16.金星の女神

 ラグジュアリーを抜けてストリートへと抜ける。

 土曜昼のストリートともなると、その生徒数はラグジュアリーの比じゃない。友人グループ。カップル。俺のように個人で遊びに来ている生徒も少なくない。

 ここまで来ると俺の格好も不自然ではない。いや、少し服装に気を遣っている分、1人で歩いていると『1人なのに無駄にお洒落している残念な男子』くらいには見られるかもしれないな。

 人の往来が激しい中央通りを避け、比較的人が少ない路地に入る。

 蘭華と表を出歩くのは避けたいな。誰に隠すことでもないが、蘭華は目立ち過ぎる。2人で話しているところに外部から声をかけられても面倒だ。

 目立たず、他人からの介入がなく、できれば衆目の元に晒されない場所が好ましい。


「あ、そういえば……」


 ちょうど良い場所を思いつき、蘭華に集合場所の変更を伝える。

 ついでにもう1件ショートメールを返信して、俺は目的地へと足を向けた。



 軽快な音楽と高い女子生徒の声が隣の部屋から響く。

 防音の部屋とはいえ、マイクを通せばその声は廊下にも隣室にも聞こえてしまう。

 逆に言えば、これほど周囲が騒がしければ、多少聞き耳を立てたところで会話を聞かれる心配はない。

 先日、東雲に密会場所として教えてもらったカラオケボックスだったが、まさかこうも早く利用することになるとは。

 蘭華に部屋番号を伝えると、数分もしないうちにノックの音が聞こえ、返事をする間もなく扉が開く。


「やほー。お待たせ」

「早かったな」

「いやー、ほんとはもっと早く着く予定だったんだけど、ちょっと抜け出すのに手間取っちゃってさ」


 一応釘をさしておいたはずだが、アインスで何か問題に巻き込まれたのかと不安がよぎる。

 が、蘭華はにこにこと笑って頭を搔いた。


「着替えは秒で終わらせたんだけどね。最後に一応挨拶しなきゃかなって思ってフロア覗いたら、ガチで空気やばいの。マジ北極、みたいな? バイト辞めますって言いにくかったから退職届だけ置いてきた」

「律儀だな」


 たかが潜入のために入ったバイトに退職届まで用意しているとは。いちいちマナーを重んじるような関係性でもないだろうに。

 いや、しっかりと退職の意志を示したのはファインプレーかもしれないな。勝手な退職を理由に後々蘭華が巻き込まれても面倒だ。

 まあ、どんな手立てを企てようと、蘭華に手を出すなら容赦はしないが。

 蘭華は対面に座るなり、注文用端末に手を伸ばして器用に操作する。


「てか、何かやったっしょ? 着替える時すごい音聞こえたんだけど」

「美能が転んだんだ。あれは痛そうだった」

「絶対嘘じゃん! あんたまさか、美能を殴ったりしてないよね?」

「まさか。俺がそんなヘマをすると?」

「祈織ってばたまに抜けてるとこあるからねー。鈍感ってか、前しか見えなくなるっていうの? さっきだって、祈織イライラしてんなーってわかったから。結構感情任せなとこあるもんね」

「なんだ、気付いていたのか」

「途中からだけどね。連絡もせずに急に店に来るし、美能が言ったこと簡単に認めちゃうしでほんと焦ってたし」

「蘭華から情報を得ていたという推理は正しいからな。ただ、先の恋愛相談の解決と情報源を短略的に結びつけてしまったのが間違いだった。その程度の推理なら東雲だってたどり着いているはずだ。だが、重要なのはその先。俺とあの人の繋がりに気づけるか、というところにある。美能ならあるいはと思ったが……所詮は戯言だったな」

