13.交換条件

「み、美能先輩、正気ですか?」

「冗談に見えるか?」

「当たり前です! 同性での契約なんて聞いたことがありません!」

「前例がないだけだよ。今や世界ではLGBTが権利として当然のものだと認められつつある。日本ではまだ差別意識が強いけど、健全な恋愛を謳うなら前時代的な考えは捨てるべきじゃないかな?」

「それは……」


 珍しく声を荒らげる東雲を美能先輩は正論でねじ伏せる。

 俺も驚きはしたが、それは同性同士の恋人契約に対してではない。

 そちらは差程興味が無い……と言ってしまえば問題かもしれないが、人の好みは人それぞれ。他人がとやかく言う権利はない。

 それが自分に関係のない話なら、だが。


「俺も信じられませんね。美能先輩のような男性として完成されたような人が、数多の女子の告白を蹴って俺と付き合うと?」

「俺はどちらもイケるクチでね。天沢は俺と付き合うのは嫌かな?」

「いいえ。美能先輩が本気なら俺も考えますよ。ただ、そう簡単に人を嘲笑うような嘘をつく人であればお断りしますけどね」

「手厳しいね」


 美能先輩はそう茶化して、空っぽのグラスの中をスプーンでかき混ぜる。

 やはり冗談か。こんなタイミングで悪ふざけだなんて、本当に何を考えているのかわからな──


「でも、天沢が目的のために手段を問わないと言うのなら、俺が契約を結んでもいいよ」


 おいおい、冗談……だよな?

 いや、違う。美能先輩の突き刺すような視線は先程までのおどけた表情とは違った。

 本気で言っているのか。彼に何のメリットがあると言うんだ。

 わけがわからない。

 美能先輩の思惑を推測するのは無駄だと判断し、思考を頭の隅へと追いやる。


「生徒会に入れば目的は達成されたも同じです。必要があればその時考えますよ」

「それは残念だね」


 一切残念そうに見えない彼は、「まあいいか」とあっさり引き下がると、頭の後ろで手を組んで背もたれに寄りかかり、話を本筋に戻す。


「もう1つの条件だけど、俺と手を組むとかどうかな?」

「やけに抽象的ですね。俺に何をしろと?」

「それはまだ話せないよ。ここで俺だけ全部正直に話すのは不公平だろう?」

「俺の報酬は生徒会への入会だけです。2つも条件を出してる時点で不公平だと思いますけどね」

「生徒会への入会と東雲さんとの契約。これで2つだね。それとも、東雲さんとは元々契約を結ぶつもりはなかったのかな?」


 そう言われると言い返し辛いな。

 それもわざわざ東雲の前で答えさせようというのが実に意地が悪い。

 この際東雲と付き合えなくとも構いやしないが、東雲を敵に回すと後々自分の首を絞める。

 まさかそこまで俺の考えを読んでいるとは思えないが……どちらにせよ俺の答えは同じだ。


「……いえ。東雲と本当に付き合えるのならそれだけでお釣りが来ます。条件を呑みましょう」

「良い返事だね」


 生徒会に入っても自由に動ける機会は少なそうだ。

 ただ、この底の知れない男を間近で見られるという条件は、それはそれで面白そうだ。

 先程提示した2つ目の条件も思いつきのように見えた。となれば、最初に出した『俺と美能先輩の恋人契約』が第一候補だったということになる。

 一見俺にしかメリットがないように見えるが、そこに美能先輩の思惑も絡んでいるはず。

 彼が何を考え、この学校で何を成そうとしているのか。それを見届けるのも悪くない。


 しかし……困ったことになったな。

 元は恋人契約の全貌を知り神条先輩が抱える爆弾を探るという目的のために生徒会への入会を希望したはずが、生徒会に入会するためには神条先輩の一件を解決しなければならないという目的と手段の逆転現象が起こってしまった。

