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 東小学校に着いたのは8時半。皆、遅刻した。

教頭先生のお説教が終わって教室にやっと行ける。

班の子達が一斉に昇降口へ走り出す。班長の小鹿に介助されて私も向かう。

去り際にひとり振り返り、小言を呟かれた。

「お前のせいだからな」と他にも悪口が聞こえた。

一人一人に頭を下げて許しを乞う。

空から頭を戻すと小鹿と目が合う。

不満一つ出さない彼女だが、眉間に皺を寄せて黙り込んでいた。

咄嗟に謝ろうとしたら、ゆくりなく喋り出す。

「なんで助けが必要なの?」

「だって、障害があるから」

「錘でもつけて、一人でどうにかしてよ」

「知らなすぎでしょ。力場障害のこと」

「じゃあ、教えてよ」

「…………」

わからなくて答えられなかった。自然と顎に手が伸びた。

口籠るのを考えているフリをして誤魔化す。

「また知ったかぶり?」

「違うから! 言葉を選んでいたら小鹿が」

話し途中で昇降口に着く。そっと手を離されて浮かぶ。

爪先から天井に降りる。

「腰巻き外しちゃうね」

 彼女は手早く腰縄を解き、簀へ歩み寄る。

私は履き替えなくていいから靴を脱ぎ終わるまで待った。

程なくして玄関に上がる。

スニーカーを下駄箱に運ぶ。戸を開ける彼女に振り返られる。

「で、どうして?」

「それは……」

「やっぱり答えられないじゃん」

「だって、偉い人もわからないことだもん」

「そうだよね。科学的にも証明されてないし」

「知ってて聞いたの?」

 上履きと入れ替え、澄ました顔で小鹿は先へ進む。

憎たらしい背中。試すような真似をされて腹が立つ。

「ねぇ、早くして。ただでさえ遅刻してるのにさ」

「わかってる!」

 しばらく距離を置いていたが踏み出す。

小鹿も歩き出し、二人とも昇降口を去る。

階段に差し掛かったところでチカッと眩い光が飛んでくる。小鹿が立ち止まる。

私も気になって振り返ると奥にカメラを構える黒ずくめの男が佇んでいた。

こちら目がけて再びシャッターが切られる。

男はファインダーから目を外す。すると、視線に気がついたのか、にんまりと笑顔を向けてくる。

「キモい……」

「誰、あの人?」

「もしかして不審者?」

「そうかも……星守先生に言わなきゃ」

「うち、先行くね」

「待ってよ、小鹿!」

どんどん駆け上がる足音が響き聞こえる。独り置いてきぼりにされた。

私も早く逃げたい。段裏に腰を下ろし、勢いをつけて滑る。

脇目も振らずに階を越し、クラスのある四階に着く。

踊り場から廊下に顔を出すと小鹿が教室に入る姿がみえた。

6-2組までもう少し。



教室に来くと、不審者のことを真っ先に報告し、席に就く。と、言っても、廊下側の天井に直に座る。

けれど、特に問題にされず、星守先生は知っているような素振りを見せて、慌てて去った。

私たちには何の説明もなく、ただモヤモヤとした感情が漂うばかり。

きっと小鹿も同じ気持ちだろう。最前席に座っているから話せないけど。

それにしても先生は何処に行った。もう終業式が始まるというのに。

周りもざわついている。いつまで体育館へ移動しないままでいるのだろう。

暇な時間はしんどい。こういうとき隣に話し相手がいる皆が羨ましい。

電灯に集る小蠅を観察するくらいしか私にはできないから。

「−−−−校内放送−−−−至急、6-2組の生徒は委員長の指示に従い、体育館へ移動してください」

アナウンスが響き渡り、クラスメイトたちは一斉に立ち上がった。委員長の小宮さんが導く中、私は一番後ろに控えていた。

目を凝らせば、小宮さんが周りの顔を確認しているのが見て取れた。

きっと星守先生のことを心配していたのだろう。

教室移動の時は保健係の高山が助けてくれる。

今日は欠席みたいだから、他に頼れる人を探そう。

とりあえず一番後ろに並ぶ。実は前から数えた方が早いけど、特例でこうなった。

小宮さんが人数確認を終えたみたい。前列が進みはじめる。

急いで前の子を呼び止める。下りは大変だから介助が欲しい。

「瀬戸さん、瀬戸さん……」

足を止めて振り返ることはなかった。

どうしてだろう、この時ばかりは手を差し伸べてほしかった。

けれど、私の叫びは通じない。瀬戸さんは冷たい態度のまま去っていった。

その背中が、私の心をさらに冷たくした。

「待ってよ、瀬戸さん、小宮さん! 小鹿!!」

大声を出しても見向きもされない。こんなことは初めてだ。

急いで列に合流し、一緒に体育館に向かっている最中、私の足は途中で止まってしまった。

階段の前で息が詰まり、動けなくなってしまった。

クラスメイトたちは笑いながら私を仰ぎ見上げてくる。

その視線に耐えられなくなり、立っていることもできなくなり、天に崩れ伏す。

額に滴る涙を何度も掌で擦る。こんなに助けを求めているのに誰も来やしない。

