第34話 知らない推しの姿

 土日を挟んで迎えた月曜日の放課後。


 今日も今日とて、文芸部の活動に参加するために、俺は国語科準備室に向かっていた。


 さすがに今日はないよな……


 廊下を歩きながら、先週の推しと生徒会長様との出来事を思い出す。


 これは俺の勝手な印象でしかないけど、たぶん生徒会長様はかなりしつこいタイプだ。


 この前は俺が邪魔して話を有耶無耶うやむやにしたから、また来てもおかしくない……


「あっ、青生くん!」


 生徒会長様の行動について考えていると、背後から推しに呼び止めれ、速攻振り返り敬礼する。


「りあ先輩お疲れ様です!」

「――っ、ちょっと、ここ部室じゃないよ!」

「あっ……すみません」


 つい反射的にいつもの癖が出てしまった。


「でも、珍しいですね。りあ先輩と一緒になるなんて」


 文芸部に入ってから約二か月になるけど、こうしてりあ先輩と鉢合わせるのは何だかんだで初めてだ。


「ああ、それは……」


 少し気まずそうに視線を逸らすりあ先輩を見て察する。


「もしかして、東上先輩ですか?」

「う、うん。また会ったら面倒だから、ちょっと青生くんを待ち伏せてました」

「――っ、そ、そうですか……」


 まさか、推しに待ち伏せされる日が来るとは……


 一ファンとして、絶対にりあ先輩を守ってみせる!


「とりあえず、一緒に行きますか」

「うん。お願い」


 先週のようにブレザーの背中の方をちょこんとりあ先輩が掴むと、ゆっくりと歩き始める。


 普通に誰かに見られたらまずい状況だけど、幸い国語科準備室があるのは生徒があまり来ない特別棟だから、今のこの状況を誰かに見られることはほとんどない。


 俺はりあ先輩に歩幅を合わせながら、国語科準備室の近くまでやって来る。


 見たところ、東上先輩の姿は見られない。


 まあ、さすがの生徒会長様でも同じ手は使わないということか。

 

「大丈夫そうなんで、ここからは並んで行きましょうか」


 さすがに今の状態を、すでに部屋にいるであろう朝田先輩に見られるのはな。


 俺の意図を察してくれたのか、りあ先輩は俺のブレザーから手を離し、少し俺と距離をあけて歩き始める。


 そして、何事もなく国語科準備室の前までたどり着き、扉を開けた。開けたのだが……


「どうして……っ」


 部屋に入った瞬間、俺は自分の見通しの甘さを後悔した。


「真壁、そいつの後ろにいるんだろ?」


 国語科準備室の中にいたのは、朝田先輩ではなく東上先輩。


 どうやら、外で待っては警戒されると見越して、部屋の中で待ち伏せていたようだ。


「どうした? いるんだろ?」


 俺と同じような銀縁メガネのレンズを光らせながら、東上先輩は俺ではなく、俺の後ろで再びブレザーを掴むりあ先輩に向けてそう告げる。


 しつこいタイプとは思っていたけど、言動まで粘着気質気味だ。


 無駄だとは思うけど、ストーカーから推しを守るファンのように、俺ははぐらしてみる。


「残念ながら、りあ先輩はいませんよ」

「りあだと?」

「そうです。りあ先輩です」

「ちっ」


 おやおや、りあ呼びにご立腹ですか……って、反応するとこそこ?


