第87話 恵みの雨


 第5回戦が終わり、スコアは5対2で俺が3点ビハインドで負けている。


 さらに、2点目に関しては誠二郎の読みミスによる一点。今まで取れた得点の中で、俺の実力によるものはない。


 このままゲームが進めば、俺は確実に負ける。


「誠二郎、水分補給がしたい」


 俺はタイムアウト代わりに、誠二郎にそう伝える。


「3分で戻って来い」

「ああ」


 この時間の中で、何か打開策を考えなければならない。


 俺は更衣室に戻り、水の入ったペットボトルを手に、現状について考える。


 この5回の攻守の中で、誠二郎は次第に実力を出しつつある。それも恐らく8割以上の実力を。


 そしてそれに対して、俺はまだそれほど実力差は感じていない。


 正直、自分でも意外なことだが、恐らく体力を始めとするフィジカル面以外は、それほど俺と誠二郎の間に差はない。


 だが、現状はそのフィジカル面によって、俺は圧倒的不利な立ち位置に立たされてしまっている。


 つまり、フィジカルでのハンデを覆せない限り、俺に勝機はない。


「どうする……」


 少ない時間で思考を巡らせるが、何も思いつかない。


 そもそも、フィジカルでのハンデがあるのは最初からわかっていたことであって、それを何とかする方法があるのなら、最初からそうしている。


「時間か……」


 結局、結論が出せないまま、俺は更衣室を出る。すると――


「これは……っ!?」


 ぽつりと、決して小さくない雨粒が、俺の二の腕に落ちる。それも、一秒に一度に近いペースで繰り返されて。そして――


 勝機が見えた――っ!


 突然降り出した雨に、俺は瞬時に現状を打開するための術にたどり着く。


 ここのグラウンドは天然芝。雨でも地面がぬかるまない実行芝とは違い、雨によって足場が乱れる。


 この状況を活かせば、フィジカル差を緩和することができるはずだ。


「待たせたな、誠二郎」

「ああ、早く始めよう」


 攻めを始める前に、軽く地面の状態を確認する。


 まだ状態が悪いとは言えないまでも、ほんの僅かに地面に足が食い込む感覚がある。これだけでも、大きな違いだ。


「行くぞ」

「来い」


 ボールをゆっくりと前に蹴り、瞬時に右から抜きに行くと見せかけ左から抜きに行く。すると――


「――っ」


 誠二郎の反応が、前の時に比べ僅かに遅くなる。


 どんなに誠二郎が優れたプレイヤーであったとしても、どれくらい本気で踏み込めるのかを見定めなければプレーはできない。


 だけど、俺は違う。俺には、そんなことをする必要はない。


 俺は誠二郎が作った一瞬の隙を見逃さず、しっかりとディフェンスを躱し、シュートコースを確保すると、ボールを強く前に蹴る。


 そして、シュートは綺麗な放物線を描き、見事にゴールへ吸い込まれていく。


「これで5対3だ」


 勝負は、これからだ。


         ※※※


「よし……っ!」


 日高くんが言った通り、雨が降り始めてから春人が早速一点を奪った。


 本当に、この雨は春人にとって恵みの雨なんだ。


 ただ、得点が入った時こそ日高くんは声をあげたけど、その表情は緊張感を帯びたものへ変わる。


「どうしたの?」

「攻撃面は見ての通り、青生と新藤は対等になった。だが、問題はここからだ」

「どういうこと?」

「守る側は攻撃を読まなないといけない。だが、それは必ず当たるとは限らない。こればっかりは、運の要素もある」


 確かに、春人の二点目も誠二郎が読み違えて、反応が遅れたことが理由で奪えた得点だ。つまり――


「ここからは、純粋に読みの勝負ってこと?」

「ああ、そういうことだ」


 思わず、大きく息を飲み込む。


 そして、誠二郎の攻めが始まり――


「えっ……」

「はは、マジかよあいつ……」


 誠二郎の攻めが始まり十秒もしないうちに春人がボールを奪っていた。


         ※※※


 まぐれだと、そう言えたらどれだけよかったことだろうか。


 6回戦の攻めの番で、一瞬でボールを奪われた誠二郎は、歯を食いしばる。

 

 雨が降り始めた時点で、攻めで春人に点を奪われる可能性が高くなるのはわかっていた。


 春人は誠二郎に比べて、平衡感覚が異常に良い。十八番のロングレンジシュートの正確無慈悲さがその証拠。


 そして抜かるんだ地面で全力で動けるのは、不安定な地盤でもバランスを崩さずプレーできる自信があってこそ。


 それに対して誠二郎は、春人レベルで踏み込むことはできない。精々、今まで出していた分の8割が限界。


 だからこそ、ここの攻めは絶対に落としてはいけなかったのに――


(まさか、ここでギャンブルを仕かけてくるとは……)


 今のは誠二郎が攻めを怠ったのではない。いくら全力を出せない状況であったとしても、得点できる可能性が5割以上はあった。


 だが、失敗した。


 春人は誠二郎が地面の感触を確かめ本格的に攻め始める前に、強引にスライディングでボールを奪いに来た。


 万が一、ミスをすれば確実に誠二郎がゴールを奪う状況でだ。


 そして、そのギャンブル的プレーが成功した意味は勝負の中の1得点を防いだというだけではない。


 これで誠二郎は攻める際に、毎回ギャンブル的なプレーを警戒し、かつ次第に悪くなっていくグラウンド状態を確かめながら、春人と対峙しなければならない。


 やはり、青生春人は天才だ。


 改めて、旧友の才能を誠二郎は思い知らされる。だが――


(絶対に俺は負けない――いや、負けられない)


 大好きな女の子に、これ以上悲しい思いをさせないために。


 しかし、そんな誠二郎の思いとは裏腹に、勝負は8回戦が終了した時点で、春人と誠二郎の得点は5対5――雨が降り始めてから、誠二郎は一度も得点を奪うことができなかった。

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