11.敵か味方か

「私が今日ここに来た理由は2つです。何かわかりますか?」


 喜一たちを見送った後のカフェ。

 放課後ということもあり、相変わらず生徒たちが各々談笑を楽しんでいるが、時間の経過につれてその数は少しずつ減っている。

 俺と東雲が座る席は店内の奥に位置しており、周囲に他の生徒の姿はなく、会話を聞かれる心配はない。

 そもそも、今日の東雲はいつもと違う雰囲気で、スポーティーな服装に薄いベージュの長い髪をポニーテールに縛り、普段の淑やかさとはかけ離れた様相を呈している。キャップを取らない限りは目立つこともないだろう。

 ここで東雲と会話しても問題はないと判断し、彼女の質問に俺は首を振る。


「さあな。皆目見当もつかない」

「もう少し考える素振りくらいは見せてほしかったですね」

「俺に用があるわけじゃないなら長居する理由もないしな。そろそろ帰ろうかと思っている」

「つれないですね。まだ座ったばかりじゃないですか」

「喜一たちが心配なんだ。また丸山が接触してくる可能性もあるし、警戒しておくに越したことはない」

「そこまで言うのなら、もっと助力してあげてはいかがですか?」

「俺はただのキューピッドだからな。神条先輩の好意を喜一に向けるのが俺の仕事なんだ。それさえ達成できたら問題ない」

「堀本くんの件も同じ、ですか」


 会話の流れからは想像もしなかった人物の名前が上がり、思わず声が詰まる。

 300以上の生徒が在籍する中から当てずっぽうでその個人の名前を出したとは考えられない。彼女は多少なりとも確信をもっているはず。

 即座に「堀本がどうかしたか?」とでも返せていれば誤魔化しはきいただろうが、数秒に満たない沈黙を生んでしまった俺の負けだ。沈黙は時に語るより雄弁なんだ。

 ことコミュニケーションに関しては、どうにも一歩遅れをとってしまう。


「堀本平一郎。あいつは容姿の評価にコンプレックスを抱いていたからな。ほんの少し後押ししてやっただけだ」

「少し、ですか。天沢くんは生徒会の情報網を少し甘く見ていますね」


 嘲るように笑う彼女に対しても俺は表情を崩さずに向き合う。

 生徒会は健全な恋愛と生徒の安全を守るために設立された組織だと東雲は言っていた。

 そのために恋人契約の内容が周知され、一般生徒では知り得ない情報も手にしている。

 恐らくは契約に関する話に限らず、生徒がどこで何をしているのか、誰と誰が契約を結んでいるのか、或いは端末には表記されない生徒の個人情報まで、目的のためならば生徒たちのプライバシーなど関係なしに全てが筒抜けになっているということか。