 これでは神条先輩と喜一の恋愛は一切進展していない。

 このままでは引き下がれないと思い、俺もひとつ美能先輩の真似をしてみることにした。


「俺からも1つ、交換条件を申し出たいんですが」

「へえ。聞くだけ聞いてみようか」


 美能先輩は興味深そうに口角を上げる。

 東雲は何か言いたげに口を開いたが、美能先輩が聞くと言った以上口出しするつもりはないらしい。

 いや、俺の邪魔はしないという約束を律儀に守っているのか。

 どちらにせよ、拒否されないのならと俺は提案を口にする。


「ご存知の通り、俺は親友の喜一──岩下の願いで岩下と神条先輩との仲を取り持つよう動いています。言わば恋のキューピッドです」

「報告は聞いていたけど、やっぱり似合わない話だね」

「……続けます。岩下の方は旧知の仲なので上手く誘導してやれば神条先輩に対してもきちんと気持ちを伝え、付き合う手前まではたどり着けるでしょう」

「それはほぼ解決しているようなものじゃないのか? あとは神条さんが告白を受けるか蹴るかの違いだよ」

「いいえ。このままでは確実に失敗します。ここ数日、彼女のことを調べていてそう確信しました」

「その根拠は?」


 美能先輩が白々しくそう尋ねる。

 生徒会が神条先輩のことを調べているのなら、俺から話さなくてもわかっているはずだ。

 生徒会として情報の露呈を避けていると言うよりは、自分の思考を相手に見せない手法に見える。元々美能先輩も俺に洗いざらい吐かせるつもりだったようだしな。

 まあいい。俺から交換条件を持ちかけたのだから、それくらいは受け入れよう。


「神条先輩は1年から2年への進級に必要な1ヶ月の恋人契約を丸山と交わしていました。これは現2年生の間では有名な話ですよね」

「そうだね。神条さんと丸山くんは当時からクラスメイトで、お互いに誰とも契約を結ばないままタイムリミットを迎えようとしていた。そこで利害が一致した2人は契約を結んだ。グレーゾーンだけど、この学校ではよくある話だよ」


 どうやら東雲の言葉に嘘はないらしい。

 俺の言葉は嘘偽りだらけだが、東雲を庇うためには仕方ない。

 ちらりと東雲に視線を送ると、彼女は安堵したように微笑んでいた。


「どうかしたのかな?」

「いえ。東雲に聞かせていい内容だったか不安になりまして」

「それは問題ないよ。誰が誰と恋人契約を結んだかに関しては、公言しようと罰則は取られないからね」

「そうでしたか。では遠慮なく続けます」


 ふう。咄嗟に出た嘘だったが、どうにか言及は避けられたな。目配せひとつでも気を張っておかないと痛い目を見そうだ。


「俺は、恋人契約には見えない罠が潜んでいると考えています。それが神条先輩と丸山の関係性に繋がるものだと」

「どうしてそう思うんだ?」

「神条先輩と丸山の行動を調べればわかることですよ。2人は契約を結ぶまでほとんど会話もなかったそうです。しかし、進級という目的が一致して契約を結んで以降、2人が会話を交わす姿が目撃されています」

「それのどこが今の話に繋がるのかわからないね。一度契約を結んで仲良くなっただけじゃないのかな」

「いいえ。それまではあくまでクラスメイトとして対等だった2人の間に丸山が神条先輩を従える主従関係が生まれています。今朝までは噂話程度でしかありませんでしたが、先程直接見て確信しました」


 嘘と真実を織り交ぜて、美能先輩の追撃を躱していく。

 嘘をつく時に最も重要なポイントだ。

 全てを嘘で塗り固めると、必ずどこかでボロが出る。

 しかし、嘘の中に真実が含まれていると、どこまでが真実でどこからが嘘なのかを即座に見抜くのは難しい。

 そうなってしまえば、例え疑われていても疑いのままで終わるだけだ。

『俺が喜一のために神条先輩を探っていた』『実際に丸山と神条先輩の会話を目の前で目撃した』という2つの事実は疑いようのない真実なのだから。

 これなら流石の美能先輩も東雲を疑うようなことは──


「その話は誰に聞いた?」


 あるか。

 どこまでも疑り深いと言うべきか、俺の嘘が甘いと言うべきか。

 東雲から聞いた情報を頼りにたどり着いた答えだと言ってしまえば東雲の生徒会としての立場が危うい。

 だが、ここは俺にも言い逃れるアテがある。


「言えませんね。いずれわかりますよ」

「いずれ? 俺はすぐにでも答えを知りたいんだけどな」

「まずは話を聞いてからでも遅くはないと思いますけどね。ここで話すと交渉材料を失うことになるので」


 美能先輩は少し不服そうではあったが、俺に今は話す意思がないと理解して続きを促す。


「さて、交換条件の話ですが、俺は神条先輩と岩下の恋を成就させたいんです。そのためには情報が圧倒的に足りない。神条先輩のことを調べようにも単独では限界がありますから」