濡れた前髪を伝う涙粒。毛先から止めどなく垂り落ちてしまう。

床は綺麗にできない。私の代わりに誰かが拭かなきゃならない。

助けてくれる人も内心で迷惑に思っていたに決まっている。

他人の善意を当たり前のように受け取りすぎていたんだ。

自分の行いが悪かったと考えれば、目頭の火照りも治ってくる。

嗚咽を飲み込むように吸い込み、深く息を吐く。

気持ちが落ち着いたところで、ようやく立ち上がる。

もう他人を信じない。できる限りのことを独りでやるべきだ。

目の前の段裏は険しいけれど、勢いがあれば登れないことはない。

助走をつけ、いざ三階目掛けて走る。

すんなり登り切れた。さっきまで涙が嘘のようだった。続けざまに駆け上がる。


息つく間もなく二階まで来たところで一息ついて立ち止まる。


深呼吸を繰り返すうちに、だんだん落ち着いてきた。

気分も晴れ、鼻歌交じりに一階へ向かう。

「この大空に翼を広げ 飛んでゆきたいよ〜悲しみのない自由な空へ……」

「何やってんだ!糸重!」

思わず、舌が回らなくなる。咽せた歌声を隠す。

通路奥へ振り向くと星守先生が駆けてくる最中だった。

「もう式始まってるから急ぎなさい!」

頷き返し、駆け出す。足元の電灯を気に掛けて跳ね跨ぐ。

星守先生も私に走り寄る。すぐに頭を下げた。

「介助を受けれず遅れました」

「大変だったな。ひとまず、急ごう」

手をとられ、私たちは先へ進む。

体育館に近づき、聞こえてくる校長先生の式辞。

「ホームルームの時間に話はするからな」

「お願いします」

入り口に着くが、急に立ち止まられる。

勢いが落ちず、目の前の垂れ壁にぶつかりそうだった。

星守先生は私の気も知れず、館内の様子を伺っている。

振り返ると「ここで待ってて」と私を留めて館内に忍び入る。

覗くと在校生に一礼する校長先生が見えた。

「アナウンス、在校生、起立、礼」

生徒一同が着席するなか、星守先生と話す生徒がいる。最後尾だから、きっと瀬戸だ。

教室移動の時にされたことを思うと気が滅入る。もう目があわないように顔を潜めた。

でも、これ以上は引き下がらない。心に耳を傾ける間に足音は近づく。

「お待たせ、瀬戸が介助してくれる。準備が出来たら行きなさい」

星守先生は私達を引き合わせると、駆け足で館内に戻った。

「紐を結べば良いんだよね?」

「……そうだよ、瀬戸さん」

目を逸らしたまま腰縄を手渡す。

しばらくの間、見向きもしなかった。しかし、結び方が気になって一目見やる。

丁度、結び終えるところだった。

「これで良い?」

こちら仰ぎ見る彼女から顔を背ける。舌打ちが飛んできた。

手を握らないまま歩き出す彼女。身体が縄に引っ張られるので私も続く。

扉を飛び越えると児童一同の注目が壇上に集まっている。

視線を辿ると壇上階段を登る男の背姿が見えた。

国旗に深く一礼する彼。演台に向かう。あいつ、昇降口の不審者だ。

ようやく、クラスの列に混じる。私達を見計らったようにアナウンスが掛かった。

「−−−−訪問者挨拶−−−−一同起立、礼、着席」

彼も私に気がついたようでウィンクしてきた。

そして、マイクを手に取る。

「皆さん、おはようございます。極日新聞社記者の見取円治と申します。本日より東小学校様にて取材協力をいただくことになりました。自社で力場障害者の特集を組む運びとなり、生徒皆さんの学校生活を覗かせてもらいます。短い間ですがよろしくお願いします」

鋭い視線が四方八方から突き刺さる。悪い意味で注目を浴びている。

力場障害者は私しかいないから当然であった。

壇上から彼が降り、客席に戻る。

「−−−−続きまして、賞状伝達−−−−−−−−在校生起立」

立ち上がる瀬戸さんの勢いが私にも伝う。いつもより高い目線になって覚える。違和感。

まだ浮き上がる。腰縄がピンと張っても止まってくれない。

瀬戸さんの身体にも力が及び、異変に気づく。

「ちょっと、やめてよ!」

「私は何もしてない!」

ふわりと浮き上がる上履き。爪先を伸ばすが床に届かない。

私は無心で腰縄を昇った。そして手を彼女へ伸ばす。

しかし、強まる浮力に怯えだす。足をばたつかせて、腰縄を解こうとする。

「瀬戸さんやめて!」

「助けて!誰か!!」

ガクンと身体が舞う。埋もれた縄が延びている。

「やめて!解かないで!」

ひせるばかりの馬鹿は聴く耳を持ってくれない。

一斉に助けの手が伸びる。大人達も続々と駆けつける。

力を合わせ引き寄せるが、止まること知らない勢い。

「みんな、キャットウォークまで来い! この下に」と星守先生に呼びかけられ、周りが応える。

組体操のタワーのような状態で進み出す。舞う。今度は止まらなかった。

床に崩れる皆。その姿が遠のいていく。声が漏れ。衝撃が伝う。

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