第84話 俺自身のために
夜のグラウンドに二人分の荒い息の音と、ボールを蹴る音が延々とこだまする。そして――
「よし……っ!」
「くそ……っ!」
俺は目の前の日高を躱し、見事にシュートを決める。
これで、10本中7本のシュートが成功だ。
何回目になるかわからない一対一の練習を終え、俺と日高はそれぞれグラウンドの上に大の字になる。
「よくこの短期間で、ここまで磨き上げたな」
俺たちを見下ろすように小川さんは近寄ってくると、スポーツドリンクの入ったペットボトルを二つ渡してくる。
今日は俺と日高が練習を始めて4日目――つまり、誠二郎との勝負の前日。
俺は今日までの4日間、日中は基礎体力の向上に努め、夜は日高と小川さんに協力してもらって、鈍った勝負感を取り戻すための練習を続けた。
「なあ日高」
「何だ?」
「正直に言ってくれていい。俺が誠二郎に勝てる可能性はどれくらいだ?」
「そうだな……どんなに高く見積もっても30%……いや20%弱っていったところだ」
「はは、中々厳しい評価だな」
だけど、それは俺も同じだ。むしろ、この短期間でよくここまで勝率を上げられたとすら思う。
「ありがとうな、日高」
「なっ――気持ち悪いからやめろよ。それに前にもいったが俺は別にお前のために――」
「ツンデレおつ」
「なっ、つ、ツンデレだと!?」
軽くからかってやると、日高が真っ先に立ち上がる。やっぱり体力が違うな、俺なんかまだ立ち上がることなんて――
「おい青生、私には何もないのか?」
「――っ、そんなことはありません!」
普通に立ち上がれたわ。
小川さんの圧に押され、姿勢を正して「ありがとうございます」と言って深く一礼する。
言い忘れていたけど、このグラウンドの使用料金を払ってくれたのは小川さんだ。4日間も使うとなると、それなりの金額がかかることを考えると、本当に頭が上がらない。
そしてそれは日高の方も同じだったようで、お礼の言葉と共に頭を下げている。
俺たち二人から感謝の気持ちを受け取った小川さんは、満足そうに頷き笑みを浮かべると、口を開く。
「明日の勝負のこともある。今日はこの辺にしよう」
こうして勝負前の最後の練習が終わり、帰り支度を済ませて俺たちはグラウンドを出る。
「青生。明日は見に行ってやれないが、頑張れよ」
「ありがとうございます。頑張ります」
「ちなみに日高くんはどうするんだ?」
「俺は見に行きますよ」
「えっ?」
予想外の返答に、思わず声が出てしまう。
「別におかしいことなんてないだろう。俺としても、今の新藤誠二郎の実力は知りたいところだしな」
「なるほど」
確かに日高からしたら、誠二郎はこれから全国で共に競い合っていくライバルだ。
逐一ライバルの状況は把握しておきたいところだろう。
そう考えたところで、小川さんがフッと笑みをこぼす。
「そんなことを言いつつ、本当は青生のことが気になって仕方がないんだろう?」
「なっ、別にそんなことは――」
小川さんのまさかのいじりに、日高が真っ先にそれを否定しようとして顔を赤くする。この二人もこの短期間でかなり打ち解けたようだ。
俺はそのことを嬉しく思いながら、口を挟む。
「ツンデレおつ」
「な、お、お前また――っ!」
日高がさらに顔を紅潮させ、笑いが起きる。
そんな和気あいあいとした空気をそのままに、それから俺たちはそれぞれ帰路につくのだった。
※※※
練習が終わり帰路についたのは夜の10時過ぎ。
さすがにその時間になると、東京といえど人通りは少なくなり、それが住宅街ともなれば辺りは静寂に包まれる。
だけど、今日は少しだけ違った。
人通りが少ないのは変わらないけど、どこからか二人の男女が言い争うような声が聞こえてくる。それも、俺がよく知る二人のもの。
俺は反射的にその声がするほうへと足先を向け、たどり着いたのは、惠麗と誠二郎の二人とよく一緒に遊んだ公園だった。
園内に足を踏み入れると、案の定、そこには――
「どうして……どうして勝負なんかするのよ!」
「それはお前のためだ」
「私、そんなこと頼んでない!」
大きな瞳に涙を浮かべ非難する惠麗と、それを淡々と無表情で受け止める誠二郎の姿がある。
今のやり取りだけで、口論の内容が俺と誠二郎の勝負に関するものだとわかる。
「ねえ、お願いだから、今すぐにでも勝負なんて」
「それはできない」
「どうしてよ!」
そう言って、惠麗が誠二郎に手を挙げようとする。
「惠麗!」
「――っ、は、春人!? ど、どうして……」
俺は居ても立っても居られなくなって、誠二郎に振り下ろされようとしていた惠麗の手を掴むと、誠二郎のほうを見る。
「誠二郎、また惠麗に言ったのか?」
「ああ、悪いか?」
「お前……」
俺と誠二郎が勝負したあの日、俺がこの街を離れることを知らなかったはずの惠麗が勝負を中断させたのは、誠二郎が惠麗にそのことを伝えたからだった。
最後まで俺は、惠麗にはそのことを伝えないつもりだった。
それを伝えれば、惠麗は自分を大きく責めるとわかっていたから。そして実際に、惠麗は自分を責めて、今もこうして苦しんでいる。
なのに、誠二郎はまた同じことをして、こうして惠麗を――
「ねえ春人、どうして勝負なんか受けたの?」
俺と誠二郎が争うのを心から望んでいないことが伝わる調子で、惠麗が俺の瞳を真っ直ぐに見つめてくる。そして――
「もしかして、また私のせいなの?」
「惠麗……」
「私のせいで、二人がまた……そんなの……そんなの嫌だよ!」
言葉の節々から、惠麗が今まで抱えてきた苦悩が伝わってきて、胸が――心がズキズキと痛む。
「ねえ、春人。お願いだから、今すぐ勝負なんかやめてよ!」
本来惠麗のことを思うのなら、彼女の言う通り、勝負を今からでも無かったことにするべきなんだろう。だけど――
「ごめん、それはできない」
だって、この勝負は――
「惠麗のための勝負じゃないんだ」
「えっ?」
「俺は、俺自身のためにこの勝負を受けるんだよ」
そう、俺は惠麗のために勝負を受けるんじゃない。
俺は俺自身のために――俺が青生春人であり続けるために誠二郎との勝負を受けるんだ。だから――
「ごめん、惠麗。俺は明日、誠二郎と勝負する」
「――っ、でも、それじゃ――」
「安心しろ。絶対に俺が勝つから」
「春人?」
俺はポンと惠麗の背中を安心させるように軽く触れると、誠二郎へと視線を戻す。
「そういうわけだ。明日は俺が勝たせてもらう」
「そうか。だが、今のお前では俺に勝てない」
「それはどうかな」
「これは絶対だ。明日、勝負してみればわかる」
言葉の応酬を終えると誠二郎はこちらに背を向け「惠麗を家まで送ってやってくれ」と、そう言い残してから先に公園を出る。
「帰ろうか、惠麗」
「――」
何も言わず小さく惠麗は頷くと、俺は彼女を家まで送り届ける。
その間、惠麗が口を開くことは一度もなかった。
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