「……俺に知っていることを全て話せと?」

「そういうことです」


 美能先輩は「正気か?」と不快そうに目を細める。

 ゆっくりと頷いて見せると、彼は呆れたようにため息をついた。


「それで、天沢が提示する条件は?」

「神条先輩と丸山の関係が始まったのは契約を結んで以降、今年度が始まった4月からと考えていいでしょう。それなのに、未だに解決していないということは、生徒会も手を焼いていると見ていますが、間違いないですか?」

「……あまり言いたくないけど、まあそうだね。生徒のプライバシーに関する部分には踏み込めない以上、俺たちにも限界はある。そのために探りを入れているんだ」

「俺からの条件は、神条先輩と丸山に纏わる問題の解決です」

「天沢に解決できると?」

「できますよ。生徒会が求める方向とは異なるかもしれませんが」

「具体的にどうするつもりだ?」

「それを話すと交渉になりません。俺だけ全てを話すのは不公平ですから」

「論外だな」


 だんだんと機嫌を悪くしていた美能先輩は、とうとう投げやりに言い捨てて肩を落とした。

 俺にどれほどの期待を寄せていたかは知らないが、期待外れという評価を下したらしい。

 彼の結論は最もだ。

 そう。これは無茶な交換条件なんだ。

 神条先輩と丸山に関する問題を解決するために2人の情報を寄越せと言っても、美能先輩側にメリットがなさすぎる。

 いや、デメリットに見合わないと言うべきか。

 生徒会は多くの情報が手に入る一方、その情報を決して外に漏らさないよう箝口令が敷かれている。

 生徒会副会長という立場が危ぶまれる行為に対し、その報酬が一件のゴタゴタの解決だなんて、俺であっても論外だと切り捨てるだろう。

 そもそも、神条先輩の問題を解決することは俺が生徒会に入会するための条件であり、本来は俺が自分で解決しなければならないことだ。これでは交換条件として成立するはずもない。

 だから、ちゃんと他の弾も用意している。


「では、俺の有用性でもアピールしましょうか」

「聞くだけ聞こう」

「神条先輩と丸山の関係が解決していない理由についてです。俺は、これが単に丸山が神条先輩を脅してよからぬ行為を強いているだけとは考えていません」

「その薄っぺらい憶測がアピールか?」

「根拠は生徒会の監視です。疑問だったんですよね。丸山が神条先輩を脅していることだけが問題なら、監視すべきは丸山の方です。神条先輩はただの被害者で、彼女の情報を重点的に調べ上げる理由がない。丸山を尾行して現行犯で捕らえる方が確実ですし、神条先輩への被害も少なくて済む。現に丸山は自ら神条先輩への接触を繰り返しています。確たる証拠がなくとも、嫌がる女子生徒に言い寄る男子生徒を注意し、余罪を調べることは可能だったはずですよね」


 特別棟で東雲と出会った時から違和感があった。

 俺が尾行された様子はなく、東雲は神条先輩が特別棟を出入りしていることも知っていた。

 あの時には既に神条先輩についてある程度調べていたということだ。

 そして、その翌日……昨日も東雲は神条先輩を尾行していた。厳密には神条先輩を尾行する俺を尾行し、2人をまとめて監視していたわけだが。

 神条先輩がただの被害者であるなら、神条先輩は守られるべき存在であり、彼女の行動やその思惑を調べる必要はないんだ。


「丸山くんを捕らえるにも神条さんに何を強要しているのかを知らなければならない。そのための下調べだ」

「そうかもしれませんね。ですが、生徒の安全を守るという生徒会の理念から逸脱しています」


 美能先輩のやる気のない言い訳を軽く切り伏せて俺は続ける。


「その生徒会の理念を是とするなら、今の生徒会の行動は不信感を抱かせる行為です。神条先輩が知られたくない情報を調べ、丸山の行動を放置する。それが生徒会だと言うのなら別ですが、俺は神条先輩にも調べられるだけの理由があると踏んでいます。そこまで理解した上で、俺が解決してみせますよ」

「それが天沢の出す条件か?」

「足りませんか?」

「足りないな」


 だろうな。

 さっきから思っていたが、美能先輩はどうも子供っぽい側面がある。

 東雲は俺の話に関心して少し揺れ動いている様子だが、美能先輩は俺が彼の目に掛からない限り条件を呑むつもりはないらしい。

 道具として使えないなら興味はない。俺が何を訴えようが知ったことではない。

 自分の好きな玩具だけを集めようとする子供と同じだ。


「その程度なら俺たちで解決する。岩下くんの件は神条さんの件が片付いてから好きにすればいいさ。お前は少し面白いやつだと思ったけど、とんだ期待外れだ。これ以上話を聞く気にもならないな」


 苛立ちと呆れ、絶望。

 美能先輩の中で俺は、間抜けな条件を呑んでもらえると思っている馬鹿な生徒として格付けされたかもしれない。

 もしかすると、先に自分が出した交換条件すら後悔している可能性もある。

 俺が出した一見不公平な条件。その後付けと言わんばかりに披露したそこそこの推理。

 物足りないと思わせるには充分だったはずだ。

 だからこそ、最後まで取っておいたもう1つの交換条件が最大限の力を発揮する。

 話は終わったと言いたげに席を立とうとする美能先輩に告げる。


「残念です。では、最後に聞かせていただけませんか?」

「……何だ」

「俺がこれまでに絡んだ恋愛相談は何件あったと思いますか?」


 彼は腰を少し浮かせたまま固まる。

 訝しげな視線を向けて答える。


「今進行中の岩下くんの件と体育祭の日に絡んだ堀本くんの件とで2件じゃないのか?」

「やはりそうですか。生徒会の情報網も大したことないですね」

「……何が言いたい?」


 体をこちらに向け直し、問い詰めるように睨む。


「3件ですよ。美能先輩が仰ったものに加えてもう1件、体育祭の日にある人からの相談を解決しています」

「嘘だな」

「そう思うならこれ以上は何も言いません。どうして俺が2年生の恋愛事情について詳しく知っていたのか、不思議にも思わないならそれまでだと判断するだけですから」

「俺は東雲さんから漏れたと思っていたんだけどな」


 美能先輩の鋭い視線が東雲を捉え、彼女は硬直する。

 それも間違いではない。事実、恋人契約に潜むデメリットについて最初に教えてくれたのは東雲だった。

 しかし、それだけでは精度に欠ける。彼女が嘘をついているとは言わないが、実際に契約を結んだことのない東雲の言葉だけでは確信を得られない。

 それに、2年生について調べるのなら同じ2年生から情報集める方がより早く、正確だ。

 咎められると怯えている東雲を一瞥し、俺は否定する。


「残念ながら違います。俺が体育祭の日に助力した2年生から情報を得ていたに過ぎません。何なら去年起こった出来事のあらすじでも披露しましょうか? 他の誰よりも俺に貸しのある人物の方が従順に動いてくれますから、その人が知っている内容なら全て話せますよ」


 これで美能先輩にもわかったはずだ。

 俺が情報源としていた人物を隠した理由が。無茶な交換条件が通ると思っていた根拠が。


「……一体どこまでがお前の思惑だったんだ?」

「思惑なんて大袈裟です。この手順で話す方が条件を呑んでもらえると思っただけですよ」

「とぼけるな。堀本くんの一件を派手に演出したのは、もう一件の恋愛相談を隠すためだったのかって聞いてるんだ」

「さあ、どうでしょうね」


 その件は今は関係のない話だ。俺が口を閉ざそうと、言及してくることはないだろう。美能先輩ならやりかねないか。

 余計な話に移る前に、俺は改めて彼に突きつける。


「最後にもう一度条件をまとめましょうか。俺が欲しいのは、美能先輩が知っている神条先輩と丸山に関する情報全て。俺が差し出すのはその問題の完全解決と、俺という役に立つ駒です。呑んでいただけますか?」

