5.幼稚な女王様

 スマホで時計を確認する。仕掛けるにはちょうど良い時間だった。いやにタイミングが良いな。

 恐らく東雲は、俺がここ数日神条先輩をマークしていたことも知っていた。

 その上で俺に接触し、限りある時間の中で自分の存在を認知させに来たのだろう。

 東雲の思惑は成功と言ってもいい。現に俺は神条先輩との接触を前にして東雲のことばかり考えている。

 これが恋か。いや、絶対に違うな。

 今日まで東雲と俺との間に面識はなかった。表面上の記録ではたどり着けない俺の人物像を知るため、俺を探っている状態だと推測できる。

 となれば、いずれ俺の過去にたどり着く可能性も低くない。あまり放ってはおけないな。


 ……が、今は目の前のことに集中しよう。

 俺は頭を切り替えて特別棟の裏手、通路から死角になる場所へ移動しながら電話を鳴らした。


 少し経って神条先輩が特別棟から姿を現した。

 容姿Sと評されるに相応しく、遠目からでも顔立ちが整っているのがわかる。

 寸分の狂いもない歩き方。しなやかに背筋の伸びた姿勢。規則正しく揺れる髪。

 そのどれもが彼女の規律正しく清廉な人物像を象徴している。

 

 しかし、気がかりなのはその表情だ。心做しか、硬く強ばっているように見える。

 人前では決して見せられない重苦しい表情だが、昨日も一昨日も特別棟から出てきた彼女は同じ顔をしていた。

 少し気になるところではあるが、特別棟での彼女の行動を知る術は今はない。

 それに、計画が上手く運べば彼が聞き出してくれることだ。俺が出る幕じゃない。


 端末で時間を確認する。タイミングはほぼ完璧だ。

 あとはもう1人の主役が寄り道をしていないことを祈るだけ。


 神条先輩の姿が教室棟に消えたその時、何かに押し倒されるように神条先輩が尻もちを着いて倒れた。

 その姿を見て、電話で呼び出した男が現れたのだと確信した。


「あ、悪い……って、神条先輩! す、すみません!」


 微かに聞こえる耳に慣れた男子の声。姿は見えなくとも焦っている様子が伝わってくる。

 本当なら、彼の姿が見えるように特別棟の出入口でエンカウントさせる予定だったが、結果として2人が接触できたのなら問題はないだろう。


 果たしてこの計画が成功するかは未だに疑問だ。

 何せあの喜一が仕入れてきた情報を元にしている。俺がこの2日で得た情報を鑑みても眉唾な噂がデタラメの域を出ただけに過ぎない。

 やはり勝率は半々。あとは当人の努力次第だ。

 あの噂が真実であれば出だしは好調と言ったところか。

 俺は第三者として傍観することを決め、2人の行く末を遠巻きに眺める。


「ほんとすまみせんでした! 失礼します!」


 男子の姿は見えない。が、頭を抱えるには充分な一言。

 完璧なタイミングで仕掛け、思惑通りに彼らは出会った。

 しかし、その出会いは最悪な方向に進んでしまったらしい。

 ため息をつく俺の耳に届いたのは走り去る足音。そして、眼前には尻もちをついたままの神条先輩の姿。

 神条先輩は何が起こったのかわからないまま、呆然と教室棟を見上げていた。

 俺の計画はどうやら半分失敗に終わったらしい。



※※



 遡ること3日前。

 俺は喜一からのショートメールで神条先輩についてのとある噂を仕入れた。


『神条先輩ってかなりのロマンチストらしいぜ!』


 最初は何を言っているのかさっぱりわからなかった。またいつものふざけた話かと聞き流そうと思ったくらいだ。

 だが、少しでも神条先輩に関する情報が欲しかった俺は、話半分で噂の全貌を聞いてみることにした。


 神条紗耶は大の少女漫画好きらしい。

 幼少期から少女漫画に触れていた神条は、恋愛を少女漫画から学んだと言っても過言ではない。

 一括りに少女漫画と言っても登場人物や物語の展開は作品毎に全く異なる。

 だが、その中でもベタな展開というものは存在する。


 例えば、食パンを咥えて登校していたら転校生のイケメン男子と曲がり角でぶつかったり。一匹狼気質な男子の優しい一面を見てしまったり。軽薄な男子が主人公の少女に本気で恋をしてしまったり。嫌いだった男子との時間を過ごすうちに好きになってしまったり。

