第92話 青生春人を変えた世界<後編>
生徒会の用事がまだ残っているからと、真壁さんは生徒会室へと戻って行った。
正直、耳元で春人に何を言っていたのかすごく気になるけど、真壁さんの言う通りあまり長居するのは良くないため、すぐに春人のクラスへ向かう。
「着いたぞ、ここが俺のクラスだ」
1年Ⅴ組と書かれた標識がつけられている教室の前に来ると、春人が私に前を譲る。
ここが……
広さ自体は
「春人の席はどこなの?」
「ここだ。ちなみにその前が須賀のだな」
そう言って春人は、廊下側の後ろから二番目の席を指さす。
春人が須賀くんとやらと仲良く話している場面が、不思議と浮かんでくる。
そしてきっと、その中に高見沢さんと河島さんという二人の女の子がいるのだろう。
いいな……
想像しただけで、胸がキュッと締め付けられる。
私はその感覚を誤魔化すように、春人に告げる。
「ありがとう春人、もう満足だよ」
「そっか、なら早いとこ出よう」
「うん」
二人で来た道を戻り学校を出ると、一度小川夫妻の家に戻る。
それから夕飯を頂いて、外が少し涼しくなった辺りで、春人と私は約束通り再び家を出る。
教えてもらったいい場所とは、どんな所なのだろうか?
心地よい夜風に当たりながら、今から向かう場所に思いをはせる。
そして、二十分ほど歩いたところで少し大きめの公園にたどり着く。
「もしかして、ここ?」
「ああ、星がきれいに見えるんだ」
そう言われて空を見上げると、東京とは比べ物にならないほどに多くの星々が輝きを放っている。
だけど、それと同時に思う。
きっと、春人はその夜空をすでに他の誰かと見ているのだろうと。
「ん、どうしたんだ、惠麗?」
「うんん、何でもない。行こう」
春人に連れられ自然豊かな公園内を少し歩き、ベンチが見えたところでそこに二人で並んで座る。
改めて空を見上げると、やっぱりすごい。たぶん、今まで見てきた中で一番きれいな星空だ。
「ねえ、春人」
「何だ?」
「夏の大三角形ってわかる?」
私の突然の問いに、春人はいたずらっぽ笑みを浮かべ、胸を張るように答える。
「わかるよ。前にそれで痛い目を見たからな」
「痛い目?」
「ああ。今日学校で会ったりあ先輩と前に来た時、答えられなくて恥ずかしい思いをしたんだよ」
「――っ、そっか」
一緒に来たのは、真壁さんだったんだ……
私は思わず、春人の右手を両手で取ると、真っ直ぐに彼を見つめながら尋ねる。
「春人はさ、真壁さんのことが好きなの?」
「――そうだな……」
私の問いに、春人が苦笑いを浮かべる。
この癖は昔と変わらない――何か、角が立たない答えを探している時に見せるもので。
この癖を出すということは、春人はすでに、真壁さんから好意を向けられていると感じている。
「ごめん、やっぱりいいよ」
「う、その、悪いな……」
僅かに気落ちした様子を見せる春人を横目に、私は思う。
半日程度だけど、ここで過ごしてはっきりとわかったことがある。
今日見てきたものすべてにおいて、春人の隣には私以外の女の子が必ず誰かいる。
そしてその場所は、元は私がずっと独占していた場所で――
やっぱり、このままではいけない。
私の中で、そう何かが強く訴えかけてくる。
前に進まなければ、本当に春人の中での私の居場所がなくなってしまう。だから――
決めた、私、前に進むよ。
春人と二人並んで、夏の夜空を見上げながら、私はそう誓った。
※※※
翌日の午前9時過ぎ。
俺は惠麗を見送るために、最寄り駅のホームで惠麗と一緒に電車を待っていた。
「ほんの短い間だったけど、どうだった?」
「うん、ちゃんと私が知りたいことは知れたよ」
「そっか」
最後まで俺は、惠麗の知りたいことが何なのかはわからなかった。
だけど、惠麗が満足しているのなら、それでいい。
「ねえ、春人」
「何だ?」
「また、来てもいいかな?」
