第37話 推しのお願い

 サッカー部のコーチとして練習に参加することが決まってから、二日後の早朝。


 今日から始まるコーチとしての活動への憂鬱な気持ちを抱えながら、俺は図書委員の当番があるため図書室の扉を開いた。


「おはよう、青生くん」


 部屋の中には、いつものように俺より早く来ていた高見沢さんがカウンターに座っている。


「おはよう、高見沢さん。その感じだと今日の分は終わった?」

「ええ」

「そっか。いつもありがとうな」


 今日の分というのは、昨日のうちに返却された本を元の位置に戻す作業だ。この学校の図書室の利用者は少なく、どんなに多いときでも20冊あるかないかくらいで、いつも早く来た高見沢さんが終わらせていることが多い。


 お礼を言ってから、俺は高見沢さんの隣に座る。


「いよいよ今日からね、サッカー部のコーチ」

「ああ、そうだな」

「できそう?」

「……」


 できそうかどうか……か。


「何とも言えないな」

「それはどうして?」

「俺が全国レベルって言っても、中学レベルでの話だ。それに、今までまともに誰かに指導したこともない」


 一応、中学時代に後輩に対して色々とアドバイスをしたことはあったけど、それだって相手にどこまでちゃんと伝わっていたか定かでなかった。


 そんな状態で、コーチができるとはあまり思えない。


「謙虚なのね……でも、たぶん大丈夫よ」

「ほう、その根拠は?」

「それは、あなたが青生春人だから」


 何だよ、それ――


「まあ、今回は素直にそう思わせてもらうよ」

「ええ、そうしなさい」

「てかさ――」


 ここでふと思ったことを口にする。


「こんな風に話すの、久しぶりだな」

「それはどういう意味かしら?」

「なんか、最近俺たちけっこうぎこちない会話が多かった気がするから」

「――っ、べ、別にそんなことは……っ!」


 あっ、また戻った。やっぱ言うんじゃなかったな。


 動揺して上手く話せないでいる高見沢さんを見て思う。


 まあ、こういう意外とポンコツ成分があるところも彼女の魅力的な部分なんだけど……って、また俺は――


 ――らしくないことを考えていると思ったところで、図書室の扉が開く。朝はほとんど人が来ないから、けっこう珍しいな。


 反射的に開いた扉の方に視線を向けると、そこには何と、俺の推しであるりあ先輩がいた。


「その、ちょっとお邪魔だったかな?」

「――っ」


 もしかして、俺と高見沢さんが仲睦まじくじゃれ合っているように見えたのだろうか。


 そんな意図が含まれていそうなりあ先輩の言葉に、高見沢さんがすぐに反応を示す。


「そ、そんなことありませんよ、真壁先輩。今日はどうしたんですか?」

「少し青生くんに話があるんだけど、今ちょっといい?」


 そう言って、りあ先輩が真っ直ぐに俺の方を見てくる。


 仕事量的には俺が抜けても大丈夫だろうけど、一応、仕事時間中だしな……


「行ってきなさい」

「えっ、いいの?」


 俺の問いに小さく高見沢さんが頷く。


「ということなので、大丈夫ですよ」

「ありがとう、それじゃ隣の部屋に行きましょ」


 図書室を出るりあ先輩に続くように俺も立ち上がると、高見沢さんに一言伝える。


「それじゃ、行ってくる」

「ええ」

 

 それから国語科準備室に移動すると、椅子に座ることなく立ったまま俺たちは向かい合う。


「まずは、本題に入る前にこの間のことについて謝らせてほしいの」


 そう言って、りあ先輩が頭を下げる。


「この間はごめんなさい! あんな見苦しい姿を見せて」

「い、いや! やめてくださいよ! りあ先輩は悪くないじゃないですか!」


 そもそも、あれはりあ先輩が悪いんじゃなくて、強引に生徒会選挙に出させようとする東上先輩が悪い。だけど。


「違うの、東上先輩は悪くない……悪いのは私なの」

「どうしてですか?」

「ごめんなさい。それは言えない」

「そう、ですか……」


 正直、推しに隠し事をされるのは辛いけど、だからといって隠したがっていることを無理やり聞き出すのは気が進まない。


「わかりました。とりあえずその謝罪を受け入れます」

「ありがとう、青生くん」


 頭を上げたりあ先輩はほっと一息をつくと、続ける。


「それじゃ、本題なんだけど」


 りあ先輩が力強いまなざしで俺のほうを見つめてくる。


「私と一緒に、生徒会に入ってくれないかな?」


 えっ……?


「それは、どうしてですか?」

「あの場にいた青生くんならわかると思うけど、東上先輩はああ言った以上、絶対に私を無理やり立候補させる」


 確かに、あそこまで執拗に勧誘するくらいだから、きっとあの宣言も嘘ではないはずだ。


 そして、それはりあ先輩が生徒会役員をしたくない理由を言えば避けられる。


 それでもこういうお願いをしてくるということは、りあ先輩にとってその理由を伝えることが、選挙に出る以上に嫌なものということだ。


「こう言ったら自惚うぬぼれてるように思うかもしれないけど、実際に選挙に出れば私は当選する。そうなったとき、青生くんに側で支えて欲しいの」

「――っ!」


 ちょっとちょっとちょっと!


 何なのそれ、まるでプロポーズじゃん!


 推しからそんな風に言われたら――


「――すみません、俺にはできません」


 断れない、これが普通のお願いだったのなら。


 だけど、今回のお願いは違う。


 生徒会役員になるということは、俺の目指す陰キャの生徒Aを完全にやめることに他ならない。


 りあ先輩が役員になりたくない理由をどうしても言えないのと同じように、俺にも絶対に譲れないものがある。


「え、えっと……」


 きっぱりと断られると思っていなかったのか、りあ先輩が動揺を露にする。


「俺としても、できればりあ先輩には協力したいです。だけど、今回のお願いだけは無理です」

「そ、そっか……うん、やっぱりそうだよね。ごめんなさい。変なお願いして」

「いえ、こっちこそ協力できなくてすみません」


 二人の間に、出会ってから初めての気まずい沈黙が訪れる。


 陽キャリア充をやっていた時に、こういう空気は何度も経験している。


 だけど、相手が推しだからだろうか。


 上手い言葉が出てこない。


 そんな中、最初に口を開いたのはりあ先輩のほうだった。


「話は終わったし、そろそろ出ようか」

「なら、ここの鍵は俺が返しときます。どのみち後で図書室の鍵を返すので」

「なら、お願い」


 部屋を出て鍵を閉めると、りあ先輩が部屋の鍵を手渡してくる。


「サッカー部のコーチは二週間だっけ?」

「はい」

「じゃあ、それまで青生くんには会えないのか〜」

「寂しくなったら遊びに来てもいいですよ? ひなた先輩もいますし」

「確かに、じゃあ気が向いたら」

「はい」


 最後に交わした会話の間、りあ先輩は笑っていたけど、それは陽キャリア充時代に嫌というほど見てきた作り物の笑顔だった。

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