「ふーん。祈織が本気で相手するには役不足だったって感じ?」

「そんなところだ」


 俺は体育祭である人の恋愛相談を解決し、結果として情報源となる蘭華との接触を果たした。

 しかし、それとこれとはまた別の話。蘭華が俺に相談を持ちかけたわけじゃない。

 そこから先へ進むには、蘭華についても調べる必要があった。

 美能はそれを怠った。いや、自分の推理が正しいと信じてやまなかった。

 俺よりも美能の方が優れていると。俺を警戒しながら格下として甘く見ていた。

 蘭華にたどり着けるように俺がわざとヒントを出したとも知らずに、自分の力で見抜いたと驕った。

 だから俺は美能を切り捨てた。彼は俺の過去を暴く脅威にはなり得ない。危険を犯してまで俺の味方につけておく必要が無いと判断した。

 彼程度の相手なら、副会長の座から引きずり下ろすのも容易だ。生徒会に入るなら、当初の予定通り進めればそれでいい。


「なんか、ちょっと落ち込んでる?」


 表情に出したつもりはなかったが、蘭華は何を思ったかそう尋ねてきた。

 彼女は社交性と容姿でSランクを獲得した逸材だ。

 明るく派手な見た目で人の目を惹き、その笑顔と振る舞いに誰もが一度は魅了される。

 もっとも、俺が彼女を協力者として受け入れたのはそこではない。

 特筆すべきはその洞察力だ。

 普通なら気付かないほどのちょっとした仕草。視線の移動。表情の変化。声の抑揚。

 そうした細かい点も彼女は絶対に見逃さない。

 そしてそれは、人間関係の構築においても強い武器となる。

 誰が誰に好意を抱いているか。逆に敵意を抱いているか。人が知られたくないこと、隠そうとしていること。逆に、その人が見てほしい部分や知ってほしいこと。

 人間関係を円滑に保つためには、人の気持ちや感情の変化を鋭く察知しなければならない。俺が持っていない、彼女の唯一無二の長所だ。

 俺が他人の恋愛の協力に興じる時、彼女の目は必ず役に立つ。

 何より、彼女がその気になればいつでも俺の隠し事を暴ける。目から得られる情報戦を得意とする彼女を止める手立てはない。

 今もこうして自分でも無意識だった表情の変化に彼女は気付いた。敵にするには厄介が過ぎる。


「ああ、少し残念だと思ってな」

「美能とあの店の繋がりがわかんなかったから?」

「それもある。が、美能が俺の期待に届かなかったから、というのが大きい」

「……あんた、もしかして美能側につこうとしてたの?」

「そんな未来もあったかもしれないな。彼が俺よりも優れていて、彼の企てが面白いと判断したら俺は美能の下で動くつもりだった」

「あんたねぇ……享楽主義も程々にしてよね」


 俺の思惑をはっきりと告げると、蘭華は呆れたようにため息をつく。


「てかさ、美能の方は大丈夫なの? あのままだと学校にチクられるかもよ」


 不安そうな蘭華に「それはない」とはっきり否定しておく。


「美能は負けず嫌いなタイプだ。俺に負けたまま引き下がるようなやつじゃない。ましてや学校に言いつけたところで、美能が苦渋を舐めておわることに変わりないからな」

「そんなもんかなー。じゃあさ、やり返しにくる可能性はあるってこと?」

「そうだな。それで俺よりも優れた相手だと判断したら、美能につくのも悪くないかもしれない」

「ちょっとちょっと、冗談でしょ?」


 まあ、半分は冗談だな。

 結局美能の目的もわからないまま終わってしまったし、それがわからない以上は美能に従うこともできない。

 ただ、美能が俺と目的を同じとするなら……そんな未来もあるのかもしれない。

 俺が否定しなかったことで半ば信じてしまった様子の蘭華は大きくため息を漏らす。


「祈織には感謝してるし結構好きなタイプだけど、ひーちゃんと敵対するなら私はついて行かないからね」

「俺もまとめて相手をするとは言わないのか」

「無理無理。美能の理想は叶わないと思うけど、あんたが力を貸すなら止められっこないし」

「過大評価だな。俺は大したことはしていない」

「あんたはそう言うけど、ひーちゃんの願いを叶えた祈織の功績は大きいよ。今回の件だって、もうすぐ解決しちゃうんじゃない?」

