第35話 強制入部イベントは避けられない

 ギャル子先生こと、岩辺先生に連れられるがまま、俺は昇降口で上履きから外履きに履き替え、そのままグラウンドへと向かっていた。


 ちなみに、どうしてグラウンドに行くのか道中で聞いたけど、岩辺先生はただ俺に用事があるの一点張りで、まともな答えは返ってこなかった。


 それから察するに、間違いなく今から何かある――それも、俺の高校生活至上、最も危惧される部類のイベントが。


 なんせ、今日は須賀たちサッカー部待望のコーチが来る日だ。


 そんな日にグラウンドに呼び出されるなんて、考えられるのは俺の過去に関するイベントだけ。


 ただでさえ、日高との一件があったばかりだというのに――


「先輩! 青生くん、連れてきたよ!」


 部活に励む生徒の活気で溢れるグラウンドに着くと、パイプ椅子に足を組んで座っていたパンツスーツ姿の女性のもとに、岩辺先生が元気よく走っていく。


「お~い、青生くんも早くはやく!」


 手を振って急かしてくる岩辺先生のほうに、俺も駆け足で向かう。そして。


「お前が青生春人か」

「は、はい……」


 コーチと思われる女性に、いきなり眼を飛ばされる。


 こ、この人めっちゃ怖いんだけど……


「青生くん。この人は小川凛おがわりんさんっていって、私の大学の先輩なの!」

「そ、そうなんですか……」

「そう! それで、ちょうど仕事が休みで帰省してたところに、コーチのお願いをしたの!」

「な、なるほど……」

「ちなみに、先輩は大学の女子サッカー部のキャプテンだったんだよ!」

「へ、へえ……」


 どうして返事がこんなに棒読みなのかって?


 岩辺先生が紹介してくれてるのに、当事者である小川凛さんが眼を飛ばすのを止めてくれないんだよ!


「もうその辺でいいだろう京子。さっさとそいつと話をさせろ」

「え~、もうちょっと語らせてくださいよ~」

「うるさい。お前はちゃんと部員のサポートをしろ」

「は~い」


 渋々と言った感じで、岩辺先生がとぼとぼとした足取りで離れていく。


 ギャル子先生、俺を一人にしないで……


「青生春人」

「は、はい……っ!」


 小川さんが立ち上がり、俺の目の前に立つ。


 一応言っておくと、小川さんは普通に美人だ。


 肩のラインで切りそろえられた黒髪に、切れ長の瞳が印象的な、高見沢さんを少し大人にした感じの顔立ちで、肌は程よく焼けた小麦色。


 サッカーを本格的にやっていただけあって、スーツの上からでもはっきりわかるくらい身体は引き締まっていて、おまけに身長は俺と十センチくらいしか変わらない。


 さて、そんな美人さんが俺に一体何の用があるのだろうか?


「お前、どうしてサッカー部に入っていない?」

「うっ――」


 まあ、そんなことだろうと思ったよ。


 どうせ言い繕っても無駄だろうから、本心を伝えることにする。


「未練がないからです」

「は?」

「付け加えるなら、目立ちたくないからです」

「――」


 威圧感に負けることなく堂々と理由を言った俺を、小川さんは値踏みするように見てくる。そして。


「決めた――」


 ただ一言そう言って、小川さんは近くにいたサッカー部員に声をかける。


 すると、その部員が大声で「集合!」と叫び、一瞬で部員たちが俺たちの所に集まってくる。


「お前たちにいい知らせがある」


 おいおい、まさか……っ!


「今日から横にいる青生が、サッカー部に新しく入る」


 小川さんの宣言に、部員たちが騒々しくなる。


 その中には当然須賀もいて、一瞬だけ目が合う。


 どういうことだよ?


 そう聞かれても、俺にもわからない。


 ただ一つだけいえることは、小川さんは俺のことを知っていて、それで強制的に俺をサッカー部に入部させようとしているということだけ。


 とりあえず……うん、逃げよう。


「――っ、おい待て!」


 俺は相手に隙を与えることなく、一目散で走り出す。


「おい、誰かあいつを捕まえろ!」


 そう聞こえてくるけど、誰も追ってくる気配はない。


 明らかに俺が嫌がっているように見えたからか、みんな気を遣ってくれたんだろう。


 本当にみんな思慮深い。


 そのことに感謝しながら、まずは荷物を置いてきた国語科準備室に向かう。


「――っ、あ、青生くん、どうしたの?」


 すでに帰ったのか、りあ先輩と朝田先輩の姿はなく、高見沢さんだけが残っていた。


 もしかしたら、俺のために残っていてくれたのかもしれない。


 本当なら、活動終了時間まで一緒にいたいところだけど、今は少しでも早く学校から離れたい。


 申し訳ないという気持ちを抱きながら、俺は早口で告げる。


「急用ができて、今すぐ帰らないといけなくなった。それじゃ」

「えっ……」


 荷物を手に取ると、再び俺は全速力で走り出す。


 情けないことに、たった数か月まともに走っていないだけで、すでに息が切れきれだ。


 だけど、この場で立ち止まるわけにはいかない。


 今回のイベントだけは、巻き込まれるわけにはいかない!


 その一心で、何とか俺は家まで無事にたどり着く。しかし。


「残念だったな、青生春人」


 家の玄関の扉に背を預けた小川さんが、腕を組んで待ち構えていた。


 ああ、そういうことか……


 どうやら、最初から俺に逃げ道はなかったらしい。

 

 俺は居候先の家の表札にある『小川』という文字を見て、そう思った。

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