 他にもベタと呼ばれる展開は数多くあるが、神条はそんな共感性羞恥を抱いてしまうような展開を望んでいた。

 そう、それがロマンチストと呼ばれる所以。彼女は凛々しい風貌とは裏腹に少女漫画のベタな恋愛に焦がれていた。

 いや、それが恋愛のあるべき姿だと信じて止まなかった。

 恋に恋するとはまさにこのこと。自身の理想とする恋愛に出会えなかった彼女は男子からの普通の告白では満足出来ず、その尽くを断り続けた。

 やがてついたあだ名が『氷の女帝』。いや『冷血な女王』だったか? まあ、そこはいいか。

 ともあれ、これが神条の真の姿。彼女が構築する恋愛理論だ。


 話を一通り聞いて俺は思った。なんて馬鹿らし……乙女なのだろうと。

 ベタな展開そのものを否定する気はない。漫画や小説においてベタや王道は最低限必要なファクターだ。

 当然、ベタだけでは飽きられる。しかし、ベタがなければ特異的に見られる。

 誰もがその展開を求めていて、先を知っていながら感動する。

 それがベタ、王道の良さだ。


 ただし、それはフィクションに限られる。

 現実でわざと女子を卑下する発言をしてもただ嫌われるだけだ。俺様系のキャラで押しても大抵の女子は冷めた目で見る。

 これらは2次元創作やドラマ俳優の顔が良いキャラクターと現実離れした理想が前提にあるから受け入れられるのであって、現実で同じことをしても道化にしかならない。

 高校生にもなればその事実にいやでもたどり着いてしまう。本来それが正しい成長で、正しさから外れた人間は幼稚と笑われる。


 しかし、神条先輩はその幼稚に分類される人間だった。

 見た目だけ成長して同年代よりも頭一つ大人びた存在になりながら、心は初めて少女漫画に触れた少女のまま。馬鹿らしいと一蹴しそうになった俺は間違っていないだろう。

 喜一の件がなければ、俺は神条先輩にそんな評価を下して終わっていた。

 神条先輩の噂は2,3年生の中では有名な話らしいが、それでも神条先輩に人気が集まる理由が俺にはさっぱりわからない。

 ギャップを楽しんでいるのか。それともその見た目にしか興味がない男子が多いのか。

 喜一も例に漏れず、神条先輩の噂を知りながら手を引くことはなく、むしろチャンスだと舞い上がっていたくらいだ。

 恋は盲目と言うが、ここまで来ると最早狂信に近い。


 親友として喜一の目を覚まさせてやりたい気持ちも当然あった。

 長らく喜一と一緒に居るからこそ、喜一が神条先輩を選んだ目的に心当たりがあったからだ。

 それに、喜一ならもしかしたら、という気持ちもあった。

 噂はあくまで噂。これまで何人もの男子が神条先輩と接触するために魅力的なシチュエーションを演出してきたに違いない。

 それでも上手くいかなかったということは、過程に問題があったか、ベタな展開だけでは足りない部分があるのか、或いは噂自体が間違いという可能性も残される。

 喜一を説得するのなら、その真偽を確かめてからでも遅くない。

 何より、見た目と中身に大きなギャップが存在する神条紗耶という人物相手に喜一がどう動くのか興味があった。

 だから俺は喜一の手伝いをしてやろうと改めて決心した。


 最初に行ったのは神条先輩の行動ルートの調査だ。

 ドラマチックな展開を演出するためには、運命的な必然をこの手で作る必要があった。

 ベタな展開の中で俺が目をつけたのが記憶に残る衝撃的な出会い──『曲がり角で偶然ぶつかる展開』だった。

 自分でも馬鹿らしいと思うが、馬鹿が仕入れた馬鹿馬鹿しい情報なので仕方がない。

 これでも至って真剣に考えた結果だ。俺も馬鹿になるしかなかった。


 神条先輩と対面してもまともに話せないと言う喜一に俺様系キャラや嫌われ役を演じろと言ってもまず不可能だ。

 そもそも初対面の後輩がそんな態度を取れば、如何にロマンチストな神条先輩でも嫌悪感を示すだろうし、喜一が神条先輩に嫌われることを耐えられるはずもない。

 だからと言って俺がその役を買って出たとして、神条先輩が万が一にも俺に興味を持っては本末転倒だ。

 それら全ての懸念点を解決するには、双方にとって偶然と呼べる展開を作る必要があると踏んだ。


 神条先輩の行動は思っていたよりも単純だった。

 登下校の時間や教室移動の際は友人と一緒に行動し、1人になることはまずない。

 しかし、昼休みには決まって特別棟に1人で訪れ、昼休みが終わる10分前に教室に戻っている。

 接触するなら1人の時を狙うのが一番だ。

 そう判断した俺は、2日間の観察を経て3日目に計画を実行した。


 計画と呼称していたが、その実、中身はかなり杜撰だ。

 神条先輩が特別棟から出てくるのが昼休み終了の10分前。喜一が教室から特別棟へ続く渡り廊下へたどり着くまでおよそ1分。

 あとはタイミングを見計らって喜一を特別棟に呼び出すだけだ。

 もしも曲がり角で衝突することがなくとも、旧校舎へ偶然訪れた男子との接触は神条先輩の印象に残ることは間違いない。

 昼休みという貴重な時間に特別棟へ向かう生徒は滅多に居ないのだから。

 もしかすると、神条先輩はその偶然を求めて毎日特別棟へ足を運んでいたのかもしれない。

 いや、それは俺の妄想に過ぎないな。



 果たして、結果的に喜一は神条先輩が望んでいるであろう展開を見事に成し遂げた。

 ところが、その先が俺にとっても想定外だった。

 あろうことか喜一は神条先輩を立ち上がらせることもなく逃げ帰ってしまった。

 女子にぶつかって、突き飛ばしておいて、一目散に逃げるなんて最悪な印象だったはずだ。


 しかし、これはチャンスでもある。

 神条先輩が望むロマンチックな展開である『曲がり角で偶然ぶつかる』ことに加え、『第一印象が最悪な男子との出会い』まで達成されてしまった。

 あとは神条先輩の噂が真実か否か。これが全てだろう。

 そもそも噂がデタラメであれば、計画そのものが破綻している。

 それに、神条先輩を観察していて、彼女は他人よりも敏感に周囲に目を向けている様子も見られた。

 何かを警戒しているのか、偶然の出会いを求めるが故の無意識な仕草か。その意図までは掴めない。

 勝算は変わらず5割前後といったところだが、これはこれで面白い展開が期待できる。

 この後は俺が神条先輩と接触し、喜一と再び顔を合わせる状況を作れば俺の仕事は終わりと言える。


 さて、昼休みが終わる前に俺も行動に移るとしよう。

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