4.初めての告白

 東雲は俺がパンを咥える様子をじっと覗き込んでいた。

 食事する姿を無言で眺められる時間。初めての経験だがどうにも居心地が悪い。

 こういったシーンは創作ではよくある話だが、併せて描かれる幸せ溢れる描写には結び付きそうにない。

 これが恋人の関係であれば嬉しいものなのだろうか。

 いや、一緒に食事をしているならまだしも、一方的に見られているのはどんな関係であっても良い気分じゃないだろうな。

 目線だけを動かして彼女を見ると、何故か楽しそうに目を細めた。


「見られていると食べにくいんだが」

「あ、そうですよね。すみません」


 一言詫びを入れはしたが、その表情が揺らぐことはない。姿勢を正して壁に寄りかかり宛もなく特別棟の壁を仰ぐのみで笑顔は崩れない。

 わざわざ接触してきたのだから何か裏があるかと思いきや、東雲から話を切り出す素振りもない。

 このまま黙っていても埒が明かないし、話を振ってみることにした。


「東雲は何も食べないのか?」


 彼女は食事する様子もなければ、俺のようにレジ袋を提げているわけでもない。食事する場所を探してこんな場所に迷い込んだわけじゃないだろう。

 視界に入った蝶を目で追いかける東雲は、何を考えているのかさっぱりわからない。

 探りを入れるつもりで質問を投げかけたが、東雲は俺の質問には答えず、別の部分に興味を持ったようで薄く笑みを浮かべて首を傾げる。


「私の名前、ご存知だったんですね」

「そりゃあな。東雲を含め、容姿Sランクの生徒は有名人だからな」


 東雲千歳は恋情養成高等学校の評価において『容姿』のステータスでSランクを獲得した女子の1人だ。

 おっとりとした性格と物腰柔らかい話し方から男女問わず人気で、入学したての1年生でありながら告白された回数は数知れず。

 その学年随一の人気者と教室に居ても空気な俺が並んで座っている現実に違和感があるが、誰にでも優しい東雲は1人で食事をする俺を放っておけなかったのだろうと勝手な解釈をしておく。


