第36話 居候なのだから
『お前は私が部活から帰ってくるまで、風呂にでも入ってろ』
てっきりあのままグラウンドに連れて行かれるものかと思ったけど、小川さんは俺にそれだけ伝えると、すぐにバイクで学校へと戻って行った。
そして俺はというと、現在その言いつけ通り湯船に浸かりながら、改めて現状について情報を整理する。
まず、文芸部について。
すぐに帰ってしまったことを高見沢さんに謝るついでに、俺が岩辺先生に連れて行かれた後のことを聞いた。
どうやら俺が去った後、しばらく涙を流してからりあ先輩は早退すると言い出し、それに朝田先輩が付き添う形になったそうだ。ちなみに、高見沢さんは俺が思った通りわざわざ俺が戻ってくるのを待ってくれていたらしい。ああせざるを得ない状況だったとはいえ、本当に申し訳なく思う。
そして、問題のサッカー部の新しいコーチである小川凛さんについて。
家に入ってから家主のおばさんに話を聞いてみると、おばさん自身、娘が帰って来ることを知らされていなかったらしい。
何でも、彼女は外資系のコンサルティング会社に勤めているらしく、大きな案件が終わるたびに有給を無理やり消化して、こうして実家に突然帰って来ることが多いのだとか。
確かに、東京で働いている一人娘がいるとは事前に聞いていたけど、まさかこんな形で会うことになるとは……
「あ~あ、マジでどうするかな……」
こうなった以上、確実にサッカー部とは関わることになる。
恐らくは、彼女が帰って来た後、そのことについてみっちりと話をすることになるだろう。
「とりあえず、交渉の内容を考えるか」
それから湯船に張ったお湯が冷めるまで考え込んでいると、玄関の扉が開く音が聞こえてくる。
「さて、一勝負しますか」
覚悟を決め、浴室から出て着替えを済ます。
そして自室に向かうと、中にはすでに小川さんと岩辺先生がベッドの上に座っていた。
「岩辺先生もいるとは思いませんでした」
「こいつがどうしてもと聞かなくてな」
「ちょっと先輩! 人を子供みたいに言わないでください!」
「うるさい。お前は十分子どもだろうが」
「ひ、ひどぉぃ……」
しょんぼりと肩を落とす岩辺先生をよそに、小川さんは俺に座るよう促す――ちなみに床にだ。
「さて、早速本題に入ろうか」
姿勢を正した俺を見て、小川さんは告げる。
「どうして逃げた?」
まあ、まずはそれだよな。
「サッカー部に入りたくなかったからです」
「理由は?」
「それは最初に言いましたよね?」
「――」
少しの間、考えるように瞳を閉じてから、小川さんが再び口を開く。
「本当に未練がないのか?」
「ありません」
「信じられないな。お前ほどのプレイヤーが」
「本当です。俺は高校に入ってから、サッカーをしてなくて辛いと思ったことは一度もありません」
真っ直ぐに小川さんの切れ長の瞳を見つめながら、俺は宣言する。
「あ、あの……」
「何だ京子」
「青生くんって、そんなにすごい選手なんですか?」
「――っ、そんなことも知らないのか!? さっさとスマホで調べてみろ!」
「は、はい……っ!」
言われた通りスマホで俺のことを岩辺先生が検索し始めると、再び小川さんが俺を見ながら口を開く。
「未練がないというのはわかった。次に目立ちたくないとは一体どういうことだ?」
「そ、それは……」
「どうした、言えないのか?」
果たして言っていいものか……いや。
言わなければ何も始まらない。
「わかりました。話します」
それから、俺はどうして今に至っているのかを赤裸々に語った。そして。
「うぅ……辛かったね、青生くん……っ!」
「くだらない話だな」
二人から真逆の反応が帰って来る。
「ちょっと先輩! いくら何でもその反応は酷いんじゃないですか!?」
「そんなことあるか。嫉妬や嫌がらせをされないくらいすごくなればいいだけの話だ」
「で、でも……っ!」
「こいつはそれができるやつだ。お前も十分わかったろ?」
俺が小川さんと話している間、岩辺先生は俺に関する記事や試合動画を見ながら「すごいすごい」とずっと呟いていた。
「――」
「どうやら異論はないようだな」
「ごめんね、青生くん」
申し訳なさそうに肩をすくめる岩辺先生に、気にしないよう言ってから、再び小川さんと向かい合う。
「それで、俺がサッカー部に入りたくない理由はわかってもらえましたか?」
「まあ、一応はな」
「なら――」
「――私も一応は大人だ。特別にお前に譲歩してやろう」
そう言って立ち上がると、小川さんは上下関係をはっきりさせるかのように、俺を見下ろしながら告げた。
「お前は私がコーチをしている期間、私と一緒にコーチをしろ」
なっ……っ!?
一体、どこが譲歩だっていうんだよ!
「ちょっと、それはさすがに!」
「はっきり言って、私だけでは手が足りん」
「だ、だからって……っ!」
「お前も練習くらいは見ただろ。あのチームは良い。伸びしろがある」
「――っ」
確かに、ちゃんとした指導者がいれば伸びると練習を見学したとき思った。
「そんなに嫌か? なら仕方ない。お前に言い訳をくれてやる」
「えっ?」
「お前がいる部屋は、一体誰のものだ?」
それは……
「そう、本来ここは私の部屋だ。そしてお前はその部屋を私に許可なく勝手に
あっ……
「そのくせ、ロクに家賃も払っていないときた。ここまで言えば、もうわかるな?」
もう、これ以上は何を言っても無駄だろう。
何をどう言おうと、俺は居候なのだから。
せめて、家主の手伝いくらいはするのが筋ってものだ。
「わかりました。やります」
「よし」
満足げに頷くと小川さんは続ける。
「生憎と明日は雨らしいからな、実際に働いてもらうのは明後日からだ。いいな?」
「はい」
「それじゃ、私は京子を送ってくる。おい、行くぞ」
「は、はい! 青生くん、これから一緒に頑張ろうね!」
両手でガッツポーズを作って励ましてくれる岩辺先生に軽く頭を下げてから、二人が部屋を出るのを見送る。そして。
「あ~あ」
ベッドに倒れ込み、そのままスマートフォンを手に取る。
とりあえず、当分活動に参加できそうにないことを文芸部のみんなに伝えないとな。それに。
「りあ先輩、大丈夫かな」
本人が辛いときにこれから会えなくなってしまうことが、コーチをする以上に憂慮された。
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