19.神条紗耶の本質

 気がつけば、梅雨の気まぐれな雨がパラパラと窓を叩いていた。

 防音の部屋にも聞こえるその音は、この部屋の静けさ故か、その強さ故かは判断がつかない。

 雨音に飲み込まれないよう、少しだけ声量を上げる。


「神条先輩。俺は貴女を啓蒙します。俺の話で貴女がどう変わるのか、それを見届けたいと思っています」

「啓蒙って……また上からな言い方だね。私が先輩で、君より評価も上だってことを忘れてる?」

「いいえ。むしろ俺は先輩のことを尊敬していますよ。対人能力に優れたあの生徒会を相手に、よくこれまで本性を隠してきれたものだと賞賛します」

「そっか。君は生徒会と繋がりがあるんだね」

「そうですね。とはいえ、俺の評価じゃ生徒会への入会は不可能です。なので、生徒会も頭を抱える貴女を取り巻く問題を解決して、俺の有用性を示してみようかと思いまして」

「否定しないんだ。頑なに目的を口にしないから、今ようやくボロを出したのかと思ったのに」

「隠していたつもりはありませんよ。しっかりと調べればわかることですし。ただ、そこまで頭が回らなかっただけです。貴女も……美能でさえも」


 美能の名を口にすると、神条は僅かに眉根を寄せる。やはり神条の件には美能も一枚噛んでいるらしい。


「君も美能くん側……ううん、その言い方だと美能くんとは敵対してるみたいだね」

「敵対はしていませんよ。気が合わなかっただけです」


 蘭華がじっとりと冷ややかな視線を向けてくる。嘘は言っていないのだから、取るに足らないことだ。美能は俺を敵視しているだろうけどな。

 そこまで説明する必要もないので、蘭華は無視して話を続ける。


「貴女の方は美能を敵視しているようですね。丸山のバックに居るのが美能ですか。貴女が丸山に対応できなかったのもそれがひとつの要因ですかね」


 否定しない様子を見るに、当たらずとも遠からずってところか。

 美能が"金星の女神"に関与していることから、てっきり神条と美能が手を組んでいるものだと思っていたがそうではないらしい。

 ともなれば、まだ救いようはあるかもしれない。

 彼女の改心次第にはなるけどな。


「やはり貴女が丸山に遅れを取ったのは、握られた秘密が大き過ぎたことが原因ですか。相当な悪さをしたんでしょうね」

「誰だって人に知られたくない秘密はあるよ。その秘密をチラつかせて脅されたらどうしようもないんだよ」

「貴女に悪かった点は一切ないと?」

「……そうだよ。私は被害者なんだから」

「丸山を激昂させたせいでこんな事態に陥ったわけではないと言い切りますか」


 神条は一瞬言葉を詰まらせ、否定の言葉を口にする。やはりそうか。

 聞いていた丸山の印象は、良くも悪くも地味で大人しい生徒だった。俺から見た第一印象も同じだ。

 自ら人に話しかけることも話の輪に入ることもできない。それが原因で恋人契約を結ぶことが叶わなかった生徒。

 ましてや他者の弱みを握って、脅して、自身の利のために利用することなど到底できやしない。

 そんな彼が変わったのは、美能の介入も当然あるが、何より彼が変わってしまうほどの悪行を神条が犯してしまったからという点が大きい。


「恨みを買うほど彼を傷つけたとなれば、その原因は──」

「待ってよ。どうして私が悪いって話で進めようとしてるの?」

「それが真実だからですよ。丸山への裏取りは済んでいます。何ならここへ呼びましょうか?」

「それは……」


 丸山とはカフェで見えて以降一度も接触していない。

 完全にハッタリではあったが、神条について念入りに調べていた俺が言うからこそ嘘であっても真実味は増す。

 可能性が0と1ではその意味合いは大きく違う。

 1%でも可能性があるのなら、その疑いは警戒心や想像によって増幅され、50にも100にもなりうる。

 俺と丸山に接点がないと言いきれない以上、神条は俺の言葉を否定できない。悪魔の証明と同じだ。"無い"ことの証明は人が考えているよりも容易なことじゃない。

 それでも俺の発言が嘘偽りだらけのデタラメであったなら、神条はもっと強気に出られたはずだ。丸山を呼んで証言させてみろ、そんな事実はなかった、とな。

 それができないのは彼女にも思い当たる節があるからだ。事の発端は神条が丸山を裏切った、あるいは傷つけたことにある。

 神条が否定しないこの現状がそんな俺の想像の証明になる。


「……なかった」


 急に声のボリュームを落とした神条の言葉を聞き逃す。

 項垂れてくぐもった声をさらに絞り、弱気な声色で呟く。


「仕方なかったんだよ……私と契約を結んだことで、彼があんなに変わってしまうなんて思わなかったから……」


 今度はハッキリと聞こえる。雨音や隣室の歌声に掻き消されない声量であるあたり、俺たちに聞こえる程度のボリュームに調整しているような気がする。

