18.交渉決裂
蘭華と視線を交わすと、神条は訝しげに目を細めた。
それも一瞬のことですぐに普段の凛々しい相貌へと戻る。
「まだ話があるの? 私の気持ちは全部話したつもりだけど」
「今の話をありのまま受け入れるなら、喜一とはきちんと向き合うと捉えていいんですかね」
「そのつもりだけど……嫌な言い方だね。まるで私が信用されてないみたい。岩下くんを弄ぶ気だと思うの?」
「そう言ったんですが、伝わったようで何よりです」
俺が答えると、神条は露骨に不快感を示す。
「天沢くんって、ちょっと性格悪い?」
「その認識は訂正しておきます。俺はとても性格が悪いと思いますよ」
「自分で言うんだ」
親友の願いを切り捨て、俺の目的のために動こうとしているんだ。性格が良いとは言えない。
「先輩も似たようなものでしょう。結局、問題の根幹に踏み込もうとはしなかったんですから」
神条はピクリと眉を動かした。わかりやすくて助かる。
彼女は喜一との出会いを運命だと結論付け、喜一と本気で向き合うと言った。
喜一が聞いていれば狂喜乱舞し、彼女の言葉全てを鵜呑みにしていたと簡単に想像がつく。
だが、俺には違和感が残った。蘭華も同じだ。
もしも本当にそう思っているのなら、触れなければならない問題が残っているはずだからだ。
「先輩。喜一と向き合ってくれるのは嬉しい話です。腐れ縁とはいえ親友ですから、結果がどうなろうと俺は最後まで見届けるつもりです。その代わりにひとつ聞いてもいいですか?」
「……いいよ」
「先輩は喜一と契約を結ぶつもりはありますか?」
俺がこの疑問に至ると思っていたのだろう。驚きはなかった。
少し間があって「あるよ」と答える。
蘭華でなくともわかる。今の間は切り替えだ。嘘と本音の区切りだ。
嘘に慣れていない人間ほど嘘をつくことへの躊躇いは大きくなり、会話に少しのラグが生まれる。
「残念ながら俺は喜一と違い、神条先輩の言葉を鵜呑みにするつもりはありません。先輩は契約を結ばないと思っています」
「……酷い人だね。私がどう答えるか見るためだけの質問だったんだ」
「その通りです。俺も無策でこの場に臨んでいるわけじゃないですからね」
神条は喜一と恋人契約を結ばない。その確信に至るのは簡単だった。
「俺は、恋人契約には公表されていない裏があると見ています。知られたくない過去。暴かれたくない裏の顔。貴女は丸山と契約を結んだことで、貴女の情報は丸山に筒抜けになった。それをネタに丸山から脅されている。丸山の強気な言動と貴女の反応からここまでは間違っていないと確信しています」
神条は否定も肯定もせず沈黙を貫く。
否定したところで何も変わらない。俺が考えを曲げることはないし、真実を嘘で塗り固めるのはとても難しいと理解したからだ。
とはいえ彼女には肯定もできない。それは、先程俺たちが抱いた違和感を肯定することと同じだからだ。
そうして出した結論が沈黙。何も言わなければ俺たちの勘違いで片付くとでも思っているのだろう。
しかし、沈黙は時に語るより雄弁。この状況で黙るという選択こそ、肯定しているのと同義だ。
「丸山に弱みを握られた貴女がそう簡単に他者と契約を結ぶとは思えない。そうでなくとも、貴女は喜一と契約を結ぶつもりはないと見ています」
「……そんなことないよ。岩下くんのことをちゃんと好きになればその時には」
「1年次に誰とも契約を結ばなかった貴女が?」
「それは……私は少女漫画に憧れてて」
「その話は知っています。それが貴女の業に関係しているであろうことも」
神条はハッと息を飲む。どうして知っているのかと言いたげな目だ。
蘭華でさえ驚きを隠しきれていない。当然だ。これは俺の憶測でしかなかった。
カマをかけた程度だったが、神条の反応を見るに当たっていたらしい。
交渉するなら今だな。動揺している相手ならこちらが優位に話を進められる。
「ひとつ、交渉しませんか?」
「交渉?」
「はい。貴女にまつわる厄介事、問題については確信を持って説明ができます。ですが、わからないこともあります。問題の根幹にある貴女の業──恋人契約によって丸山に知られた貴女の過去についてです。その内容を教えていただけませんか?」
どれほど外堀を埋めようと、その核心には迫れない。
これまでの情報から予想することはできるが、裏付けのしようがない。
こればかりは校外へ赴き彼女の過去を探るか、本人から聞き出す、あるいは契約を結んでこの目で確かめるしか方法がない。
しかし当然ながら神条が素直に聞き入れるはずもない。
「素直に話すと思う?」
「思いません。だからこその交渉です」
俺は学校から配布されたスマホを取り出し、蘭華にもそうするよう指示を送る。
テーブルに並んだ2台のスマホ。神条にはその交渉の内容すら不透明な様子だが、蘭華はどこか達観して俺たちを見守っている。
多少なりとも俺のことを理解し、これから話すことも黙って受け入れるつもりだろう。いや、断れないから諦めているだけか。
「これから俺たちは恋人契約を結びます」
スマホを両手に持ち、操作を開始する。
神条は驚きに満ちた声を上げたが、それ以上の反応を示したのは蘭華だった。
「ちょ、ちょっと待った! あんたマジで言ってんの?」
「ああ。それを承知の上でスマホを渡したんじゃないのか?」