「ふふっ。学校が決めた勝手な評価に興味はありませんが、天沢くんに覚えていただけるなら光栄な話とも言えますね」

「おかしなことを言うな。この学校じゃその評価が人を判断する重要な基準だ。むしろ、俺のようなパッとしない生徒を覚えている方が珍しいだろ」

「そうですか? 一部の生徒からは注目すべき生徒の1人としてカウントされていると思いますよ」

「悪い理由じゃないことを祈るばかりだな」


 東雲はそう言って笑っているが、俺が注目されるというのもおかしな話だ。

 ステータスに特出した項目はなく、先の体育祭でも目立った成績は残していない。注目されるべき点はひとつもなかったはずだ。

 だと言うのに、入学2ヶ月で容姿Sランクの女子に話しかけられ、あろうことか名前まで認知されている。

 いやでも期待してしまうな。美少女と2人きりで喜ばない男は居ないんだ。


 その反面、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。

 モテない男子がオドオドしている姿をどこかで撮影されているのか。それとも後で仲間内に俺の悪口でも報告するのだろうか。悪い想像が膨らむばかりだ。

 東雲が俺という人間に興味を持って接触してきたことは最早疑いようもない。

 その興味が俺にとって吉報か凶報か。問題はそこだな。


 もしかすると、早くも俺の退屈しのぎに気付いた生徒が居るのかもしれない。

 あくまで目立たず程々に楽しんでいたつもりだったが、バレてしまったとなれば自分の詰めの甘さを反省する。

 だが、もしもそうであれば彼女の話も彼女自身も実に興味深い。

 クラスメイトならまだしも、他のクラスで俺の体育祭での"遊び"に気付いたとなると、余程の観察眼の持ち主なのだろう。

 存外、この学校には面白い人材が眠っているのかもしれない。少し楽しくなってきたな。


 ビニール袋から新たにパンを取り出して、中身が落ちないよう丁寧に袋を破る。

 その途中、話を深堀してみようかと逡巡していたところで東雲が先に口を開いた。


「天沢くんは大食なんですね」

「そうか? 男子高校生なら普通だろ」

「そうなんですね。私、中学校までは女子校だったので」


 パン4つで大食と言われては運動部の連中は暴食の域に達してしまう。

 俺も食べる方だとは思うが、運動をしている人間に比べると日々の消費カロリーも少なく、その分摂取しなければならない栄養も減る。

 とはいえ、俺も男子高校生の平均的な食事量なんて知らない。完全な憶測だ。


 それにしても、俺が知りたかった話から完全に話題が逸れてしまったな。

 もう一度話を戻してもいいが、東雲の接触から既に10分近く経過している。長くなりそうな話題は今は避けるべきか。

 彼女自身、俺に興味があるようだし、放っておいても東雲と接触する機会は今後もあるだろう。

 人との会話は本当に難しい。次から次へと移り変わる会話に、逐一思考を整理して次の言葉を捻出しなければならない。億劫だ。


「どうして共学のこの学校に?」

「恋愛に興味があったんです」

「確かに女子校だと男子との出会いは少なそうだな」

「はい。なので、恋愛に疎い私でも恋愛について学べそうなこの学校に入学しました」


 恋愛を学ぶためにこの学校に入学した。動機としては正統派そのものだな。

 恐らくほとんどの生徒が東雲と同じか、或いは近しい目的で入学してきたことは間違いない。

 しかし、そうであれば同時に彼女の行動には不可解な点も生まれる。


「どうして告白を蹴ってきたんだ?」

「恋人には好きな人同士でなるべきだと思ったから、ですかね」


 東雲はそう言って頬をほんのり赤らめる。先程までの少し不気味な笑顔とは違う表情に思わず目を逸らした。

 恋愛を学ぶなら実体験を積むのが一番だと思っていたが、恋愛の経験がないからこそ最初は慎重になるもの。それも当然のことか。

 何より彼女に好きな相手が居るとしたら、それ以外の男子と付き合わないのは自然な流れだ。東雲を狙う男子にとっては聞き捨てならない話題だな。


 俗ながら俺も少し気になるところだ。

 先の表情から好きな人、或いは気になる相手が居るのは間違いないと見ていい。

 ずば抜けた容姿を持つ少女の片想い。相手はどんな人物なのか。東雲のことをどう思っているのか。

 喜一の恋愛が成就したら、次は東雲の手伝いをしてもいいかもしれない。第三者目線で眺める恋愛もまたひとつの学びだ。

 とはいえ、東雲の場合は告白するだけで話が終わってしまいそうだが。


「幼稚だと思いますか?」


 ほんの少し俯いて、上目遣いでこちらを見る。

 お淑やかな少女が見せる恥じらい。悪くないな。

 柄にもなくドキドキしてしまうが、どうにか平静を装う。


「いや。普通のことだろ」


