第85話 勝負開始


 ついに迎えた誠二郎との勝負当日。


 運動しても問題ない程度に夕飯を食べ、午後7時過ぎに俺は家を出た。


 真夏ということもあり、空にはまだ明るさが残っているけど、少しだけ暗い色の雲が多い。


 事前に見た予報では、この時間帯の降水確率は30%ほどらしいが――


「春人」


 雨が降った場合のシミュレーションをしようとしたところで、不意に後ろから声をかけられる。惠麗だ。


「どうしたんだ?」


 そう言って振り返ると、惠麗は力強いまなざしでこちらを見てくる。もしかすると――


「前にも言ったけど、俺は――」

「大丈夫。もう勝負しないで何て、言わないから」


 俺の言葉を優しく否定してから、惠麗は続ける。


「今度こそ、ちゃんと二人の勝負を見届けたいの。だから、一緒に行っても、いい?」


 昨日のことがあって、惠麗なりに何か考えた結果なのだろう。


 それで彼女の中で何かが変わるのなら、俺がその決断を拒絶する理由はない。


「わかった。一緒に行こう」

「ありがとう、春人」


 それから最寄り駅で電車に乗って二駅先まで移動し、そこから10分ほど歩いたところで、東聖学園の西洋風の洒落た校門の前にたどり着く。そして――


「来たか」


 校門の前で俺を待っていた誠二郎と目が合う。


「惠麗も来たのか」

「うん、今度はちゃんと決着を見届けたいから」

「そうか――行くぞ」


 誠二郎に案内された更衣室で着替えを済ませると、名門校のグラウンドと呼ぶにふさわしい、丁寧に芝が整備されたコートに足をつける。


「誠二郎、いつから始める?」

「15分後の20時から。その間はウォームアップ。それでいいか?」

「ああ、問題ない」


 それから俺は与えられた時間を、ストレッチで筋肉をほぐし、外周を軽く走ることで身体を温めることに使う。


 そして、約束の時間になったところで、グラウンドの中心で誠二郎と向き合う。


「改めてルールの確認だ。形式は1対1で、それぞれ攻守に別れて10回戦う。勝敗は奪った点と奪われた点の差し引きで多かった方が勝ち」

「わかった」

「それと、勝負の公平性を保つために、こっちで立会人も用意した」


 そう言って、誠二郎はグランドの隅にいた一人の男子生徒に視線を向けると、その生徒がこちらに向かって来る。あの人は……


不躾ぶしつけながら、この勝負を見届けさせてもらう角中守かどなかまもるだ」


 角中守――確か東聖の今のキャプテンで、すでにプロ入りが決まっている若手の有望株だ。


 まさか、こんな大物を立会人にするなんて……誠二郎がこの勝負にかける思いの強さが改めてわかる。


「今日はよろしく頼むよ。青生春人くん」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 笑顔と共に屈強な分厚い手を俺が取る。


 すると、角中さんは手を引っ張り俺の引き寄せると、耳元で呟く。


「前々から君には興味があったんだ。いい勝負を期待しているよ」


 どうやら、純粋に誠二郎からの頼みを聞いたというわけでもないらしい。


 少し気が引き締まったところで、角中さんはさらに続ける。


「それと、彼は君のお客さんかな」


 そう言った角中さんの視線を追うと、そこにはフェンスの外で、グラウンドに入りたそうにしている日高の姿がある。


「そうです、入れてやってもらえると助かります」

「わかった。それじゃ、改めていい勝負を期待しているよ」


 最後にそう言ってから、角中さんは日高の下へと向かう。そして――


「春人、そろそろ始めよう」

「ああ」


 ついに、俺が青生春人であり続けるための戦いが、始まる。


         ※※※


 とうとう始まってしまう……


 私、湖城惠麗はグラウンドの中央で対峙する春人と誠二郎を、胸が締め付けられるような思いで見つめる。


 どうして、二人がこんな風に争わないといけないのか。


 春人は自分のためだと言ってくれたけど、きっと本当の原因は私だ。


 私がもっとちゃんと前を向いて進んでさえいれば、二人がこうして戦うことなんてなかったんだ。


 そんな自分に対する嫌悪感を抱いていると、グラウンド内に新しく一人の男子が入ってくる。


 あれは確か、去年の都大会決勝で春人たちが戦った学校の日高くん……中学の試合会場でよく春人に絡んでいたからよく覚えている。


「ふう、このまま入れないかと思った」


 日高くんは安心したように一息つきながら、私の座るベンチの横に腰を下ろす。


「あの……日高くん、だよね?」

「ああ、そうだけど……って、お前は確か……」


 少し考える素振りを見せてから、日高くんは答える。


「青生の女だ」

「ち、違うわよ……っ!」


 どうしてそうなるのよ……って言っても仕方がないか。


 当時はサッカー部のマネージャーに近いこともしていたから、会場で春人と一緒にいるところを見た他の学校の生徒が、よく私を春人の彼女と言っていたっけ。


「湖城惠麗です。一応、春人と誠二郎の幼馴染です」

「へえ、幼馴染か。まあいいや、それでお前はどっちの味方なんだ?」

「どっちのって?」

「青生か新藤か」

「――っ、そ、それは……」


 正直、私にもわからない。


 自分が春人に勝って欲しいのか、誠二郎に勝って欲しいのか。


「その、日高くんはどうなの?」

「俺は青生だな。あいつには俺以外のやつには負けて欲しくない」

「そ、そうなんだ……」

「で、お前はどうなんだって、始まるな」


 日高くんの言う通り、グラウンドの中央で、ボールを持った春人と誠二郎が対峙し、予備動作に入っている。そして――


 始まった……っ!


 先行の春人が、シュートを打つために誠二郎のディフェンスを突破しようと、フェイントを駆使して巧みにボールを操る。


 そして、誠二郎はそれを余裕の表情でついて行き、シュートを決めさせない――と思った時だった。


 誠二郎は春人の必死の動きに反応せず、あっさりと春人に躱され、シュートを決められた。これで1対0――春人の勝ちが一歩近づいた。だけど……


「まずいな……」


 日高くんは、苦虫を嚙み潰したようように表情を曇らせる。


「どういうこと、日高くん」

「どういうこともない、あいつ、わざと青生に決めさせやがった」

「えっ……」


 この勝負は、誠二郎にとっても大切なもののはず……なのに、どうして……


 私がその疑問の答えを知るのに、そう時間はかからなかった。



 



 

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