「それはどうだろうな。喜一から経過報告を受けたが、神条先輩の秘密については聞けなかったらしい。丸山と何があったのかもわからないままだ」

「でも、予想はついてる。だから私を呼んだんでしょ?」


 やはり蘭華に隠し事はできないな。俺は他者より表情に乏しいという自覚があるが、それでも彼女には筒抜けらしい。

 学力はCと奮わないが、自分の武器を利用して相手の思考を読み解くだけの頭脳は備えている。

 敵対していたと想像するだけで億劫だ。偶然の出会いに感謝する他ないな。


 蘭華の言う通り、俺はこれまでの情報である程度解決までの道筋を想定している。

 神条先輩と丸山の一件。東雲を使った生徒会の介入。そして、美能の行動の真意。

 バラバラに見える全ての事象は繋がっていると俺は予想している。


「ひとつ聞いておきたいんだが、美能とアインスには何の繋がりがあるんだ?」


 美能はよくアインスに足を運んでいた。

 俺は1ヶ月半ほど前に美能のことを知って、調査のために蘭華をアルバイトとして潜り込ませた。

 蘭華からの報告では、アインスの従業員は蘭華をと店長を除いて6名。昼のカフェに生徒が2名と夜のクラブに成人が4名の内訳だ。


「アインスの従業員が全員うちの生徒と卒業生だけで構成されてるのは知ってるよね」

「ああ。店長の諸岡は怪しいところだが」

「あれでもここのOBらしいよ。この学校にいた時はSランカーの1人だったんだって。超自慢してた」


 あれでも卒業生だったのか。なんと言うか、美能に似て直情的なのかもしれない。美能が諸岡に似たと言うべきか。

 先程の光景を思い出しながら、ふと蘭華の言葉に引っかかるところがあり端末を手に取る。


「調べなくても、店長の今の容姿の評価はAだよ。なんか、生徒同士の恋愛を推奨するために従業員は最高でもAまでしか取れないみたい」

「まあ、当然と言うべきか」


 これは東雲がカラオケボックスで零していた話から気付いたことだが、この学校で働く従業員には生徒と同じく端末が配られ、その評価も端末から確認できるようになっていた。

 学校のホームページから従業員一覧の項目を開かなければ見られない、それこそ知る人ぞ知るマル秘情報と言える話。

 今にして思えば、東雲は俺にこの情報を掴ませるためにわざとあの話をしたのかもしれない。

 彼女は美能側の人間なのか。それとも……。

 まあいい。東雲のことは後回しだ。


 今ある情報を頼りにアインスについて考察するなら、顔が良い女性を集めた店という話で終わってしまう。

 それでは美能が足繁くアインスに通っていた理由に繋がらない。

 店長と旧知の仲だから、で片付く理由でもなければな。


「それで、美能とアインスの繋がりは?」

「はいはい。そんなに急かさないでよ。ちゃんと教えるから」


 蘭華は俺を窘めるように言うと、注文用端末をテーブルに置いて姿勢を正す。


「結論だけ言うなら、美能とアインスの繋がりはわかんなかったんだよねー」

「……」


 真面目な話かと思い俺も背筋を伸ばしたが、拍子抜けな結果に肩の力が抜ける。

 俺の態度が気に食わなかったのか、蘭華はムスッと頬を膨らませた。


「そ、そんな目しなくてもいいじゃん。私警戒されてて重要なこと何も話してくんなかったんだもん」

「……今日は労いも兼ねて俺が奢ろうと思ったんだけどな」

「マジ? じゃあパーティーセット頼んじゃお」

「おい」


 勝手に追加注文をしようとする蘭華から注文用端末を奪う。

 俺も金欠なんだ。この程度の情報で全額負担するほどの余裕はない。


「祈織のケチ。もう何も教えてあげないから」

「他に情報があるのか?」

「さあねー。ケチな人には教えなーい」

「……わかった。内容によってはパーティーセットだろうとソフトクリームの食べ放題だろうと頼ませてやるから教えてくれ」

「えー? 仕方ないなぁ」


 人の気持ちは簡単には図れないが、蘭華はわかりやすくて助かる。

 こういう時の彼女はちゃんと報酬に見合う成果を挙げている。

 1000円ちょっとで情報が得られるなら安いものだ。