 胡散臭い演技だ。本気で苦しんでいる気持ちを訴えるのなら、そこまで気を回す余裕はないはず。

 蘭華も俺と同じ結論に至ったようで、同情とは違う冷ややかな目を神条に向けている。


「辛かった。苦しかった。ここ数ヶ月、ずっと彼に脅されて……それなのに、なんで私がそんな言われ方しなきゃならないの……」


 顔を上げた神条の目元が僅かに湿っていた。

 今度は泣き落としか。その手札の少なさにうんざりするが、口を挟まずに黙って耳を傾ける。

 どうせ丸山の処遇も決めなければならない。事情を知っておけば今後の糧になると判断してのことだ。


「あくまで貴女は被害者だと?」

「……そうだよ。私の過去をネタにして、恥ずかしい写真をいっぱい撮らされた。ノルマだとか言って、1日に何枚も何枚も。私は丸山くんの言いなりになるしかなかった。仕方なかったんだよ」

「特別棟に出入りしていたのもそのせいですか」

「彼の要望は次第にエスカレートして、学校に居ても写真を要求してくるようになったから。断れなくて、人通りのない特別棟で写真を撮った。君と出会ったのもその時だよ」


 この言葉に嘘はなさそうだ。

 人は一度タガが外れると歯止めが利かなくなり、悪い方へ悪い方へと突き進んでしまうものだ。

 気がつけばあっという間に戻れないところまで来てしまう。

 きっかけは神条にあったのかもしれないが、丸山の行いは許されない。審議の余地はないな。

 成り行きではあるが、丸山の裏にいたと思われる美能も押さえてある。生徒会へ報告すれば後ろ盾を失くした丸山の方は簡単に片が付くだろう。

 だが、それはそれ。神条の話が真実だろうと関係ない。

 結局彼女の話は丸山が変わった理由には言及していない。丸山と契約を結んだ結果、契約によって暴露されたネタを元に丸山に脅されたと言っているだけで、そのネタを割ろうとしていないんだ。

 意図的なのか防衛本能のようなものか。いずれにせよ、そこに至った理由を解明しなければこの問題は解決しない。

 神条にこれ以上主導権を与えても問題の根幹に触れることはないだろう。

 まだ話し足りない様子の神条が思いの丈を口にする前に先んじて手を打つ。


「それで、丸山が知ってしまった秘密とは?」

「……言えないよ。私は君を信用してない。君だって丸山くんみたいになるかもしれないって思うと怖いんだよ」

「では確認しておきますが、丸山が変わってしまったのは貴女に原因があるのではなく、秘密を知った丸山が勝手に変わってしまったということですかね」

「そうだよ。私は被害者なんだから」


 自分は被害者だと主張を続ける神条。丸山であっても神条の業は暴露しないと踏んでいるのか、俺では暴けないと確信しているのか。その両方か。

 現に俺は彼女の業については何も知らない。憶測でしか話せない。先程までの半ば確信があった話とは全く異なる。これから話すのは全てが俺の妄想で、裏付けや証拠なんて何も用意していない。可能性を1つずつ潰し、残された選択肢で最も可能性が高い理由を導き出したに過ぎない。

 だからこそ、ここからは慎重に言葉を選ぶ必要がある。


「貴女は少女漫画が好きだと聞きました。少女漫画のような恋愛に憧れているから普通の恋愛には踏み込めなかった。そのせいで誰とも契約を結べなかったと」

「そうだけど……何を今更」

「少女漫画と言えば、真っ先に思い浮かぶのは純情なラブストーリーでしょう。俺もそうでした。貴女は少女漫画のような運命的な出会いを求めていると思い込んだ」

「天沢くんの言う通りだよ。私のことを知らない誰かと偶然に知り合って、少しずつ愛が深まっていくような恋愛がしたかった。この学校じゃ有名になりすぎて、そんな夢は叶わなかったけどね」

「俺が言いたいのはそうじゃない」


 強く否定の言葉を述べると、自嘲的な笑みを浮かべていた神条はピクリと眉を動かした。


「じゃあ、何が言いたいの?」

「最近少女漫画を借りる機会がありまして、空いた時間にいくつかの漫画を読みました。純情なラブストーリーは勿論、中には重い話も存在して、少女漫画と一括りにしてもそのストーリーは恋愛一辺倒ではないのだと面白く読ませていただきました」

「えっと……何の話かな? 作者によって伝えたい思いは違うんだから、ストーリーが違うのは当たり前じゃないの?」

「そうですね。当たり前ですが、見落としがちな部分です。少女漫画に憧れたと聞けば誰もがハッピーエンドを望んでいると考える。しかし、その前提が間違っていたんです」


 神条は少女漫画のような恋愛に憧れている。その話を聞いたのは喜一からだった。さらに元を辿れば、神条と1年次から仲良くしていた男子弓道部のマネージャーから得られた情報だ。

