20.閉幕
「さて。話が逸れましたが、そろそろ終わりにしましょうか」
神条は静かに頷く。もう余計な口を挟むことはない。俺の言葉を正面から受け止める構えだ。
先の話に心当たりのある彼女は、俺が言わんとすることを察している。そこから至る結論も全て。
その上で彼女は沈黙を選んだ。沈黙は金なりと言うように、ここで無闇に騒がないのは正しい選択だと言える。
神条の決意を無駄にしないよう、早いところ決着をつけよう。
「貴女は男子生徒からの告白を受け続けた、という話でしたね。契約を結ばず、表面上の恋人を複数の男子相手に演じ続けた。ここまでは正しいか……確認するまでもないですね」
神条はもう一度力なく頷く。
「大方、人に知られたくない、2人だけの秘密にしたいと甘い言葉で誘ったのでしょう。誰も知らない男女の秘密。甘美な響きです。どんな男性でも貴女に言われれば喜んでそれを受け入れたことでしょうね」
神条の容姿は評価を参考にするまでもなくこの学校ではトップクラスだ。俺の審美眼の精度は定かではないが、入学してからの神条にまつわる話を聞けば間違っていないはずだ。
その神条と付き合えるのなら、条件の1つや2つさしたる問題じゃないだろう。
「貴女の目的は……そうですね。渇きを満たすこと、とでも言いますか。恋愛模様を描く少女漫画の中で貴女が最も興味を持ったのは運命的な出会いでもベタな展開でもない。俗な言い方をすれば逆ハーレムというカテゴリに含まれます」
俺も最近知ったことだが、少女漫画の中では割とよくあるテンプレートなカテゴリらしく、漫画サイトなんかでもキーワードの1つとして項目が存在するほどだ。
「数多くの女性の中に男性が1人。男子なら誰もが憧れるシチュエーションです。であれば、女性にとってはその逆も成り立つもの。貴女が強い興味を惹かれたのはそれですね」
「ふーん。祈織でもそういうの興味あるんだ」
余計な一言を添える蘭華を睨みつける。真面目な話をしているのに空気が読めないやつだ。
そりゃ興味がないと言えば嘘になる。今は関係ない話だけどな。
妙な空気になったが、神条は呑まれることなく肯定を示した。
「女の子なら誰でも一度は憧れると思うよ。柳さんもそうでしょ?」
「んー……まあ、そうかも」
「でも、私が憧れたのはそれであってそれじゃない」
「周囲に異性を侍らせる優越感ですよね」
神条は虚をつかれたように目を丸くして、こくりと頷く。
「すごいね。私のことをよくわかってる」
「何もわかりませんよ。貴女のこれまでの行動から推測したに過ぎません」
「じゃあ、よく調べたって褒めておくね」
生気のない瞳を細める。俺の行いが褒められたことじゃないのは彼女自身が一番思っているはず。
しかし彼女の言葉には皮肉めいた様子はひとつもなく、純粋に賞賛を送っているように見えた。
「貴女にとって異性の存在はアクセサリーのようなものです。他者に優位性や自分の価値を示し、悦に浸るための道具でしかない。貴女の抱える業はまさにそれです。貴女は中学生……恐らくその前から異性からの告白に悦楽を感じ、恋人かそれに近しい関係性を保つことで私物化した。丸山が憤りを露わにしたのもそこでしょうね。彼は貴女のことを少女漫画に憧れるあまり異性との関係が結べない無垢な少女だと思い込んでいたでしょうから」
自分と同族とまでは言わずとも、同じ立場にあると思っていた相手が自分の遥か高みに居た。それも自身の喜びのためだけにひた隠しにして多くの人を騙していたとなれば、絶望や怒りに支配されてもおかしくない。
「やっぱり君は何でもわかってしまうんだね」
「その反応からするに当たってるってことですかね」
「そうだよ。全部君の言う通り」
神条は自嘲するように鼻を鳴らす。
俺に対する評価が上がり続けているのが懸念点だ。俺は超能力者じゃない。神条と丸山の行動や深層心理を読み解いた結果、この妄想に至っただけだ。
「当たっていたようで何よりです。これほど自信満々に考えを述べておいて外れると恥ずかしいですから」
「外れるなんて微塵も思ってないって顔してるよ」
