第90話 青生春人を変えた世界<前編>

 さすがに席まで近くにすることは無理だったようで、列車に乗った後は、目的地に着くまで俺と惠麗は別々に新幹線での移動の時間を過ごすことになった。


 まずは念のため、惠麗の母親に今回のことを知っているかどうか尋ねてみる。


 すると、程なくしてまったく知らないという返事が返って来た。


 つまり、今回の惠麗の行動は完全に彼女の独断によるものだということだ。


 俺は心の中で頭を抱えながら、惠麗にメッセージを送る。


(青生)おばさんに何も言わないで来たんだな

(惠麗)私、もう高校生だよ?

(青生)高校生はまだダメだろ

(惠麗)春人がいるから、大丈夫。心配いらない

(惠麗)ママ、そう言わなかった?


 惠麗の言う通りで、最初こそ驚いていたものの、惠麗の母親は俺が一緒についているなら問題ないと言って、話はそれで終わりになった。


 長い付き合いの中で信頼されているというのは嬉しいけど、さすがにちょっと度が過ぎる気がするんだよな…… 


 まあ、それは今さらとして――


(青生)宿はどうするんだ?


 さすがに日帰りというわけにはいかないだろう。


(惠麗)春人の家の近くでホテル探すつもり

(春人)田舎だから多分ないと思うぞ

(惠麗)えっ……


 正確に言えば、小さなビジネスホテルが駅前にあるけど、今の時期だと多分空き部屋はないだろう。


(春人)仕方ないから、今住んでるところのおばさんに頼んでみるよ

(惠麗)ありがとう!!!

(惠麗)両目に涙を浮かべる子犬のスタンプ


 惠麗とのやり取りを一度終え、居候先のおばさんに連絡を入れると、すぐに問題ないという返事をもらう。


 こういうことに嫌な顔をする人たちではないということは知っているが、それでも申し訳ない気持ちになる。


 こんなことなら、もっと良い東京土産を買って帰るべきだったな……


 そんな後悔の念を抱きながら、惠麗に問題ないというメッセージを送ると、ようやく一息つく。


 それにしても、惠麗はどうしてこんなことをしたんだ?


 本人は、ただ純粋に俺が住んでいる場所を見てみたいと言っていたが、どうもそれだけではない気がする。


 だけど、落ち着いて考えてみても、まったく見当がつかない。


 そんな中、メッセージアプリに誠二郎からのメッセージが届く。


 今回はちゃんと別れを告げることができなかったから、その件だろうか。


 誠二郎とのトーク画面を開くと、そこには短くこう書かれていた。


(誠二郎)春人、惠麗の背中を押してやってくれ


 はっきり言って、その言葉示す明確な意図はわからない。


 ただ、今回の惠麗の行動が、彼女自身が前に進むために行ったということだけは、何となくわかったような気がした。


         ※※※


 新幹線を降りた私は、春人と合流し彼が住んでいる地域に向かうために、在来線に乗り換えることになった。


 春人の話曰く、今から2時間ほど電車に揺られることになるらしい。


 ホームで電車を待っていると、普段は聞き慣れない地方特有のメロディーと共に、電車がホームへやって来る。編成は4両で、これも都会では滅多に見ないものだ。


 ゆっくりと開いた扉から車内に入ると、夏休みシーズンのせいか席はすべて埋まっていて、そのほとんどが学生だ。


 彼ら、彼女らもきっと、私と同じように夏の思い出を作っている最中なんだろう。


 そんなことを思いながら、私は電車の窓からゆっくりと流れていくこの土地の景色を眺める。ちなみに春人もまだそれほど見慣れていないのか、新鮮そうに私と一緒に外を静かに見ている。


 そして、電車に揺られて一時間ほどで隣町を通過すると、そこから一気に乗客が減り、私たちは空いた二人並んで座れるボックス席に移動する。すると――


「なあ、惠麗」

「何? 春人」

「今更だけど、これから俺はどうしたらいいんだ?」

「あっ――」


 言われてみれば、私自身、具体的に何がしたいのかは考えていなかった。


 ただ、純粋に春人が今の春人になった理由を知ることができれば、それでいいのだと思って……


「うーん」


 唸る私を見て、春人が小さくため息を漏らす。


「何も考えてなかったのか」

「ごめん……」

「まあせっかく来たんだし、案内できるところはするよ。って言っても、本当に何もないところだから期待はするなよ」

「うん、ありがとう」


 やっぱり、こういうところは春人だ。


 幼馴染の変わっていない部分にほっとしたところで、私は再び車窓から景色に目を向け、春人の方は英単語帳を開いて勉強を始める。


 そして、さらに1時間近くが経ったところで、私たちは目的地に到着し、列車を降りる。


 ようやく今から春人が普段過ごしている場所を見ることができる。


 そんな高揚感を覚えながら、私は春人と一緒に小さな駅を出ると、駅の簡素なロータリーと同時に、小さなマンションやファミレスといったちょっとした街並みが目に入る。そして――


「少し遅いけど、昼食にしようか」


 近くにあったファミレスを指さす春人に私は小さく頷くと、二人でファミレスがある方向へ向かって歩き出す。ところが――


「青生くん?」


 歩き出して数歩の所で、不意に春人の名前が呼ばれる。それも女の子の声で。


 私は春人よりも先に声のした方を振り向く。


 すると、そこには金髪に近い明るい茶髪の女の子が、綺麗な大きな瞳を春人のほうへ向けて立っている。


 そして、少し遅れて彼女の方を見た春人は――


「哀川さん――二週間ぶり、くらいかな?」


 少しはにかみながら、そう口にする。


 またこの私の知らない笑顔――もしかして、彼女が春人を変えたの?


 そう思った瞬間、私の胸がチクリと痛んだ。

 



 


 

 


 

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