「役に立つって……自画自賛にも程があるな」


 美能先輩は呆れたように笑ったが、今度は失望から来るものではなかった。

 熱くなった結果まんまと言い負かされたにも関わらず、彼はどこか嬉しそうに見えた。

 再び椅子に腰を下ろし、会談の席に着く。


「わかった。条件を受け入れるよ」

「ありがとうございます」

「面白いやつだ。俺も久々に上手く丸め込まれたよ。東雲さんが好きになったのも納得だね」

「好きになった?」

「美能先輩!」


 バンッと鈍い音が響き、東雲が勢いよく立ち上がる。

 何事かと思い彼女を見やると、顔を真っ赤にして美能先輩を睨みつけていた。

 当の美能先輩は肩を竦めてくすりと笑った。


「そろそろ俺は退散しようかな。東雲さんは怒ると怖いしね」

「怒ることでもありましたか?」


 美能先輩は別におかしなことは言っていなかった。

 東雲が俺に興味があるというのは、彼女が自分で言っていたことだ。

 それを『好き』と表現するのは些か誇大だと思うが、強く咎められることではないと思う。

 ……しかし、東雲が過剰な反応を示しているのは事実だ。

 自分で言うのは構わなくとも、人に言われると恥ずかしいのか? 女心は難しいな。

 そうこうしている内に、話についていけない俺を置いて立ち去ろうとする美能先輩を急いで呼び止める。


「先程の条件がまだ遂行されていませんが」

「その件なら後日、ゆっくり話さないか? 明後日は土曜日だし、デートついでに話してあげるよ」

「デートですか」

「休みの日は忙しいかな?」

「いえ。予定なんて何も」

「なんだ。結構モテると思っていたけど違うのか」

「俺が? 冗談でしょう。美能先輩に言われても嫌味にしか聞こえないですよ」


 残念ながら生まれてこの方モテた試しがない。デートなんて夢のまた夢だ。

 その初デートがまさか、同性が相手になるとは思っていなかったが。

 2人に憐憫な視線を向けられ、俺はひとつ咳払いを挟む。


「では、土曜日でお願いします」

「わかった。連絡先を教えとくから、詳しい日程はショートメールで」

「はい。今日はありがとうございました」


 彼に感謝の言葉を送ると、東雲も丁寧に一礼して美能先輩を見送る。

 軽く手を挙げた美能先輩の姿が店外へ消えたのを確認し、東雲が大きくため息をついた。


「あの人は周囲を引っ掻き回すのが好きですから、本当に困ったものです」

「東雲も今日はありがとう。おかげで良い収穫ができた」


 東雲は一瞬俺と目を合わせたが、すぐに視線をテーブルへ逃がす。


「お礼を言うのは私の方です。先日のこと、上手く隠していただいてありがとうございます」

「東雲には世話になったからな。恩を仇で返すことはしない」


 昨日、俺は東雲に契約を結んでほしいと提案した。

 しかし、その提案は一言で玉砕。

 生徒会のルールであれば仕方がないと諦めようと思ったが、俺に申し訳なさを感じた彼女はいくつか俺に助力してくれた。

 俺が生徒会へ入会できないか生徒会長に進言し、生徒会長と直接話す機会を設けるという約束。その上で、俺が生徒会に入会できた暁には実際に恋人契約を結んでくれると確約までしてくれたんだ。

 どうして彼女が俺のためにそこまでしてくれるのかはわからないが、先程のように生徒会に疑いの目を向けられる可能性があるのに恋人契約に関する情報をくれた彼女を切り捨てるのは気乗りしなかった。

 それに、こうして友好的な関係を築いておけば彼女からの好感度も上がる。

 全ては俺のためだ。感謝されるようなことはひとつもない。


「さっきの話、聞かないんですね」

「東雲が俺を好きだという話か? 東雲は俺に興味があるんだろ。好意と興味は似て非なるものだ。美能先輩が勝手に勘違いしたに過ぎない」

「……天沢くんは他人同士の恋愛には敏いのに、自分のことになると鈍感なんですね」

「いや、よく意味が……」


 わからない、と続けようとしたが、彼女は首を横に振って「何でもありません」と話を打ち切った。


「私も失礼します。神条先輩と岩下くんの件、上手くいくことを願っています」


 その言葉だけを残して、東雲は先に店を出た。

 結局、彼女は何が言いたかったのだろうか。

 やはり人の気持ちは考えても簡単に理解できるものじゃない。

 喜一。神条先輩。丸山。東雲に美能先輩。

 それぞれに違った考えがあり、想いがあり、気持ちがある。

 それらを完全に理解できるのは本人だけだ。

 だからこそ奥が深く、面白い。

 ただ、このスッキリしない気分だけは好きになれそうにないと思った。

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