「表情筋が仕事しないだけですよ」
軽く冗談で返すも彼女が素直に受け取ったとは思えない。
その証拠に俺の話をさらに深掘りすべく質問を投げかける。
「私にまつわる噂についてはどう考えてるのかな。私にとって想定外で、私も何かしらの手を打ったと思ってるみたいだけど」
神条はこの場で全ての疑問を解消するつもりだ。
ただの好奇心……ではないだろう。自分を窮地に追い詰める真実を俺が突きつけることを望んでいる。
これまで並べ立てた神条の真実は既にこの学校の理念に反している。
恋人契約という学校が用意したシステムを己の欲望のためにわざと黙殺し、あろうことか複数の異性を誑かして不純な恋愛を図った。淘汰されるには充分だ。
事が公になれば厳重注意じゃ済まないだろう。停学、あるいはその先か。ここはそういう学校だ。
それをわかっているから彼女は知りたがっている。今日、この会話が俺と話す最期になるかもしれないから。
それなら俺は彼女を追い詰めた者として介錯を担おう。
「少女漫画を介して"愛されること"に強い執着を抱いた貴女にとってこの学校のシステムは都合が良かった。評価によってステータスが付与され、他人にも閲覧できる仕組み。容姿というわかりやすく絶対的なステータスにおいて最高位のSランクを獲得したこと。それらが追い風となり、貴女は一躍時の人となった。貴女と付き合おうと近付いてくる男子。女子の嫉妬の目。他人とは違うという優越感。快楽。貴女にとってこの学校は楽園だったのかもしれません」
神条は懐かしむように目を細めて小さく頷く。
「しかし、ここで貴女も想定していなかった事態が起こった。それが貴女の2つ名に関する噂話です。根も葉もない噂だ。実際には男女分け隔てなく接し、告白も全て受けているんですから。ただ、噂を流した人たちにとっては真偽なんてどうでもいいんですよ。貴女と付き合っていた男子たちにとってはね」
誰にでも独占欲というものは存在する。
好きな人を独り占めしたい。自分だけを見てほしい。悪い虫を寄せ付けないように手を打っておきたい。理由なんてその程度だ。それもまた1つのエゴと言える。
エゴに溺れた彼女がエゴに絡め取られる。何とも皮肉な話だ。
「契約を結んでいないから付き合っている事実を周囲に知らしめることができない。だからと言って貴女との約束を反故にするわけにもいかない。そうして彼らは手を打った。神条紗耶にまつわる悪い噂を流し、人を寄せつけないようにしようと。氷の女王に告白をしても無駄だ。鉄壁の要塞を陥落することはできない。そう思わせることで他の男子を近付けないようにした。こればかりは誤算だったでしょうね。まさかペットに噛みつかれるとは思いもしなかった」
「そうだね。本当に予想だにしなかったよ。私と付き合ってるのに私の邪魔をするなんて酷いよね。危うく私の楽しみを潰されるところだった」
「少女漫画が好きだと公言したのはそのためですね。告白を断り続けたのは理想とする恋愛があったからだと知らしめるためだった。難攻不落だと思われていた貴女に垣間見えた隙。男子はこぞってその隙に潜り込もうと必死になった」
「流石天沢くん。その通りだよ。去年の秋頃だったかな、皆が皆私と運命的な出会いを演出しようと躍起になってた。本当に面白かったよ。付け焼き刃なんてすぐに剥がれてしまうのにね」
彼らと付き合ったのか、はたまた嘘を暴いては断り続けたのか。過去に興味のない彼女はその真実については口にしなかった。
代わりに「でも」と記憶に新しい話を嬉しそうに語る。
「人のために偶然を創り上げたのは君が初めてだったかな。私にとっても岩下くんにとってもあの出会いは紛れもなく偶然だった。まさに運命と呼べる出会いだったよ。それが君の企てだなんて気付かないくらいには」
「褒め言葉と受け取っておきます」
「ちゃんと褒めてるよ。こんな結果になったのは本当に残念だけどね」
そう言った彼女の瞳には少しだけ後悔の色が見えた気がした。
しかしそれも一瞬。瞬きの間には誰もがよく知る凛々しく美しい神条紗耶の姿がそこにあった。
