3.監視する者とされる者

 作戦は大方固まった。会話のイメージもある程度想定している。

 しかしその足取りは軽いとは言えなかった。

 それもそのはず。俺はここ数日、少々の睡眠時間を削って今日に向けてのシミュレーションを行った。

 その結果、この作戦は俺に不向きだと結論が出てしまったからだ。

 喜一であればノリとテンションで済ませられる内容でも思考を絡めてキャラを作る俺に自然体を演じられるかは甚だ疑問だ。

 俺と神条先輩の出会いはあくまで偶然の産物だ。そこに人の思考が入る余地はないし、こちらが図ったと知れればその時点で計画は破綻する。

 こんなことなら演技も少しは齧っておけばよかったと今しがた後悔している。


「よう」

「ああ、おはよう」


 顔を合わせるや喜一がニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて近寄ってくる。


「あの件、いつ始めるんだ?」

「何の話だ?」

「おま、わかってんだろ。こんな場所で言わせんなよ」


 すっかり他人任せな喜一に意地悪な返しをお見舞いする。

 喜一に相談を受けて3日。あれから上手く利用できそうな情報は流れてきていない。

 俺も個人的に探ってみたが、誰もが羨む美人という点を除けば、神条先輩は至って普通の生徒だった。

 交友関係はそれなりに広く、放課後は友人とどこかへ出かけている。彼女の周囲の女子もランクなんて関係なしに神条先輩を慕っている様子だ。

 女帝だ冷血だと揶揄されていた理由がわからないくらいだった。


 ひとつ気がかりがあるとすれば、昼休みの行動だろうか。

 探りを入れたのは昨日と一昨日の2日だけだが、その2日とも彼女は特別棟へ向かっていた。

 最後まで後をつける真似はしなかったが、昼休みいっぱいは1人で過ごしているようだ。

 委員会の仕事? 部活の昼練? はたまた、誰かと密会でもしているのか?

 選択肢は数多く、今の情報量で絞り込むのは難しい。

 誰かと、それも男子と会っているのであれば障害になる可能性があるが、そうでないならこの件は深く追及する必要もない。

 神条先輩が1人になる時間が存在する。その事実だけで大きな成果と言える。


 作戦の最終確認を行っているとぐらりと体が揺れる。喜一が肩を抱いて顔を寄せていた。

 俺たちの仲はクラスメイトであれば知らないことはないが、喜一は同学年の中では目立つ方なので嫌でも視線が集まる。

 居心地が悪く、額を押して離れるように促す。


「本当に頼むぜ。お前に懸かってんだ」

「心配しなくても今日の昼休みには接触する」

「お、マジか! 成功率はどれくらいだ?」

「さあ、どうだろうな」

「おいおい、本当に大丈夫か?」


 俺の手元にあるのは、入学して2ヶ月で俺が得た情報と、喜一が先輩マネージャーから仕入れた噂話だけ。

 喜一に聞かされた話は、きっかけとしては悪くない内容だったが、流石にこれだけでは心許ない。

 出処もはっきりしないし、眉唾の噂だと割り切った上で挑むべきだろう。

 もし失敗しても次の手は考えてある。使わないに越したことはないが、いざとなれば神条先輩に嫌われる覚悟はしておかなければならないな。


「俺が立てた作戦、喜一が実行する方が勝算があるんだが」


 それとなく喜一に行動を促してみる。

 俺が上手く演技できるかも疑問だが、最悪の場合俺が神条先輩の気を引いてしまう可能性があった。

 が、俺が言いたいことを言い終える前に喜一は勢いよく首を横に振った。


「無理無理。緊張してまともに話せる気がしねえよ」

「お前がそれを言うのか。今までも異性と付き合ったことはあるだろ」

「それはそれ。神条先輩と2人きりは萎縮するっつうか……あんだけ美人な歳上と話したことねえし」

「俺もだけどな」

「祈織はほら、人に興味無いから大丈夫だろ」


 酷い言われようだ。約束を反故にしてやろうか。

 俺だってただの男子高校生だ。他人に、異性に興味が無いわけじゃない……が、否定しても平行線になるだけだな。

 神条先輩の話から脱線して喜一のありがたいお説教を聞き流していると、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。