 俺は人を好きになるという経験を積んだことがないからわからないが、好きな人と結ばれるのは幸せなことで、誰もが望む理想だ。

 相手が自分を好きになるかは別の話だし、好きになった相手にとんでもない裏がある可能性もあるが、それもまた経験だ。俺が否定することじゃない。

 目を丸くして黙ってしまった東雲に


「東雲には好きな人が居るのか?」


 と興味本位の質問を投げてみる。


「そう……ですね。好きと表現すべきかは疑問ですが」

「その人物について聞いても?」


 初めての恋愛に挑む少女の行く先を見てみたくなって、ダメ元でそう尋ねてみる。

 初対面の相手に自分の秘密を教える人間はそういない。教えませんと言われればそれで引き下がるつもりだ。

 いや、そのつもりだった。


 東雲は人差し指を空に向けたかと思えば、そのしなやかな指先をゆっくりと下ろす。

 そして、こちらに向けられた状態でぴたりと動きを止めた。

 半ば確信しながらも後ろを振り返るが、しんと静まり返った通路があるだけで人の気配はない。


「ここには私たちしか居ませんよ」

「面白い冗談だな。流石は社交性Sランクか」

「冗談ではありません」


 東雲はくすくすといたずらっぽい笑みを浮かべ、人差し指を俺の胸に当てた。

 胸の中央を縦になぞり、俺の顎にそっと触れる。

 至近距離で微笑む東雲は同い年とは思えない妙な艶めかしさがあった。

 周囲に人が居なくてよかった。誰かに知れれば明日には蜂の巣にされていたかもしれない。


「私は天沢くんに興味があります」

「それは好きな人とは違うだろ」

「そうかもしれません。ですが、男性にこれほど好奇心を掻き立てられるのは初めてなもので」


 女子校育ちの弊害か。男性に免疫がないのだろうと勝手な推測を立てる。

 東雲が抱く感情を愛情とは呼べないし、好意と称するのも憚られるところだが、男性に興味を持って接するのは思春期の少女として至極当然のことだろう。

 相手が俺でなければの話だが。


「やっぱり冗談としか思えないな。どうして俺なんだ? 東雲ならもっと相応しい相手が居るだろ」

「遠回しに振られているみたいですね」

「悪い。そのつもりはなかった」

「私が天沢くんに興味を抱くのが不思議ですか?」

「そうだな。俺は東雲のことをよく知らないし、東雲もそうだろ? 目立ちもしない、ステータスも低い俺に興味を持ったと言われても不審に思うのが自然だ」

「そうですね。その前提が正しければ天沢くんの言う通りだと思います」

「……どういう意味だ?」

「私が天沢くんとお近付きになりたい理由。それを説明したいところですが……」


 東雲はふと俺から視線を外し、そのまま特別棟の2階へ続く階段を一瞥する。

 神条先輩の動向を気にしていた俺でなければ気付かない一瞬の出来事。

 東雲に観察されていることに気付いて視線や仕草には気をつけていたつもりだったが、どうやら東雲には筒抜けだったらしい。

 相手が神条先輩だと絞れなくとも、俺がここで誰かを待っていることには気付いている。そんな合図だった。


「そろそろお時間ですよね。天沢くんの邪魔をするつもりはありませんので、私はお暇します」


 東雲は柔らかく微笑んで腰を上げた。

 パンパンとお尻についた砂を払うと、スカートがひらりと揺れる。

 そのまま立ち去ろうとする東雲を思わず呼び止める。

 

「お前はどこまでわかっているんだ」

「詳しいことは何も。ただ、天沢くんが何かを画策していることはわかりますよ」

「東雲の勘違いだと言ったら?」

「近いうちにわかりますよ。安心してください。他言するつもりはありません」


 東雲は丁寧に一礼して身を翻した。

 が、すぐに足を止めて顔だけをこちらに向ける。


「余計なお世話かもしれませんが、ひとつだけご忠告を」

「なんだ?」


 穏やかな笑顔はなりを潜め、表情を無にして彼女は言う。


「恋人契約は慎重に吟味してくださいね」


 意味深な言葉を残し、東雲は再び歩み始めた。

 校舎の陰に消えた彼女の姿を瞳に映し、コーヒー缶を空にする。


「恋人契約、か」


 恋人契約はこの学校特有の制度のひとつだ。

 恋人になった2人は端末を通して契約を結び、恋人として過ごした経歴を記録していく。

 要は恋人たちの軌跡だ。写真や日記に勝るとも劣らない、思い出を詰め込むための制度だと認識している。


 今の俺には関係のない話なはずなのに、彼女はわざわざ忠告としてその言葉を残した。

 気になることはいくつもある。しかし、焦ることはない。彼女とはこれから幾度となく顔を合わせることになるだろう。その時にでも聞けばいい。

 そんな予感を抱きながら、俺は行動を開始するためにビニール袋の口を縛った。

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