 注文用端末を返すと、彼女は目を輝かせてメニューを漁りながら言う。


「"金星の女神"って覚えてる?」


 その一瞬、体が硬直したのが自分でもわかった。

 蘭華がメニューに夢中だったのは運が良かった。彼女が俺を見ていれば、すぐにその違和感に気付いただろう。

 大丈夫だ。俺がこの程度で狼狽えることはない。

 ピコピコと緊張感のない音が耳に届き、すぐに冷静さを取り戻す。


「ああ。一時期ニュースになっていたからな」

「恋愛社会が推奨され始めて、急に信徒を増やした新興宗教。って、私はそれくらいしか知らないんだけどね。諸岡の話では、アインスの従業員は皆その熱狂的な信者だったらしいよ」

「今は廃れた宗教の信徒たちによる店か」

「うん。ま、それが何だって思うかもしれないけど」

「そうだな。あまり役には立たなさそうだ」

「そっかー。諸岡が誰にも話すなって念押ししてきたから大事な情報かと思ったんだけどねー」


 蘭華は残念そうにそう言いながらも端末から手を離す様子はない。情報は持ってきたんだからその対価は払ってもらうということだろう。

 別に構いやしない。それどころか、この情報は数千円で手にするにも安すぎるほどの価値がある。

 この学校でその名を耳にするとは思わなかった。蘭華は期待以上の成果を挙げてくれた。本人はこの情報の価値をわかっていないらしいけどな。

 これで美能の謀略の全貌が見えた。アインスとの繋がり。あの店で働く従業員たちの共通点。それらがひとつの線に繋がっていく。

 偶然ではあったが、蘭華をアインスに送り込んだのは結果的に正解だった。

 これが蘭華以外の生徒であれば、採用を見送られていた可能性が高い。

 とはいえ、美能が何を企んでいたところで今は関係のない話だ。いずれ動き出す時は来るだろうが、一度折れてしまった心はすぐに修復することはできない。

 もう一度動いたところで俺が潰す。金星の女神と繋がりがあるとなれば尚更だ。


 しばらく端末を操作していた蘭華は、ようやく注文内容を決めたのか端末をチャージャーに戻す。


「祈織はこれからどうすんの? 私は何を手伝えばいい?」

「俺はこの後やることがある。蘭華にも手伝ってもらうかもしれないが……」


 蘭華は体育祭の日を境に積極的に俺の協力者となってくれている。

 神条先輩の情報収集。美能とアインスの調査。

 どちらも彼女の功績なしに真相にたどり着くことはできなかっただろう。

 おかげで今表面化している問題はほとんど解決した。

 スマホで時間を確認する。約束まで随分と余裕があるな。

 美能の件が思いの外早く片付いてしまったからか。

 この後蘭華には無理を強いることになるだろうが、たまには休息の時間も必要だろう。


「まだ時間がある。せっかくだしカラオケでも楽しむか」

「えっ! いいの?」

「ああ。実はカラオケで歌うのは初めてなんだ。経験しておくのも悪くないと思ってな」

「カラオケ初めてとかマジ? 中学ん時友達とかいなかったわけ?」

「……いたけど」

「絶対そうじゃん! 仕方ないなぁ……お姉さんがカラオケの楽しみ方を教えてあげよう!」


 嬉々として俺を憐れむ蘭華はマイクとデンモクをテーブルに並べた。


「最初はやっぱ盛り上がる曲からだよねー。そういや祈織って普段音楽とか聴くの? 全然想像できないんだけど」

「……クラシックとジャズくらいは」

「いやそれカラオケ関係ないじゃん! あんたほんとに高校生?」

「甘いな。どちらもカラオケで配信されている」

「いやいや、そんなわけ」


 あるんだな、それが。

 ビゼーの『カルメン』やモーツァルトの『フィガロの結婚』には歌詞が存在する。

 ジャズにも有名な洋楽が多数あり、カラオケに収録されているものも多い。

 デンモクを操作して『フィガロの結婚』を入れると、モーツァルトの名を見て「うそっ!」と声を上げた。

 しかし……困ったな。曲を入れたからには歌うしかないのだろうか。

 蘭華の熱望的な眼差しを見て、俺は覚悟を決めた。

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