 その女子生徒やさらに前の生徒たちが全くの想像で噂を吹聴していない限り、噂の情報源は神条本人以外にありえない。

 誰かにポロッと口にしてしまった話が広まった。最初はそう考えていたが、どうも納得できない。

 運命的な出会いを求めている彼女が噂そのものを否定しない点だ。

 そんな噂が広まってしまえば、当然ながら神条な知名度はさらに上昇し、偶然の出会いなんてとてもじゃないが成立しなくなる。上級生全員が知っているほど広まってしまう前にどうにか収めようと行動してもおかしくない。

 しかし、彼女の場合は逆だ。今も彼女は噂について否定する様子はなかった。まるで噂が流れることを迎合しているように。

 そこから俺は1つの仮定にたどり着いた。

 この噂は神条がわざと流したものではないか。真実を隠すための隠れ蓑として用意したフェイクニュースではないか、と。


「俺が読んだ中には悲しい話も少なくなかったんですよね。中高生の少女の闇とでも言いますか。援助交際やいじめの話。気分を害しながらもその生々しさについ感情移入してしまいまして」

「だからそれが」

「中でも目を惹いたのは、とある少女のエゴに関する話でした」


 神条の声を遮り、命題を投げかける。

 目を見開き、定まらない視線を動かし、明らかな動揺を見せる。

 いくつか候補はあったが、やはりこれが彼女の本質らしい。


「自己肯定感、承認欲求とでも言いますか。知り合いに似たような人がいまして、どうしても姿が重なって見えたんですよ。自分の存在意義を示すためなら他者を利用することさえ厭わない。他人が傷つこうとも自分の存在が認められるならそれで構わない。そんな身勝手で自惚れた人間の悲しい話です」


 俺は喜一の姿を重ねていたが、彼女は違ったことだろう。

 他の誰でもない自分自身にその姿を投影し、強い苦しみに苛まれている。そんな表情をしていた。

 類は友を呼ぶとは言うが、2人は案外──いや、よそう。

 これから学校を去る者に希望を与える必要はない。諦めた人間に夢を見せるほど酷な話はないのだから。

 何より、この手で彼女を追い詰めておいて手を差し伸べる資格が俺にはないんだ。

 彼女の心境を思うと心苦しくもあるが、余計な感情は心の奥底に押し込める。


「思うところがあるようですね」


 そう声をかけると、彼女はハッと我に返り慌てて平静さを取り繕う。


「そ、そういう話もあるんだね。私はハッピーエンドの物語しか読まないから知らなかった」

「三文芝居はもう充分ですよ。貴女は承認欲求の塊のような人だ。人に好かれたい。良く思われたい。それが貴女の本質であり、貴女を歪めてしまった原因です」

「ち、ちがっ」

「違いません……とは言えないですね。これは俺の想像でしかありません。生徒会が貴女を疑っていたから俺も疑う。その前提に成り立っている暴論でしかない。認めるも否定するも自由です」


 閉口した彼女に選ぶ権利を与えた上で俺は続ける。

 人の気持ちを正しく知ることはできない。それでも相手の気持ちに寄り添い、理解しようとすることはできる。

 それが最悪の結果に至ろうとも。彼女の未来を救うために今の彼女を傷つけることになっても。


「貴女の根幹にあるのは人に認められたい、自分を満たしてほしいという強い欲望だと思っています。貴女の容姿はその欲望を満たすには充分だった。貴女はその恵まれた容姿を利用し、近寄ってくる異性の告白を受け続けた」

「ちょ、ちょっと待って」


 口を挟んだのはこれまで黙って話を聞いていた蘭華だった。

 思わぬ横槍に鋭い視線を送ると、彼女は恐怖に身を強ばらせながらも思っていることを口にする。


「お、おかしくない? だってさ、神条さんって誰とも契約を結んでなかったから丸山と契約したんでしょ?」


 それも含め俺の考えを全て話すつもりだったが、どうも気になって仕方がなかったらしい。

 黙っていることが苦手なところは直してほしいものだ。まあ、手間が省けたと思えばいいか。


「契約を結ばなくても付き合うことはできる。当然のことだろ」

「メリットがないじゃん。この学校じゃ契約結べばいろんな恩恵が受けられるんだよ?」

「元々恋愛はメリットを目的として行われるものじゃないだろ。それに、その恩恵を超えるメリットが彼女にはあったってことだ」

「じゃあ噂は? 氷の女王だっけ? 告白を全部断るとかで変な噂流されてたじゃん」

「それは彼女にとっても想定外だっただろうな。だから次の手を打ったんだ」


 もういいか?と諌めると、蘭華はおずおずとした態度で引き下がる。

 改めて神条に向き直り一言詫びを入れると、今度は彼女から質問が飛ぶ。


「君の考え、聞かせてもらえる?」

「ええ、そのつもりです」


 どこか遠くを見つめるような朧気な瞳。無気力な姿勢にとある可能性が頭をよぎるがここは飲み込む。

 もしもその可能性が的中したところで俺がやることは変わらないからだ。

 神条紗耶を追い詰め、俺の手で退学へと導く。

 それが彼女を救う唯一の方法であり、俺にできるせめてもの餞だ。

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