猪口『対抗チョコ』
放課後、私はクラスメイトのみんなをぼんやりと眺めていた。別に今さら人間観察にハマったわけではない、
――ただ、今日という日が特別な空気感を演出しているだけなのだ。
黒板の右下に書かれている『2月14日(水)』の字に目をやる。既に仕事を終えたためか、日直の箇所には誰の苗字も書かれていない。咎める人が誰もいないから、教室がチョコと甘い言葉が飛び交う場所と化している……かもしれない。
「んしょ……」
何やら彼方さんも、スクバの奥の方をごそごそしている。まさか、彼女もあの空気感に溶け込むつもりなのか!? あの彼方さんが!?
いつも私とテキトーな話しかしていないあの
――だって、校内で私以外の人と仲良くしている光景なんて、一度も見たことがないのだから。
なんて考えていると、彼方さんは私の肩を叩く。はいはいどうした? 告白の練習ならいくらでも付き合ってやるぞ……って、なんでチョコっぽいものを私に向かって差し出すの!?
「はいこれ、ハッピーバレンタイン! さやか!」
「……えっ、私に!? それか渡す込みの練習!?」
「練習? 何言ってんのさやか、ウチは本番のつもりだよ! 本番の本命チョコだよ!」
本命チョコ……本命チョコってあの『本命チョコ』!?
ちょいちょいちょいちょい! 一旦言葉の意味を調べた方がいいと思うよ? 勘違いしちゃうから!
「彼方さん……いくら『バレンタイン』というイベントを堪能したいからって、ただのマブである私を『本命』として据えるのは、なんか破綻してると思う……手段が目的になってる……」
「そっかぁ、さやかはウチとマブなままがいいんだね~。それならそれでいっか、特別な存在なのには変わりないんだし。まあ、とりあえずコイツはウチの本命として貰ってよ。手作りだけど、ちゃんと味見したから大丈夫! 吐いたりはしなかった!」
なんで手作りチョコを『吐くこと』を前提として話してるんだろう……基準となるハードルが世間一般と比べて低すぎやしないか?
「まあまあ、ちょっと食べてみてよ~。マズかったらウチが全部食べるから! というか食わせろ~!」
「いや、欲望が漏れ出てるから! ……分かったよ、食べるから焦んないで」
包装の銀紙を開け、彼方さん特製のチョコとご対面する。綺麗なハート型に白のチョコペンで『さやか~』と彼女の字で書かれていた。私以外のさやかはクラスメイトにも学年全体にもいないので、完全に私に向けた本命チョコとなっている。
女子から女子に渡された本命チョコだなんて見たことも聞いたこともないけど、これも一つの『青春』の形なのかとも思う。ちょっと私には眩しすぎるかも……。
「いただきます。あむっ……んん~! 美味しい~!」
ねえ彼方さん! あなた、自分でめっちゃハードル下げてたけど、全然美味しいんじゃん! じゃあこれを私だけに? なにそれ、眩しすぎるよマブ……!
「よかったぁ~! あんまりあの空気感得意じゃないし、ウチらはもう帰ろっか」
「あ~……ちょっとわかるかも。キラキラしてていいなとは思うんだけどね、ちょっと私には窮屈かも」
別に教室でイチャつくのが悪いわけじゃないし、青春の一ページを刻んでいて羨ましいとも思う。ただ大変そうだし、あんまり突き詰めすぎると自分がなくなってしまいそうなのも事実だ。
「じゃあ途中さ、彼方さんへのお返しも買おっかな。手作りじゃないけどいい?」
「もち~! さやかからの贈り物ならなんだって嬉しいよ。本命チョコならぬ『対抗チョコ』だね~」
「なにそれ~? また何か思いついた感じ~?」
本命に対する対抗って……バレンタインはいつからギャンブルになったの? まあ、ある意味恋愛の運命を左右するギャンブル的側面はあるかもしれないけど……。それとはまた意味合いが違うと思うよ?
この話もどうせ長くなるんだろうな、今日の帰り道は長めだからゆっくり語れるな。甘々な教室から、二人きりで抜け出す……。
「多選さん、
――と思ったら引き止められてしまった。声の主はどうやら男子の……ごめん、ド忘れしちゃった。なんだぁ~? 『チョコくれ』だなんて言われても、私たちは何も用意してないぞぉ~?
「これっ……みんなにあげてるんだけど、多選さんたちにも!」
彼は私たちにチョコクッキーを差し出す。どうやらクラス全員に渡していっているらしい。なるほど、そういうパターンもあったか……。
「「わお、まさかの『大穴チョコ』……」」
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