 喜一は「頼んだぞ」とだけ言い残して自席に戻る。

 午前の授業中に神条先輩との接触後の計画でも練るとするか。



※※



 恋情養成高等学校の校舎は、生徒たちが授業を受ける教室が並ぶ教室棟と音楽室や理科室等の特別教室が収容された特別棟に分けられる。

 それぞれの校舎は1階にある通路を介して繋がっているだけで、教室の移動は不便と言わざるを得ない。

 通路はその1箇所に限られるため、3階に教室を構える3年生にもなるとわざわざ1階まで降りてから特別棟に向かう必要がある。

 つい先日もその移動時間のせいで授業に遅れたという愚痴を耳にした。難儀なことだ。


 昼休みに入ってすぐに教室を出ると、特別棟へと足を踏み入れる神条先輩の姿が見えた。

 階段の踊り場から覗く窓に目をやりその様子を観察するに、2階のどこかの教室に入ったようだ。

 2階にあるのは美術室と理科室に理科準備室。それに視聴覚室と書道部の部室、茶道部の部室だったか。

 各教室の窓を注視してみるが、窓際に姿を見せなければどの教室に入ったのかはわからない。

 携帯端末で時間を確認すると、昼休みになって1分も経過していなかった。神条先輩以外に特別棟に立ち入った人は居なかったことから、誰かと会っている線は消していいだろう。

 取り敢えず今はそれだけわかればいい。あとは時間を潰して、都合の良いタイミングで実行するだけだ。


 昼休みは昼食の時間としている生徒がほとんどだ。学校もそれを目的として時間を設定しているはずだし、小学校だろうとこの学校だろうとそれは変わらない。

 ただ、国が設立した学校だけあって、昼食ひとつにしてもこの学校では取れる選択肢が多い。

 購買や食堂は当然のこと、カフェやレストラン、コンビニまでもが学校の敷地内に用意されており、毎日別の食事を摂っても3年間でコンプリートするのは難しいほどのバリエーションがある。

 それほど昼食に楽しみが見い出せるとなれば、生徒たちはこぞってそちらに集まる。

 特別棟周辺には店舗もなく、昼休みと言えど生徒の姿はない。


 かく言う俺は、予めコンビニで調達したビニール袋を提げていた。

 教室棟と特別棟を繋ぐ渡り廊下の傍に腰を下ろしてパンを貪っている。何とも空虚な時間だ。

 人通りが少ないとはいえ、こんな場所で1人食事を摂るのは気が引けるが、万が一神条先輩がイレギュラーな行動を起こしても対処できるよう見張っておく必要がある。

 この姿を誰かに見られたらストーカーだと思われるだろうか。もしもそう勘違いされると、言い訳ができる状況じゃないだけに苦しいな。


 もしかすると、先程から物陰でこちらの様子を窺っている人物は、既にその疑いで俺を観察しているのかもしれない。


 気付かないふりをして缶コーヒーに口をつける。

 かれこれ5分……いや10分になるか。出方を窺ってみたものの、その人物は教室棟の外壁に姿を隠し、視線をこちらに注いだまま動く気配はない。

 尾行されていた感じはしなかった。この場に居合わせたのは偶然だろう。

 しかし、一向に話しかけてくる素振りもなければ立ち去ることもない。まさに監視だ。俺の動向を探るようにその場から動かずに息を殺している。


 あらぬ噂さえ立てられなければ俺は構わないが、このまま神条先輩と接触させる場面を見られるのは避けたいところだ。

 俺は相手が気付く程度に軽く視線を送った。こちらを覗き見る視線と交わる。

 そこに居たのは女子生徒だった。片目だけでは人物を特定するのは難しいかと思ったが、その目と髪の色には見覚えがある。

 監視がバレたと知ってどう動くか。良くも悪くも目立つ相手だ。できれば立ち去ってほしいところだが……。

 俺の願いとは裏腹に、彼女はどこか嬉しそうにこちらに迫ってきた。


「こんにちは、天沢くん」


 互いにその表情が視認できる距離まで近付いたところで彼女──東雲しののめ千歳ちとせは声をかけてきた。

 覗き見ていたことはおくびにも出さず、柔らかい笑顔を向けている。

 となれば、こちらもそのていで動いておくのが無難だろう。


「どうも」

「隣、いいですか?」


 想定外の提案に内心動揺しつつ、ビニール袋を膝に抱えてスペースを確保する。

 東雲は軽く会釈して、拳2つ分の距離を空けて腰を下ろす。

 さてどうしたものか。

 予定の時刻まで残り30分程度。それまでに彼女の真意を探り、この場から退散してもらわなければならないな。

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