第69話 私のためにも

 ようやく、二人きりになれた。


 私、河島沙凪はやっと好きな人との二人きりの時間が訪れたことに、ほっと心の中で一息ついた。


 最初に二人で行こうと誘った時、春人くんの歯切れの悪い返事を聞いて、何となく私と二人きりになりたくないのだと思った。


 そしてそれは、今日こうして一緒に遊んでいる中でも、彼の行動の節々に感じられて。


 今、アタックしても意味がないと、そう思い知らされた。


 だけど、それはきっと玲奈ちゃんや真壁先輩がしても同じだと思う。


 だから、私は今この瞬間を、私という存在を彼の意識の片隅に残すために、行動しよう。


「けっこう人、増えてきたね」


 私は時間が経つにつれて賑わいを増す施設の様子を見ながら、そう口にする。


「ああ。もう十一時だしな」

「昼過ぎにはピークになるんだって」

「なら、それまでにもっと楽しまないとな」

「うん」


 それから飲み物を売っている売店まで移動すると、やはりというべきか、けっこうな人の列ができている。


 たぶん、二人でゆっくり話をするなら、今しかない。


「ねえ、春人くん」

「どうした?」


 ごめんね、春人くん。


「玲奈ちゃんと、何かあった?」


 今まで見せていた作り笑いが消えて、明らかな動揺を春人くんが見せる。


「べ、別に何も――」


 はぐらかそうとする彼の瞳を、私は真っ直ぐに見つめる。


「本当に?」

「――いや」


 一瞬何かを考え、諦めたように春人くんは続ける。


「高見沢さん、何か言ってた?」

「うんん、何も言ってないよ」

「じゃあ、どうして?」

「最初に玲奈ちゃんを誘ったんだけど、その時、様子がおかしかったから」

「そっか……」


 すべては語らずとも、春人くんは理解してくれる。


 今日のプールに誘った時、玲奈ちゃんは真っ先に誰が来るのかを聞いた。


 そして、春人くんの名前を出すと、声の調子を落として『行けない』と答えた。


「何があったか、聞いてもいい?」

「――それは」

「お願い。教えて?」


 きっと、今までの私だったら、困っている春人くんを見て、やっぱりいいと引き下がる。


 だけど、たぶんもうそれをして良い時間は終わっているような気がする。


「ダメ、かな?」

「――っ」


 葛藤している様子を見せながらも、口を開く素振りはない。なら――


「玲奈ちゃんに、告白でもされた?」

「――っ!?」


 やっぱりそうか。


「知ってたんだな、高見沢さんの気持ち」

「うん。本当は、春人くんも気づいてたんじゃないの?」


 インターハイ予選を見に行った辺りから、玲奈ちゃんの春人くんに対する態度は、恋する女の子のそれだった。


「疑ったことはあったけど、確信はしてなかった」

「まあ、それはそうだよね」


 今までの玲奈ちゃんの春人くんに対する態度を考えれば、そう思いたくなる気持ちもわかる。


「それで、何て答えたの?」

「まだ、答えてない」

「いつ答えを返すの?」

「夏祭りの日に、答えを聞きたいって頼まれた」

「そっか」


 何となく、その時の二人のやり取りが頭に浮ぶ。


 きっと、玲奈ちゃんもわかっていたんだ。


 今、春人くんに思いを告げて、どういう答えが帰って来るのかを。


「春人くん」

「何だ?」

「私は、春人くんがどんな答えを出しても責めたりしないよ。だけど――」


 私は思い切って、春人くんの手を両手で掴み、伝える。


「真剣に、答えを考えて欲しい。玲奈ちゃんだけじゃなく、私のためにも」

「河島さん……」


 少し重たいやり取りをしているうちに、売店の店員さんから名前を呼ばれる。


 どうやら私たちの順番が来たようだ。


「ほら、飲み物買って、二人のところに戻ろう」


 それから買った飲み物を持って、二人のところに戻る間、私たちの間に会話らしい会話はなかった。


 ちなみに、哀川さんたちのもとへ戻った時、少しだけ二人の空気が甘いもののように感じたけど、きっと私の気のせいだろう。


         ※※※


 プールサイドで水分補給を済ませた俺たちは、人混みがピークになる午後一時前に施設を出ると、ファミレスで昼食を済ませ、地元の駅まで戻って来た。


「今日は楽しかったよ。河島さん、誘ってくれてありがとう」


 伸びをしながら哀川さんがそう言うと、俺もそれに倣うように河島さんに告げる。


「俺も課題ばっかりやってたから、いい気分転換になったよ。井上くんは?」

「えっ、あ、うん、僕もすごく楽しかったよ……」


 何か歯切れが悪いな。


 そういえば、飲み物を買って戻って来たとき、二人とも若干顔が赤ったような気が……まあ、あまり詮索はしないけど。


「みんな、こっちこそ来てくれてありがとう。私も楽しかったよ!」


 河島さんの笑顔に、他のみんなも笑みを漏らす。そして――


「それじゃ、今日はこの辺で。みんなお疲れ様!」

「「「お疲れ様!」」」


 今日の発案者である河島さんの音頭で、俺たちはそれぞれ帰路につく。


 一人だけ歩きだった俺は、ゆっくりと家へ戻りながら、改めて今日の河島さんとのやり取りを思い出す。


 ――真剣に、答えを考えて欲しい。玲奈ちゃんだけじゃなく、私のためにも


 あの時、河島さんは自分のためにもと言った。


 それは、俺の決断が高見沢さんだけなく、河島さんにとっても重たい意味を持つということに他ならない。


「答え、出さないとな」


 向き合うことから目を背けるのは、もうやめだ。


 河島さんに背中を押された俺は、ようやく逃げるのをやめる決意をする。その時だった。


「ん」


 懐に入れたスマートフォンが震え、確認するとメッセージアプリに通知が来ている。


 そして、その内容は。


「りあ先輩?」


 推しから、近いうちに会えないかという内容だった。

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