第76話 高見沢玲奈と日高昇


「ほら飲み物」

「ごめんなさい。あとでお金は渡すわ」


 本当に情けない。


 私、高見沢玲奈は以前青生くんと一緒に読書を楽しんだ公園のベンチで、日高くんから水のペットボトルを受け取り、そう思う。


 店で彼と出会った後、私は頼んだラーメンに箸をつけた。


 けれど、今まで引き籠っていたせいか、それとも青生くんと一緒でなかったからなのか、食が進まず、途中で箸が止まってしまった挙句、気分まで悪くなってしまった。


 そんな時、隣に座った彼が私の残った分を食べてくれて、その上こうして介抱までさせてしまっている。


「その、日高くん」

「何だ?」

「どうして、ここまでしてくれるの?」


 水を飲み、少しだけ気分が回復してきたところでそう尋ねる。


「まあ、この前は悪いことをしたからな。そのお詫びってところだ」 


 この前というのは、インターハイ予選でのことだろう。


 日高くんはそれから「それと」と続ける。


「試合の日以降の青生のことも、少し聞きたかったからよ」

「ふふ」

「何がおかしんだよ」

「いえ、本当に青生くんのことが好きなんだなって」

「――っ、馬鹿、そんなんじゃねえよ!」


 焦ったように私から視線を逸らす日高くんに、思わず笑みが零れる。


「だから笑ってんじゃねえよ……それで、青生はどうなんだ?」

「残念ながら、サッカー部には入っていないわよ」

「――そうか」


 私の答えを聞いて、日高くんは大きく肩を落とす。


 その様子を見て、私は尋ねる。


「ねえ、日高くん」

「今度は何だ?」

「今の青生くんを、どう思う?」

「今の青生?」


 私の突拍子のない質問に、日高くんは少し考えてから答える。


「正直、腑抜けやがってと思ってる」

「そう……」


 やっぱり、日高くんの中ではそう見えるのだろう。


 そう思った所で、日高くんは「だけど」と続ける。


「不思議と前より生き生きしてるように見える」

「生き生き……どういう意味?」

「お前は前のうちの練習試合、見てたんだよな?」

「ええ」

「なら、その時のあいつはどう見えた?」


 どう見えたか……


「チームのために必死にプレーしてた」

「それだけか?」

「あとは……楽しそうだった」

「だろ?」


 だろと言われても……


「昔はそうじゃなかったの?」

「ああ、違った」


 それを聞いて、私はさらにどんな風だったのかについて尋ねる。すると――


「はっきり言って、あいつはグラウンドの中で孤独だった」

「孤独……」


 それは私の知る青生くんの印象とはかけ離れた言葉だ。


「それはどうして?」

「あいつはずば抜けていたからな。そういうやつは自然と期待や責任が押し付けられる」

「身勝手な話ね」

「まあ、そうだな。けど、それもエースの宿命だ」


 エースの宿命――正直、私にはよくわからない話ではあるけれど、それでもそれが青生くんを孤独にしていた原因だということはわかった。


「ちなみに、あなたはどうなの?」

「どうしてそこで俺が出てくるんだ?」

「私から見て、あなたも十分実力は抜けているように見えたけれど」

「――っ」


 私の言葉に、少しだけ頬を赤に染めた日高くんだったけれど、すぐに咳ばらいして話を元の方向に戻す。


「はっきり言って俺に向けられてた物なんて大したことはない。なんせ比較対象が青生だったんだからな」


 そう言った彼は、どこか遠くを見ているような雰囲気で、少しだけ申し訳ない気持ちになる。けれど――


「ありがとな」

「えっ?」

「いや、今までそんな風に評価されたことなんてなかったから」

「そう……」


 それから少しの間、何とも言えない沈黙が続いた後、日高くんが口を開く。


「まあ、色々話が脱線しちまったけどよ。今の青生についてだったか……まあ、悪くはねえんじゃねえの?」

「――そう、よかったわ」

「何だよ、やけに嬉しそうだな」

「ええ、嬉しいわ」


 だって、私が好きな今の青生くんを、認めてくれたのだから。


 それから私は、立ち上がると日高くんに告げる。


「大分気分も落ち着いたし、そろそろ行くわ」

「そうか。帰りは気をつけろよ」

「ええ。ああそれとお水のお金を」

「いいよ、それくらい。それもこの前の詫びってことで」


 それでもと渡そうとすると、本当に嫌そうにされたので、ここは素直にお言葉に甘えて財布をしまう。


「それじゃ、今日はありがとう。また縁があったら会いましょう」

「ああ、縁があったらな。あっそれと――」

「何かしら?」


 日高くんは恥ずかしそうに頭をポリポリとかきながら言った。


「眼鏡、ないほうがいいと思うぞ」


 そういえば、ラーメンを食べるときはレンズが曇って見えにくかったから、外していたんだった。


 少し不覚だったと思いつつも、私は一度眼鏡をはずしてから、伝えた。


「ありがとう」

「――っ、おう」


 こうして、私と日高くんはそれぞれ帰路につく。


 最初に日高くんと顔をあわせたときは、少し運が悪いと思ったけれど、こうして彼と話したおかげで、少しだけ気持ちが楽になったような気がする。そして――


 もし、今度会った時は、私がお礼をしよう。


 気分が悪いところを助けてくれたこと、そして心を軽くしてくれたことへの。


 帰りながら、私はひそかにそう決めるのだった。




【作者より】

次回からいよいよ帰省編になります……が、私事の関係で24日までの更新が難しいため、次回の更新は26日にさせていただきます。続きを待たせてしまい申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

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