「さて、そろそろ良い頃合いかな。私の秘密は丸裸にされちゃったし、こんな私を生徒会や学校は放っておかない。天沢くんが生徒会側の人間である以上、私の高校生活はここでおしまいだね」
やはり思った通りだ。
彼女が俺の話を黙って聞いていたのも、否定できたはずの俺の妄想を全て肯定したのも、今日をもって学校を去ることを決めていたからだ。
この学校の退学者は上級生に集中し、1年生と比べると3年生のその数は10倍にもなる。
特別試験で満足な評価を得られなかったり、普段の学業の成績や素行不良により学校側から退学の烙印を押される生徒がほとんどだ。
しかし中には自ら退学を選ぶ生徒も少なからず存在する。
彼らはきっと自身の抱える罪に耐えきれなくなったり、他者にその罪を知られることを恐れたり、あるいは神条先輩のように過去と決別して前に進もうと決心したのだろう。
俺は彼女を恭敬する。
人はそう簡単には変われない。弛まぬ努力と揺るぎない目標、それに推進力となる理由があってこそ、人はようやく変化できる。
しかし神条先輩には『もう大丈夫だ』と思わせる確かな決意が見て取れた。
きっかけは俺に追い詰められたことか、それとも他に理由があるのか。俺には彼女の気持ちはわからない。
「俺がこうして追い詰めなくても神条先輩は学校を辞めるつもりだったんでしょう?」
神条先輩はうんと背伸びをして首肯する。
薄く微笑んだ彼女はどこか清々しく見える。
「やっぱり君はすごいよ。誰よりも私のことをわかってくれてる。出会い方が違えば、私は君を好きになってたかもしれないね」
「冗談でしょう。俺のような扱いにくい人間は好きじゃないですよね」
「ふふっ。そうでもないよ。これでもすごく後悔してる。私が普通だったなら。おかしな欲に溺れない真っ当な精神の持ち主だったら。私はどんな生活を送ったのか。天沢くんや岩下くんと普通に出会っていたら。私はどちらかと純粋な恋を謳歌できたのかも。そう考えるだけで自分の犯した過ちの深さが後悔でいっぱいになる」
たらればの未来はそれこそ妄想でしかない。
今の神条先輩でなければ喜一が彼女を選ばなかったかもしれない。俺と話す機会も永遠になかったかもしれない。そもそもこの学校に入学していない世界線もあるかもしれない。
いくら考えたって、存在しない未来を見ることはできないんだ。
俺が何も答えずにいると、彼女はもう一度微笑んでひとつの提案を持ちかける。
「最後にお願いがあるんだけど、いいかな?」
「俺に叶えられるものなら善処しますよ」
「じゃあ、私と契約を結んでほしいな」
予想だにしなかった提案に俺は少し驚いた。
「それはまた……どうしてですか?」
「あ、もしかして警戒してる? 心配しなくても悪用はしないよ。君の予想通り、私は元々2年生の終わりには退学するつもりだったから」
俺が彼女を退学に追い込めないよう予防線を張る目的ではないとはっきり否定する。
「そうだなぁ……思い出作りって言えばいいのかな。私のことを一番よく知っている人のことを知りたくなったのかも。これが恋心って言うのかな」
「神条先輩が本当の恋を知るのはもっと先になりそうですね」
「えー。まだ契約も結んでない君が言うの?」
正論を突きつけられて何も言い返せない。
まあ、答え合わせだと思えばいいか。契約を結ぶことで俺のどんな業が暴露されるかも知っておきたい。ここで契約内容を知れることは今後を鑑みてもメリットが大きいだろう。
神条先輩の提案を受けると、彼女は端末を操作して顔を上げる。
直後、俺の端末に通知が届いた。
『恋人契約の申請が1件届いています』という文言とともに『神条紗耶』の名前。さらに『受諾』『拒否』の文字が続く。
なるほど。これで受諾のボタンを押せば晴れて契約が完了するわけだ。
当然、受諾のボタンを押す。
映画の自爆ボタンや脱出ボタンじゃあるまいし、現実に変化は見られない。
変わっていたのは俺と神条先輩のページだ。
俺のページにはこれまで同様ステータスの表記は勿論、恋人のページに飛ぶリンクが貼り付けてある。それ以外にこれといった新要素はない。