「職権乱用も甚だしいな」

「乱用はしていませんよ。私たち生徒会にもそれなりに厳しい規則がありますので」

「俺の個人的な行動をネタに接触してくるのはその規則に抵触しないのか?」

「そうですね。会長に知られればお叱りは受けるでしょうが、脅しや恐喝を行っているわけではありませんので、退学までは至らないでしょう」


 人が食いつきそうな話をぶら下げて釣りを楽しんでいる方が余程タチが悪い気もする。

 しかし、ルールに反しないと言うのであれば、やはり東雲を退場させるのは難しいか。

 となれば、彼女は味方に引き込む他ない。彼女が言う俺に対する興味がどれほどの物かは知らないが、上手く取り入っていくしかないようだ。

 もしくは……丸山と同じ手法を取るか、だな。

 それはあくまで最終手段。俺も東雲を安易に傷つけたいとは思っていない。

 まずは東雲と、彼女が属する生徒会に関する情報収集が先だ。


「それで、その生徒会長と面会する話は通してくれたのか?」

「いえ……会長には話してみましたが、断られてしまいました」

「噂通りの用心深さだな。警戒している相手との接触は避けるか」

「理由としては多忙とのことでしたが、恐らくそうでしょうね」


 東雲は申し訳なさそうに頭を下げるが、彼女を責めるようなことはしない。これは俺と生徒会長の問題だからだ。

 理由ははっきりしないが、生徒会長に目をつけられているとなれば俺が生徒会に入ることは不可能だ。

 生徒会に入れなければ、東雲を味方につけるのは難しい。

 それに、契約の全貌を知ることも叶わない。

 当然、誰かと恋人契約を結べばいいだけの話だが、そこに爆弾が仕込まれていると知っていて適当な相手は選べない。

 そもそも悲しいことに仲の良い異性が居ない。俺がまともに話す相手となれば、神条先輩か東雲くらいだ。片手で数えても余ってしまう。

 どうしたものかと次の策を考えていると、東雲がふふっと吐息を漏らす。


「そんなに私とお付き合いしたいですか?」

「当然だな。顔が良くて性格も穏やか。可愛らしい笑顔に物腰柔らかい態度。非の打ち所が見つからない。そんな相手と付き合えれば男冥利に尽きるというものだ」

「素晴らしいですね。思ってもないことをそうもつらつらと並べられるなんて」

「誰だってそう思っているだろ」

「そうですね。私のことを知らない人たちはそう感じているはずです。しかし、天沢くんは違います」


 他の男子生徒は許されても俺が東雲と付き合いたいと考えるのはおかしいことなのか。女心は難しいな。

 と、とぼけることもできるが、それで困るのは俺の方か。

 東雲の穏やかな態度や柔和な表情は表向きのものだ。

 時折見せる鋭い視線。他人を簡単に言いくるめる話術とトゲのある物言い。そして人を小馬鹿にしたような表情。

 そのどれもが凡そ人に好かれる類のものでないことは俺でもわかる。

 しかし、俺はそういった負の面も含めて彼女を信頼している。

 いや、信頼しておく方が自分のためになると理解している。


 彼女はいずれ俺の過去を暴くだろう。

 その時、俺の敵か味方かで彼女の行動は大きく変わる。

 喜一のように過去は過去と割り切ってくれるならそれほど喜ばしいことはない。

 だが、大抵の人間はそうもいかない。ある程度俺を友人だと思い接してくれていた人間でさえ、あの時の俺を見て離れて行った。

 そして、一度信頼関係を築いた仲であればあるほど、崩れた時の代償は大きい。


 今の東雲はまさにそれだ。

 俺に興味を持ち、個人的な好奇心で動いている。言わば生まれたての好意だ。

 それが崩れてしまえば、彼女は俺に牙を剥くだろう。生徒会の一員という点も加味すれば、退学までのカウントダウンが始まってもおかしくない。


 だから俺は、何としてでも東雲を手に入れておかなければならない。契約を結ばなくとも、俺の味方であり続けるほどの信頼関係を構築しておく必要がある。

 在り来りではあるが、俺は"口説く"という行為の真似事をしてみることにした。


「舌戦では手も足も出ないが、東雲と話しているのは楽しい。人を馬鹿にした態度は気に食わないが、俺に対しては裏表を使い分けないという意味では信用できる。それでは足りないか?」