「違うから! そんなの聞いてないし! 私が祈織と付き合うってこと?」
「嫌か?」
「い、嫌とかじゃないけど……いきなりすぎるって言うか……」
蘭華は何故か顔を赤らめ、歯切れ悪く言葉を濁す。
「まあ安心しろ。契約を結ぶだけで付き合うつもりはない」
「あんた馬鹿でしょ。どこに安心するの? その方が嫌なんだけど?」
「お前の仕事は俺のサポートだ。どの道拒否権はないだろ。必要経費として割り切ってくれ」
「そ、そうなんだけどさ……ああもう! 好きにすれば!」
言われなくともそのつもりだ。
話が逸れたが、俺は改めて2台のスマホの画面をそれぞれの手で操作し、契約締結の画面で手を止める。
俺たちの会話を冷めた目で見ていた神条は、先程よりも冷たい声で言う。
「実際に恋人契約を結んで、本物の恋人のあり方でも説くつもりかな?」
「これが交渉材料です。貴女から業の内容を暴露してもらう代わりに、俺たちは2人分の業を提供します」
「天沢くん。それは交渉にもならないよ。私にメリットがないよね」
「ありますよ。俺たちの弱みを握ることで、貴女はこれからも自由に学校生活を送れます。俺たちが貴女について探ろうものなら、この内容をチラつかせて黙らせればいい。丸山と同じように」
そこまで言うと神条は少し考える素振りを見せた。
実際に契約によって暴露される内容が俺たちの抑止力となるかは、見てみなければわからない。
もしかするとくだらない内容が綴られているだけかもしれないし、俺たちが一切手出しできなくなるほどの深い闇が刻まれているかもしれない。
こちらから提供する情報を2人分にしたのは神条が直接契約を結ぶ必要がないと同時に、もし一方でも人に知られたくない内容が書かれていた時に効力を発揮するからだ。
俺の業が深ければ、当然俺は身を引くしかない。蘭華の業が深くても俺が神条に接近することを蘭華が止めることになる。
俺たちの関係性を見ていれば、どちらに転んでも神条の自由を妨げる障壁がひとつ減ることになるのは間違いないと彼女も気付いただろう。
しかし神条は薄く笑って拒否を示した。
「やっぱり断るよ。私が自分のことを話す必要はないから。天沢くんがここまでするってことは、私の弱みは皆目見当もつかないってことだよね。だったら、私は沈黙を通す方が得になると思うよ」
「そうですか。残念です」
やはり思った通りの結果になった。神条の業はそう簡単に人に話せる内容じゃない。これから先、喜一と契約を結ぶとも思えない。それがわかっただけで充分だ。
スマホを蘭華に返すと、彼女は慌ててスマホの操作を始めた。万が一にも俺が操作ミスをして契約を結んではいないか気が気じゃないのだろう。
ほっと一息をつく蘭華を他所に、俺は神条へと向き直る。
「さて。最後の話をする前に勘違いを正しておきましょう。今の交渉は決して俺に得のある交渉ではありません」
「私にメリットがあるってこと? さっきも言ったけど、そうは思えないよ」
「貴女がどう思うかは自由ですが、今の交渉は呑んでおくべきでした。それが貴女の最後の砦であり、退学を凌ぐ唯一の道だったんですから」
「天沢くんは冗談が下手だね。人を傷つける冗談は口にするべきじゃないよ」
「では、冗談ではないと証明しましょうか。貴女の業と共に」
神条の体が強ばる。今更身構えたところで何も変わらないのに。
神条の業は他の誰よりも重く、罪深い。それこそ、この学校に在籍するに相応しくないと断定される程度には。
生徒会が丸山ではなく神条を探っていたのも彼女の言動に違和感を持ったからだ。
恋愛に理想を抱いているから契約を結ばなかった。そんな言い訳では通用しない業が、彼女の思惑がそこにある。
俺はこれからそれらを暴き、彼女を追い詰める。
話を切り出そうとしたその時、危機を察してか神条が先に口を開いた。
「天沢くん。君は何者なの? 君は岩下くんの友達で、彼の相談に乗っただけじゃなかったの?」
「貴女の言う通りですよ。俺は喜一の親友として、貴女が喜一に相応しい相手か確かめているだけです」
「確かめるって……あまりにも不躾じゃない? こんなに詰問されて岩下くんと付き合うと思う? 君のやってることは岩下くんの邪魔でしかないよ」
その通りだ。俺は喜一と神条に契約を結ばせるつもりはない。
俺のやるべきことは、歪んだ恋愛観や間違った愛情の矛先を正しく導くことだ。
神条の恋愛観は狂ってしまっている。そんな彼女に目をつけた喜一の判断は間違っている。
俺はそれらを正し、あるべき道へ誘導しなければならない。
それが俺の背負う業であり、俺が導き出した最上級の享楽である限り。
「歪んだ恋愛観を持つ貴女に喜一は相応しくない。それだけの話ですよ」
「随分な物言いだね。流石の私も傷付くよ。評価じゃ私の方が上なのにね」
「確かに評価の通り、美人だとは思いますよ。性格は別ですけど」
「それが君の勘違いだと伝わればいいね」
雑談に興じたところで時間稼ぎにもならない。
神条もようやく理解してくれたようで、諦めて話を切った。
いよいよこの恋愛物語も終幕だ。最悪の幕切れとなるか、はたまた……。
俺は一呼吸挟み、幕に手を伸ばした。
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