しかし、神条先輩のページは違った。
ステータスしか確認できなかったページには『恋人遍歴』『秘め事』の項目が増えていた。
恋人遍歴には当然ながら丸山の名前が。秘め事のページには、今しがた俺が語った話がほぼそのまま書き連ねられていた。
ひとつだけ違ったのは、彼女は俺と似た境遇にあったということだけ。
神条先輩が認めたのだから目新しい情報があるはずもないかと流し読みをしていたが、その最下部に並んだ文字を見て指を止めた。
「これは……」
「あ、そっか。天沢くんは初めて契約を結ぶから知らなかったんだね。面白い情報でしょ?」
「そうですね。契約を結んでおいてよかったです」
「私もだよ。まさか君にこんな秘密があったなんてね」
「拝見しても?」
「うーん、どうしようかな」
神条先輩はそう言って意地悪な表情を見せるが、すぐに頬を緩めて笑みをこぼす。
「冗談だよ。私からのお礼ってことで」
例を言われることは何一つしていないが、形はどうあれ自分の弱みを知っておけるのは今後のためになる。
神条先輩からスマホを拝借し、その内容を速読する。
ほとんど予想通りの内容だ。その最下部に記載されたものも妥当と言える。
この情報を予め入手できたアドバンテージは大きい。
特に今後契約を結ぶ上で相手の選定基準としてこの情報を知られてもいいかどうかは重要だ。
少なくとも今は誰にも知られるわけにはいかない。危うく蘭華にこの爆弾の起爆スイッチを握らせるところだったと思うと身の毛がよだつ。
お礼の言葉を添えてスマホを神条先輩に返すと、彼女は手早く操作を始めてすぐに顔を上げる。
直後に俺のスマホが情報を通知し、神条先輩から契約解除の申請が届いていることに気付いた。
「契約期間中は誰でも恋人になった相手を確認できるからね。君としても私と契約を結んだことは知られたくないでしょ?」
「ありがたい配慮に頭が上がらないですね。恩に着ます」
「そんなの着なくていいよ。初めて好きになった人に迷惑はかけたくないだけだから」
そう言って笑った神条先輩の真意はわからない。
ただ、嘘と欲望に塗れた彼女に初めて年相応の純粋な少女らしさを垣間見た気がした。
それは──そう、少女漫画の主人公ヒロインのような。
スマホをポケットに仕舞い、神条先輩は席を立つ。
俺と蘭華はそんな彼女の背中を目で追う。
と、神条先輩は扉に手をかけて立ち止まる。
「天沢くん。承認欲求が強いことって、本当に悲しいことなのかな」
「悲しいことだと思いますよ。自分を愛するあまり、周りが全く見えていない。その結果、本当の意味で自分さえ愛せなくなる」
「でも、仕方ないじゃない。誰も愛してくれないなら、自分で自分を愛してあげるしかないんだから」
「俺が言いたいのはそういうことではありません」
彼女が今の彼女になったのはある意味必然だったのかもしれない。
だけど、重要なのはそこじゃない。
「原因は確かにあったのでしょう。人が歪んでしまうのは環境要因が最も大きいとされていますから、誰が悪いとは一概には言えません。しかし、エゴイストは自分を愛するあまり他者からの愛すら見えなくなってしまう。本当に愛してくれる人の存在さえ見えず、本当に欲しかったものすら逃してしまう。これを悲しいと評価せず、どう表現していいのか俺にはわかりません」
彼女は俺の言葉に納得したのか静かに頷いた。
そして今度は振り返ることなく扉の奥へと消えていった。
男子の視線を独り占めにする美貌。欲に溺れて純真な少女に憧れ、道を誤った精神が幼い少女。
彼女の存在は良くも悪くも多くの人間に影響を与えた。強い印象を、爪痕をこの学校に残すことになるだろう。
彼女が普通の少女であったなら。柄にもなくそんな妄想を巡らせてしまう。
もしもそんな未来があったなら、彼女は普通の恋愛にどう向き合っていくのか。少し見てみたいと思った。
これは俺の目的のためか。あるいはいつもの享楽か。
その真意は自分自身である俺にもわからない。
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