「天沢くんは本気で私と付き合いたいんですか?」

「どうだろうな。人を好きになったことがないからわからない。東雲と同じだ。東雲のことを気になってはいるが、それを好意と呼べるのかわからずにいる」

「それは……光栄な話です」

「今はこの程度のことしか言えないが、満足してもらえないか?」


 これは俺の本音でもある。

 俺には愛情とは何たるかがわからない。知らないのだ。

 その存在はこれまでどこか遠くの出来事でしかなかった。

 誰かが誰かと付き合った。親から誕生日にプレゼントを貰った。ペットの犬が死んで泣きじゃくった。芸能人が共演女優には見向きもせずに一般人と結婚した。

 形は違えどそこには愛が存在し、それらを見聞きした人もまた愛情の大切さを深く噛み締める。


 しかし、愛を知らない俺には理解できなかった。

 どうせいつか別れる。どうせ親とは決別する時が来る。どうせ次のペットを飼って過去のことは忘れる。どうせ別の者と新たな愛という偽りの芽を育み始める。

 負の部分だけを刈り取って、自分に当て嵌める。愛は幻想だと切り捨てる。

 だから俺は恋愛に興味がなかった。知りたいと思う反面、知ったところで何が変わると諦めていた。

 この学校に入学したのも世間と隔絶された環境だからという他に理由はない。1%程度は面白いものを期待していた側面はあるけどな。


 だが、俺はここに入学して少し変わった。その1%の輝きを知ってしまった。

 入学して今日までに3つの恋愛を目の当たりにして、少しずつ興味が湧いてきた。

 容姿に自信がなく、好きな人に想いを告げられずにいた堀本。

 自分なら何をやっても上手くいくと驕り、打ちのめされながらも成長しようとする喜一。

 そして、もう1人。

 彼らの恋愛を近くで見届け、恋愛が面白いものだと知った。

 正確には恋愛を見届けるという趣味が、だが。


 ともあれ俺は、恋愛に興味を持った。

 人の恋愛を見届けるなら、俺自身が恋愛について深く知らなければならない。

 そのために選んだのが東雲だった。俺の『恋愛の経験値を得るという利益』と『恋人契約について知り、神条先輩の問題を解決するという目的』が満たされる、ちょうどいい相手だったからだ。それだけでしかない。

 俺の真意を知ってか知らずか、彼女は困ったように笑った。


「昨日もお伝えしたように、生徒会の会員には一般生徒が知らない情報を得る権利と同時に、守秘義務が発生します。そのためなのでしょうが、私たちは生徒会のメンバー同士でないとお付き合いができません」

「ルールなら仕方ないことだ。俺の告白を東雲が受けるのなら、東雲は生徒会を辞めなければならないんだろ。それなら素直に諦める。迷惑はかけたくないしな」

「もしくは、天沢くんが生徒会に入るか、ですね」

「そうしたい気持ちは山々だったが、肝心の生徒会長が俺と話す機会すら設けないと言うのなら不可能だな」

「そうでもないさ」


 突如俺たちの会話に入ってきた第三者の声。

 引き寄せられるように、俺たちは揃って声の主へと顔を向ける。

 そこに立っていたのは、俺にも見覚えのある生徒だった。

 黒味のない鮮やかな茶髪にカラッと澄んだ晴天のような雰囲気。切れ長の目と高い鼻は少し日本人とはかけ離れた容貌をしている。一言で言えば爽やかを擬人化したような、男女問わず誰にでも好かれる容姿をした男だ。

 予想だにしない大物の登場に驚き、思わず固まってしまう。


「お待ちしてました。美能副会長」


 先に反応したのは東雲だ。

 彼が来ることを予期していた……いや、ここで落ち合うことを約束していたのか、ごく自然に受け入れる。


「お待たせしたね、東雲さん」

「あまりに遅いので今日は来られないのかと思っていました」

「仕事が片付かなくてさ。生徒会と部活の両立は大変だよ」

「どちらかに専念されたりしないのですか?」

「それは考えてないかな。サッカー部の副部長と生徒会の副会長。どちらも降りるには勿体ないからね」

「なるほど。人格者ならではの悩みと言ったところですか」

「それは、俺に対する嫌味かな?」


 褒めているようにしか聞こえなかった東雲の言葉を副会長──美能みのう裕貴ひろたかは鋭く咎める。

 一瞬にして空気が張り詰め、思わずゾッと背筋が凍る。

 表情は穏やかなのに、声色ひとつで場の空気を一変させた。

 東雲も珍しく慌てている様子で、身振り手振りで即座に否定する。


「滅相もありません。気を悪くさせてしまったのなら謝ります」

「冗談だよ。俺は自分が人格者ではない自覚があるからね。君も知っての通りさ」


 またしても場の空気が急転換し、筋肉が弛緩していく。止まっていた呼吸が正常な機能を取り戻したように慌ただしく役目を全うする。冗談で済ませられる空気じゃなかったな。

 生徒会についてはある程度調べていたつもりだったが想像以上だ。同じ高校生でも1つ歳が違うだけでこうも人としてのレベルが違うのか。

 いや、この男の人間としての格が違い過ぎるだけか。

 あの東雲を手玉に取るとは、生徒会にはとんでもないバケモノたちがひしめき合っているらしい。

 2人の会話が一段落ついたところで、美能先輩はようやく俺にスポットを当てた。


「さて、話の続きでもしようか。天沢祈織」


 俺から話すことは特にないはずだが、彼はどうやら俺に会うためにわざわざここへ足を運んだらしい。

 東雲が会話で時間を稼いでいていたのもこのためか。

 美能先輩は東雲の隣に腰を下ろすと、両肘を着いてこちらに向き合う。


(楽しい世間話……という雰囲気ではなさそうだな)


 他人事のように明後日の方向に視線を逃がしながら、良からぬことが起こらないよう強く願った。

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