ったの!?」

「え、何かって?」


 突然のことに驚いて、おうむ返ししか出来なかった。


「お鍋も皿も、汚れたままじゃない」

「あ……ごめんなさい、洗っとく」

「もういいわよ! 本当、やることばっかり増やすんだから!」


 バン!と扉を閉めて母は去った。母が閉めた扉を、無表情のまま見つめていた。


「ーー気にしないほうが良いですよ」


 わたあめが言った。


「別に、気にして無いよ」

「そうですか? でも、気にしているように見えます」

「……気にして無い。いつものことだから」

「正しく子どもに愛情を示せない親はいます。翔がそれに引っ張られる必要はありませんよ」


 翔はわたあめのことをじっと見つめた。


「そういうデータがネットに落ちてた?」

「え?」

「それともデータベースってやつにデータが入ってる? 持ち主が悲しんでたらこうやって励ますんだよってルールみたいなのが決まってる?」

「いえ、私はルールベースのAIでは……」

「教科書みたいな模範解答されたってなんの役にも立たないよ……」

「すみません。ただ友人として励ましたくて」

「……そうだよね。ロボットと話すしか無い寂しいやつだもんね。友だちだってロボットに手伝ってもらわないと作れないし、母さんにはいつまで経っても嫌われてるし。どうせこんなこと言ったってお前には分かんないだろ? 人が人に愛されない時の惨めさとか悲しさとかさ。それなのに励ますことはできるんだから凄いよ」

「……理解したいとは思っています」

「いいよしなくて! どうせ出来ないんだからさ!!」


 そう言い捨てて、布団を頭から被った。しばらくは近くにわたあめの気配を感じていたが、そのうち布団を伝って床へ降りていったのが分かった。翔は声を抑えながらひっそりと泣き、そのまま眠りについた。翌朝、妙な静けさの中で目が覚めた。いつもならわたあめが起こしてくる時間だった。そっと体を起こしてみると、ベッドの上にわたあめの姿は無い。ベッドの影を覗き込むと、充電ドックの上でわたあめが寝ているのが見えた。ほっと安堵した翔は、わたあめを起こさないように身支度をして家を出た。それから数時間後、授業を終えて家に帰ってきた翔は部屋に入った。するとわたあめはまだ充電ドックの上にいた。


「昼寝でもしてたの?」


 気まずさを覚えながらも聞いた。だが、わたあめは返事をしなかった。昨日のことを怒っているのかもしれない。翔は少し悩んで、もじもじしていた。だが意を決して口を開いた。


「昨日はごめん」


 それでもわたあめは反応しなかった。


「ごめんって。ねぇ、わたあめ」


 ふわふわの体にそっと触れる。いつもと違って冷たかった。ちゃんと充電されていない。慌てて両手でわたあめを持ち上げると、目に光が無い。ドックのケーブルはきちんと電源タップに刺さっている。制服のズボンからスマートフォンを取り出し、フレンディのアプリを開く。すると、インフォメーションにエラーが表示されていた。

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