第88話 届かない思い


 8回戦が終わった時点でのスコアは5対5、ここに来ての完全な振り出し。


 雨が降り始めた時点で、フィジカルの差は埋められると思っていたけど、まさかここまで上手く行くとは思わなかった。だけど――


「どうした春人、来ないのか?」

「――」


 9回戦が始まり、攻める番になった俺は、今までしていたような大胆な攻撃を仕かけられずにいた。


 理由は雨によって悪化し続けるグラウンド状態――雨が降り始めた当初に比べて、ぬかるみがさらに酷くなっている。


 これではいくら俺でも、正確にゴールを狙うことはできない。


 くそっ、どうする……


 俺が攻めあぐねていると、誠二郎の足元が少し動く。


「来ないなら、こっちから行かせてもらう」

「――っ」

 

 不安定な足場であるにも関わらず、誠二郎が正確に距離を詰めてくる。


 その足取りは、全力ではないにせよ、今まであったような不安が見て取れない。


 どうやら、今までの戦いの中で、少しずつ誠二郎なりにこのグラウンド状態との向き合いかたを探っていたらしい。


 こうなったら、無理にでも攻めるしかない。


 これ以上時間をかけて、さらに誠二郎がグラウンド状態に適応するほうが厄介だ。


 俺は無理を承知で、右サイドから誠二郎を躱しにかかると、当然誠二郎もそれについて来ようとする。


 ただ、それでもほんの僅かに俺のほうがまだ早い。


「これなら――っ」


 ボールを前に蹴り、俺は一気に誠二郎を躱すと、シュート体制に入る。だが――


「――っ!?」


 軸足となる左足の接地した地面が、他の箇所以上に柔らかく、思わず体制を崩してしまう。


 そして、その隙を見逃さないと誠二郎がボールを奪いに来る。


 体制を立て直す時間はない、このまま打つしかない。


 右足にボールを当てるのだけで精一杯という状況の中で、俺はゴールのど真ん中目掛けて右足でボールを蹴る。


 シュートの勢いは当然弱い――全速力で誠二郎が走れば、ゴールライン手前で食い止められる。だけど――


「くそっ……っ!」


 全力を出し切れなかった誠二郎は、シュートを食い止めることができず、俺に6点目が入る。


 今度は誠二郎が攻める番だ。


 誠二郎はボールを俺から受け取ると、さっき俺がやったことと同じように、俺を右サイドから抜きにかかる。


 その攻めに対して、俺も必死に食らいつこうとするが、ここで誠二郎が地面を踏み込む力が強くなり、俺はあっさりと抜かれてしまう。


 ここに来て、踏み込みに躊躇ためらいがなくなった。誠二郎自身、ここで点を取れなければ敗北してしまうことを理解しているからだ。


 易々と俺を躱し、誠二郎がシュート体制に入る。


 だが、誠二郎もまた、俺と同じように軸足を固定できず、バランスを崩してしまい、そんな状態のまま弱々しいシュートを放つ。


 誠二郎の放ったシュートは、コースこそ何とか外さずに済んでいるが、すぐにグラウンドの上に落ち、転がるようにゴールへ向かう。


 このグラウンド状態では、ゴールへ近づくにつれてボールの勢いは落ちていく。


 ここしかない――っ!


 俺は倒れてしまうリスクを顧みず、弱々しくゴールへと転がっていくボールへ全速力で向かって行く。そして――


「よし――っ!」


 ペナルティエリアを通過した辺りで、何とかボールをクリアする。


 これで6対5――次の攻めで俺が点を取れば、俺の勝ちだ。


         ※※※


 青生春人はいつだって誠二郎の前にいた。


 惠麗と出会ったのも、サッカーの実力も、クラスでの立ち位置も、そして惠麗との距離さえも、何もかも誠二郎の前を歩いている。


 そしてそれは、絶対に外してはいけないシュートを外し、地面に膝をついている今この瞬間も変わらない。


 不安定なこのグラウンド状態で、春人は無事にシュートを決めて見せ、対する自分はシュートを打つのがやっとで、それも防がれてしまった。

 

 これで6対5――次に春人にシュートを決められれば、誠二郎は負ける。


 そしておそらく、次も春人のシュートを誠二郎は防げない。


(何て様だよ、まったく)


 最初はあんなに圧倒していたのに、雨がただ降っただけでこの有様だ。


 こんな自分が、春人よりも好いてもらえるわけがない。だが――


「来いよ、春人」


 誠二郎は立ち上がると、春人に告げる。


 どんなに状況が思わしくなくても、誠二郎は諦めるわけにはいかない。


 ここで諦め敗北を認めれば、惠麗はどうなる?


 もう誠二郎は見たくない、大好きな惠麗の悲しむ姿を。


 そして、そんな惠麗を変えられるのは、悔しいことに自分ではない。


 どんなに彼女のことを思っても、彼女が見ているのはいつだって春人で、その恋敵だけにしか、彼女の心を溶かすことはできないのだ。


「行くぞ、誠二郎」

「ああ、来い……っ」


 10回戦目が始まった。今度は9回戦の時とは違い、いきなり春人が勢いよく攻めてくる。


 グラウンド状態を考えれば、勢いよく攻める方のリスクは高いが、同時にその動きに対応しなければならない方にも当然リスクはつきまとう。


 いくら一点リードしている展開だと言っても、そうそう取れる作戦ではない。それを春人は――


(やっぱりお前は天才だよ。だが――)


 絶対に負けられない――惠麗のために。


 春人の攻めに、誠二郎が必死に食らいつく。


 いつ体制を崩して、倒れるかわからない。


 それでも全力で春人の動きについて行く。


 そして、そんな誠二郎の姿勢に春人は表情を歪めると、一歩後ろに下がる。


 もう一度、間合いを量るつもりだろう。


 そんな余裕は与えない。


 すかさず誠二郎は自ら距離を詰めて、プレッシャーをかける。すると――


(よし……っ)


 動揺のせいか、春人が僅かに体制を崩す。


 今ならば、ボールを奪える。


 反射的にそう判断し、前に出る、その瞬間だった――


「悪いな、誠二郎」


 体制を崩していたはずの春人が、まるで何もなかったかのように、あっさりと誠二郎の横を通り抜け、そのままシュート体制に入る。


 完全にボールを奪いに前に出ていた誠二郎に、それを防ぐことはできない。


 前にそのまま倒れ込まないよう踏み出した前足に力を入れながら、誠二郎は何が起こったのか理解する。


 体制を崩したように見えたのは、春人のフェイントだ。春人はあえて、体制が崩れたように見せかけて、自分がボールを奪いに前に出ることを利用した。


 事前に考えてのことではない。きっと、咄嗟に出た反射的な判断によるもの。


 とてもではないが、誠二郎にはできない。


(俺の負けだ)


 敗北を認めるのと同時に、ボールがゴールへと吸い込まれる音が聞こえる。


 これで7対5で春人の勝利――誠二郎の惠麗への思いは届かなかった。


 


 

 

 

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