5

 ゼリー食。

夕食と同じ匂い、同じ味。違いはデザートにバナナがあるだけ。

内容物に疑問を覚えながら栓を開けた。

無色透明な食材の味は予測通り、変わり映えのしないものだった。

病院食は利便性と栄養を考慮しているのは分かるけれど、美味しさも求めてしまう。

 ふと、外を見やると、降りしきる雨が窓に叩きつけられていた。

朝の訪れを拒んでいるかのように退院日があいにくの空模様で気が重くなる。

 陰気に混じって、あの馬鹿な奴のことが頭をよぎる。

組体操の転落であれば、たかが傷一つで済むだろう。私でさえも、軽い怪我で済んでるし。

 それにしても、雨足が強まるばかり。

外に出れば鼻や目に雨粒が飛びかかってくる。合羽や傘があったとしても、風に運ばれるだろう。

もうどうにもならないのよね。

心から願うように、両親が車で迎えに来てくれることを祈る。外の音に耳を澄ませると、冷たいゼリーが喉を通り、日常の退屈さを断ち切ることができないままだった。このジメッとした空気も、心地よいものではない。気分はどん底だから、何とか起きよう。

 ゼリーを床へ放し、上体を起す。気晴らしに院内を巡るのも良いかも。

凹凸のある石膏へ脚を下ろす。素足では少し不快感がある。

 しかし、このまま病室に留まる理由がもはやなかった。扉まで歩み、外に出ることにした。



 私は病室を移動する間、病棟内を歩く人々の姿を横目で見る。

彼らは白衣や私服姿に身を包み、各々が仕事をこなしている。

入院患者と思しき老人たちも、付き添いの家族らしき人々も、忙しなく動き回っている。

皆一様に疲れ切った表情だ。私もいつかこうなるのだろうか? そんなことを考えているうちに、目に入る、人だかり。

 何が起きているのか、興味津々で近づくと、見覚えのある顔に気づいた。

やはり、クラスメイトだった。小鹿に歩み寄ると、彼女も喜んで受け入れてくれた。

「小鹿、どうしてここにいるの?」

「紬もお見舞いに来たの?」

今までの静かな時間とは打って変わり、こんな場面で再会することになるとは思ってもいなかった。

 クラスメイトたちは事情を教えてくれ、あの時に瀬戸も怪我を負ったことを知った。

「私も心から驚いているよ。こんなことがあるなんて……」

「うちら順番待ってるから、後ろに並びな」

頷きながら小鹿の後に続く。待つ間に瀬戸の容態について説明してくれた。

両足の骨折で下半身付随だそうだ。その話を聞いて、一層心を痛めた。

「そうだ、紬も色紙に一言載せてよ」

「私もいいの?」

「皆、良いよね?」という小鹿の問いかけに、前にいるクラスメイトたちは首を振らなかった。

目配せして回答を渋る。その様子から場違いだったことを察する。

そんな中、小鹿から色紙を手渡される。無神経さに戸惑いながら、手にしたペンで蓋を開けた。

彼女の独りよがりな優しさに身を委ね、限られた余白に謝罪の言葉を綴った。

 書きおわり、小鹿に差し出すと同時に、先に入っていたクラスイトたちが戻ってきた。

瀬戸の取り巻きもいた。彼女たちは私を見るなり、顔が引き攣る。

やはり、私はここにいるべきではなかった。お見舞いをしない方が良かったのかもしれない。

そんな心情とは裏腹に、小鹿は私の手を引いて言う。

「私たちの番だよ。行こう」

不安を抱えながらも、彼女に従って扉の中に入る。

すぐに、医療用ベッドに横たわる瀬戸と目が合った。

彼女は私を見つめ、口を開いた。

「なんで、お前いんの?」

突如として放たれた言葉は、まるで氷のように冷たかった。

ただ凍りつく空気の中、私は唖然と立ち尽くした。

瀬戸の痛みや悔しさが、私に向けられた鋭い矢となって心に突き刺さる。

小鹿は心の奥で咎められたような表情で、手渡した色紙を瀬戸に見せる。

瀬戸は薄く笑って、口元にほのかな皮肉を浮かべる。

「こんなの書かなくても分かるようなもんだろうが。加害者の言葉はいらないって」

その一言で、色紙に込められた温かな思いが踏みにじられたような気がした。

小鹿は黙ってしまった。私の気遣いが届かなかったことが痛かった。

何もかもが悔しい。思いやりが何もかも無駄だったという現実が胸を押し潰すようだった。

もはや病室に居ることができないと感じ、私は何も言わず、ただその場を後にした。

何も言葉を返すことができないまま、廊下を駆け抜け、階段に向かった。

病棟の景色が霞むほど、頭が混乱していた。気がつけば私は自分の部屋に辿り着いていた。

ひとしきりの呆然とした後、私は病室のベッドに座り込む。

涙がこみ上げ、心の中でじわじわと広がる苦しみに押しつぶされそうだった。

私の思いやりがどれほど無力であるか、身をもって知ることになった。

やがて、外で雨の音が激しくなり、窓越しに見える景色もますます曇っていく。

目前に広がる深い闇に呑み込まれそうだった。

 そんな時、扉がノックされた。

ベッドから立ち上がり、扉を開けると、そこに立っていたのは星守先生だった。

 先生は、私を座らせ、自分も椅子に座る。

しばらくの間、沈黙が続いた後、先生の方から切り出した。

私がクラスメイトから受けた仕打ちを打ち明けると、彼は深く頷いてくれた。

この一件によって、クラスメイトとの間に大きな亀裂が生じてしまったことを話すと、先生は静かに耳を傾けてくれた。悩みの捌け口は、今の私にとって最も必要なものだった。

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