「ああ。ただし、今度はちゃんと周りに伝えてからな」
「うん、わかった。ありがとう」
昔のような柔らかい笑みを惠麗が浮かべたところで、ノスタルジックを感じさせるメロディーと共に、電車がゆっくりとホームの中に入ってくる。
「春人、今回は本当にありがとう」
「これで前に進めそうか?」
「――うん、もう大丈夫」
「本当か?」
「ふふ。そう思うなら、ちょっと腰落として」
「こ、こうか……?」
俺は言われるがまま、惠麗の視線と同じ高さまで腰を落とす。すると――
「なっ、ちょ、惠麗……っ!?」
惠麗の柔らかい唇が、俺の右頬に触れていた。
俺は急いで惠麗と距離を取ると、彼女はいたずらっぽく笑みをこぼす。
「言った通り、もう大丈夫でしょ?」
確かに惠麗の言う通り、少なくともそこには数日前まで暗い表情をしていた惠麗の姿はもうない。だけど――
「惠麗、さすがにこれは――」
「これが私の気持ちだから」
「――っ」
それは、またしても言葉のない告白だった。
「春人は優しいから、本当は気づいてても今まで気づかない振りをしてくれてたんでしょ?」
確かに今まで気づかない振りはしていた。だけど、それは優しさからではない。
単に、惠麗のその純粋な気持ちと向き合うのが怖かったから。そしてそれは、高見沢さんに対するものと変わらない。
「ねえ、春人」
「――」
「私は、待ってるから。春人が今の生活に満足する時まで」
「――っ!?」
「それじゃ、またね」
ホームに止まった電車が扉をゆっくりと開くと、最後に小さく笑いかけてから、惠麗は電車の中に入って行く――
別れの言葉は返せなかった。見送りに来たはずなのに。
※※※
久しぶりに春人に会った時、本当は一緒に家まで帰るつもりだった。
だけど、電車の中で春人が見せた自然で朗らかな笑みを見た瞬間。
私は春人が自分の知らない青生春人になってしまった気がして、思わず駅で嘘をつき、その場で別れた。
そして、できればこのまま春人とは会わないままでいたいと、そう思っていたところに、誠二郎の件があって――
やっぱり、自分は青生春人のことが好きだと改めてそう思わされた。
だから、どうしても知りたかった。
どうして青生春人が変わってしまったのかを。青生春人を変えた世界を知ることを通して。
そして、それは春人が今までのようなしがらみのない世界で、自由に自分らしく学校生活を送っていたからだとわかった。
だけど、きっともうじき、あの自然な笑みは消えてしまう。また、昔のように無理をして作った偽りの笑顔が、春人の顔に張り付くことになる。
昨日、哀川さんから聞いた話や、真壁さんに実際会ってみてわかった。
いずれ彼女たちは春人に再びしがらみを与えてしまう――いや、もしかしたらすでに、そうなりつつあるのかもしれない。
だからこそ、私は春人に伝えた。
待っていると。
春人が今の生活が続けられなくなり、どうすることもできなくなったときに、彼を受け入れてあげられるように。
※※※
電車の扉が閉まり、車体がホームから徐々に速度を上げながら遠ざかっていく。
そして、それを眺めていると、突然、肩の重りが取れて、身体が軽くなるような不思議な感覚を覚える。
何なんだ、これは……
今まで体験したことのないその感覚に疑問を抱きかける。しかし――
ああ、そういうことか。
すぐにその感覚の正体がわかる。そして――
ようやく、見つかった。
突然覚えたその感覚こそが、高見沢さんから出された宿題の答えだと、俺は直感的にそう思った。
【ご報告】
本作を「電撃の新文芸5周年記念コンテスト」に応募していたのですが、読者の皆様の応援のおかげで中間選考を突破することができました! 本当にありがとうございます! これからも引き続き頑張って執筆してまいりますので、応援よろしくお願いします!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます