9
家に帰り着くと、すぐに自室に駆け込んだ。
天井に突っ伏すと、腕に顔を押し付けて嗚咽を漏らすことしかできなかった。
悔しい気持ちが次々と込み上げてきて抑えきれなくなってしまったのだ。
これまで我慢していたものが一気に溢れ出して、涙となって流れ落ちた。
「もう嫌!」と叫ぶように言うと、リブが心配そうにこちらを見てくるのがわかった。
その様子を見ていると、不思議と心が落ち着いてくる気がした。
そうだ、私にはこの子がいるじゃないか、と思い直すことができたのだ。
私は仰向けになって、床を見上げる。
絨毯の模様を眺めながら、ぼんやりと考えを巡らせていた。
いじめは辛いけれど、なんとか耐え忍ぶしかないだろう。
耐えるしかないのだけど、それでもやっぱり苦しいものだ。
また次から次へと涙が溢れ出し、頬を濡らしていく。
しばらくすると、母が部屋に入ってきた。
泣いている私に何も言わずただ側にいてくれたことが嬉しかった。
私はひとしきり泣いた後、ぽつりと呟いたのである。
「ねえお母さん、どうして力場障害者に生まれたんだろう? 私も普通に生まれてくればよかったのに」
「そんなことないわ」と母は私の頭を撫でながら言うのだった。
その優しい言葉に救われるような気がしたのだった。
しかし、翌朝になっても私の心は晴れなかった。
昨夜のことを思い出しながら、私は自分の手を見つめていた。
この身体はいつ頃から私の物ではなくなってしまったのか、と思うのだ。
いつから自分の意志で動かせなくなってしまったのだろうか。
考えても答えなど出るはずもなかった。
リビングに行くと母が起きていて朝食の準備をしているところだった。父はまだ寝ているようだ。
無言のまま天井に腰掛けると、ぼんやりとしていた。
すると母が心配そうに声をかけてくる。
「どうしたの? 何かあったの?」と聞かれたので、私は何も答えられなかった。ただ首を横に振ることしかできなかったのだ。母は私を降ろして、背をさすってくれる。
「大丈夫だからね」と言って優しく抱きしめてくれたが、それでも私の心は晴れることはなかった。
それからしばらくの間、私は何もする気が起きずただぼーっとしていた。
窓の外には青い空が広がっているのが見えたが、私の心は曇ったままだ。
そんな様子を見かねたのか、母は私を散歩に誘ってくれたのだ。
「気分転換でもしてきたら?」と言って微笑みかける母の表情はどこか暗い。
そんな彼女に心配をかけまいと無理やり笑顔を作って頷き、リブと共に家を出ることにした。
*
家を出たら、近所を廻ることにした。
天気は良く、風も気持ちいいくらい穏やかだったが私の心は晴れなかった。
リブは目先をゆっくりと歩いて介助してくれている。
休憩をとるようだ。リブは手近なベンチに腰掛け、私は彼の真上で浮いたまま、ぼんやりと景色を眺める。
ホッとしたのも束の間、後ろから声が降ってくる。
「紬ちゃーん」
その瞬間、背筋が凍るような感覚に襲われた。聞き覚えのある声だったのだ。
見上げるとそこには小鹿がいた。思わず悲鳴をあげそうになる。
「あれ?どうしたの?」と不思議そうに首を傾げている小鹿を見て、私は複雑な気持ちになった。
私が言葉に詰まっていると、彼女は私の手を取ってニコニコしながら言う。「紬ちゃんの家に行ったけどいなかったからこっちにいるかなって」
彼女の屈託のない笑顔が私を追い詰める。
私は何とか笑顔を作って言ったのだ。
「うん、散歩してたの」
そんな私の様子を不審に思ったのか、小鹿は心配そうな顔で私の顔を覗き込んだのだ。
「大丈夫?顔色悪いよ?」
そう言って私の顔に手を伸ばしてきた瞬間、私は思わず顔を背けてしまった。
そんな私の様子を見た彼女は、顔を覗き込んでくる。
「本当に大丈夫なの?具合悪いなら無理しないでね」と声をかけてくれる彼女の優しさが今の私には辛かった。それでも私は笑って言うしかないのだ。
「ありがとう」と。
そんな私の様子を小鹿はしばらく心配してくれていたが、不意に私の手を取り歩き始めたのだ。どこへ連れて行くのかと思っていると、彼女は近くの芝生の上に座り込んだのである。私もつられて隣に浮かぶことになったのだが、小鹿は何も言わずにただ手を握ってくれていた。それがとても温かくて心地よかったのだ。それからしばらくの間無言の時間が続いたが不思議と気まずさを感じることはなかった。むしろ心地よかったくらいだと言えるだろう。
「ねえ、何かあったの?」
その問いに答えなかったが、彼女は話し続けた。
「私でよければ相談に乗るよ?」と言ってくれたのだ。
しかし、私は何も言えなかった。
ただ黙っていることしかできなかったのである。
そんな私を察してか彼女はそれ以上何も言わなかったけれど、それでも側にいてくれるだけで心が軽くなっていくような気がしたのだった。
10分程経った頃だろうか、ようやく気持ちが落ち着いてきたように思えるようになってきたので私はゆっくりと口を開いたのだった。
ぽつりぽつりと言葉を紡ぎながら思いを吐露していったのである。
その間ずっと彼女は手を握り続けてくれていた。
そして時折相槌を打つだけで最後まで口を挟むことなく耳を傾けてくれていたのだ。ひとしきり話し終えた後、小鹿は小さく微笑んで言った。
「うん、話してくれてありがとう」と言ってくれた彼女に小さく頭を下げた。
それ以上何もなかったが、それでも不思議と心が軽くなったような感じがしたのだった。
「ねぇ紬ちゃん」
私は顔を上げ彼女を見つめる。
すると彼女は優しい笑みを浮かべてこう言ったのだ。
「私はどんな時も側にいるから大丈夫だよ」と言ってくれたのだ。その言葉を聞いた時、目頭に雫が溜まる。それは涙となって零れ落ちていったのだ。
浮いたまま座り込み、そのまま声を上げて泣いてしまったのだ。
それからしばらく泣き続けた後、小鹿は私を抱きしめて背中をさすり続けてくれたのだった。
「紬ちゃんは一人じゃないよ」と小鹿は何度も言ってくれたことが嬉しかった。その温かさに包まれながら、私は少しずつ落ち着きを取り戻していくのであった。
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