 これはワンちゃん――


「もしかして、東上先輩、りあ先輩のことが――」

「――茶番はそのくらいにしろ」


 ――ありませんでした。


「りあ先輩、これは無理ですよ」


 俺は小声で後ろのりあ先輩に伝えると、何かを決意したかのように、ゆっくりとりあ先輩が俺の前に出る。


「ようやく出てきたか」

「いい加減、こういうのやめてください」

「なら、どうして役員をやらないのか、正当な理由を教えろ」


 教えろって……


 俺の推しに向かって、一体何様だよ。


「――」

「また沈黙か」


 東上先輩はため息交じりに続ける。


「俺は納得できない以上、これからもお前に役員をするよう言い続けるぞ」


 そう言うからには、理由を話せば諦める可能性はあるということか。


「りあ先輩」


 俺は話せないのか視線を向けて尋ねる。


 だけど、りあ先輩は俺からも視線を逸らしてしまう。


 つまり、俺にも言えない理由ということか……


「はあ、話にならんな」


 深いため息をついた瞬間、東上先輩の雰囲気がより一層険しいものに変わる。


「こうなったら、強行策だ」

「――っ、何をするつもりですか?」

「俺が先生たちに頼んで、真壁を強制的に立候補させる」

「――っ、りあ先輩、この人、本気ですよ!」


 ここまで徹底してりあ先輩を立候補させようとする人だ。


 本気で先生たちに頼んだとしても不思議じゃない。


「りあ先輩!」

「――」

「どうやら、本当に――」


「――何をやっているの、東上くん」


 東上先輩が意を決したように口を開いた瞬間、部屋の扉が開かれる。


 反射的に後ろを振り返ると、文芸部部長の朝田先輩と、その後ろに高見沢さんが立っていた。


「朝田か」

「東上くん、ここは文芸部の活動場所よ」

「それがどうした?」

「いくら生徒会長でも、私用で部活動の邪魔をしたとなれば話は別でしょ?」


 朝田先輩の言葉に、東上先輩は目を細める。そして。


「仕方ない。今日の所は引き上げよう」

「今日の所は?」

「――いや、訂正だ。今週の金曜までに正当な理由を話さない限り、俺は宣言通り強行策に出る。わかったな?」


 東上先輩の宣言に、りあ先輩は何も答えない。


「ふん。まあいい。悪かったな、朝田。活動を始めてくれ」


 意外にも、最後に軽く朝田先輩に謝罪してから東上先輩は部屋を後にする。


「すみません。朝田先輩……っ」


 りあ先輩が、涙交じりの声で朝田先輩に頭を下げる。


「いいのよ。気にしないで」

「本当に、すみません……っ」


 あの、いつも天真爛漫なりあ先輩が、うずくまり、泣いている。


 一体、どうなっているんだ……


 俺には何が何だかわからない。


 だけど、りあ先輩の背中を優しくさする朝田先輩は、きっと何か知っているんだろう。


 何もできずに俺はその様子を眺めていると、ブレザーの袖を軽い力で引っ張られる。


 高見沢さんだ。


「どうしたんだ?」

「外であなたを呼んでる人がいる」

「えっ?」


 まさか、東上先輩か?


 警戒心を持って、俺は部屋の外に出る。すると。


「もしかして……取り込み中だった?」

「い、岩辺先生……」


 気まずそうにしている、ジャージ姿のギャル子先生がいた。


「どうしたんですか?」

「その、少し青生くんに用があったんだけど」

「ここじゃダメですか?」

「うん」


 わざわざ来てくれたのに申し訳ないが、今この状況でここを離れるわけにはいかない。


「すみません。今は――」

「――青生くん、行ってきて」

「朝田先輩」


 俺たちの会話が聞こえていたのか、朝田先輩が廊下に出てくる。


「いいんですか?」

「うん。たぶん、今日はまともに活動できないと思うから」

「で、でも」

「りあのことは、私に任せて欲しい」

「――っ、わかりました」


 今の俺がいたところで、何もできることはない。


 なら、少しでも事情を知っているであろう朝田先輩に任せた方が、いいか。


「ということなので」

「ありがとう、青生くん! それじゃ、行こうか!」


 この場の空気を少しでも良くしようとしてくれているのか、いつもの明るい笑顔で岩辺が告げる。


「グラウンドへ!」


 えっ?


 少し、いや、すごく嫌な予感がした。


 

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