宇宙を見下ろす私達

@HajimeYokogawa

1

 天井から母に引っ張られる。

人の手が届くところまで腰縄を巻取られ、椅子に座っていた父に縄を踏み抑えられる。

居間のテレビで自分と似た境遇の子が特集されている。

「全部、悪魔のせい。地に足がついてれば良かったのに、私は違う」

逆さまに浮いてしまう私と同じ。蒸しタオルで顔を拭いながら、ニュースに見入る。

しかし、電源が落ちる。

「ながらはやめなさい。上から落っことすでしょ」と言い捨てて、キッチンへ戻る母。居間のテレビの画面は真っ黒。

障害者への理解を深めるよりも遅刻しないようルーティンを熟す方が大事みたい。

だから、見せつけるように溜息を吐いてやる。

母は気に留めない。顰め面の私に見向きもせず、三人前のトーストを運んでくる。私の椅子のすぐ隣に置くと、残りの一人分を自分の席へ。

そして、蒲鉾サラダの隣に置くと、そそくさバターを塗る。

「えー、またパン?」

「文句言わない!食べられるもの少ないくせに」

 共働き世帯で世話の焼ける子供を持ってしまい大変そうだ。

まるで宇宙飛行士みたいと例える他人もいるけど……

「……ほんと吊るし人みたい」

「朝からブルーにならないの」

「独り言まで説教しないでよ」

「ぐちぐち言わずに−−ほら、紬」

立ったままモゴモゴ頬張る母から手渡されるトースト。

助けを求めて父へ目配せする。でも電子新聞に夢中で気がつかない。

無視するが、突き出した皿を引っ込めない母に根負けする。

でも、私にもワケがある。それを伝えられず、もどかしい。

続けて渡されるストローマグ。きっと、同じ食べ物が嫌で悪態ついていると思われた。

自分が不甲斐なくて呆気にとられるが、母の視線に気付き、パン耳を口に運ぶ。

やはり、舌の付け根に纏はりつく。呑み込めるよう噛み潰さないといけない。

食道に届きさえすればいい。消化管の筋肉による蠕動性運動が重力に勝るから。

ずっと一口目を咀嚼している。私を見た母は満足げだが、味わっているわけじゃない。

食卓に響くアラーム。登校の十分前だ。

母が片付けはじめる。テーブルを前屈みになって拭く。その拍子に腰綱から足が外れる。

天井へ勢いよく昇る身体。ドンッと音を立て、尻餅をつく。

「もうお母さん!」

 私を一瞥するが、母は食器を抱えて去る。

こちらを見向きもせず目の前を行き来する。

身勝手な人。

この有様だから、肩身がせまい。

 父は家具工房で働く機械技師で、昼間は職場に籠もっているから滅多に帰らない。

 そして母の海音は看護師。私がまだ幼稚園の頃に職場復帰し、二人とも働き詰めだ。

夜勤をする母とは殆ど顔を合わせられない。だから、せめて朝は一緒に登校したい。

 私はそんな思いを込めて、今日も早起きをした。

昨日もそうして、そして、今もこうして。

 また足かせに引っ張られるまま浮く身体。縄が食い込んで痛い。もう嫌だ!

「お母さん!」と堪らず叫ぶ。

「たかが一メートル。別に痛くないでしょ?」

背もたれに掛かるジャケットに手を伸ばす母だったが、歩み寄ってくる。

「お母さん、意地悪!」

「はいはい、ごめんごめん。でも、あんたも悪いのよ?パンの耳を食べないから」

「食べれるのこれ?」

「好き嫌いしてると、あたしみたいになるよ」と母は私の頭を撫でる。

本当は嫌いじゃない。歯に纏いつく食感が気に入らないだけ。

でも母が私を想って言ってくれているのは分かる。だから、頷いておくことにする。

母の背に手を伸ばし、応えるように抱きしめる。温もりを貰う代わりに貰った重さから解放する。

「ほら、歯磨いておいで」と母が押し出す。

「はーい」

洗面所へ入ると、ペンダントライトの横の台座を上がり歯ブラシを手にとる。

歯を磨きながら、小窓を覗く。

頭上を行き交う人々と車たち。この景色も見慣れてきた。天に引かれるように、宙に浮く身体。

本来地上にいるべき私がなぜこんなところにいるのか? そんな疑問は何度も考えた。でも、考えるだけ無駄だった。



歯ブラシを嚙み、考えるのはここまでと頭を振る。

洗面所を出ると、母が私から伸びる縄を手繰り寄せ、自分に巻きつける。

玄関の天井に腰を下ろし、上履きに足を通す。学校で履き替えなくて良いように。

私が家を出るのを見計らったように父が玄関先に顔を出しながら言う。

「いってらっしゃい」

「お父さん、行ってきます」

母は父に明るく手を振り、家を出る。

私も真似て手を振ると、父は微笑んでくれた。

すぐに私の手を引いて、私達はエレベーターに向かう。

また宙吊りになって、この姿勢を維持するのは大変だけど、通学路までの自由飛行にいつも心躍る。

母に手を引かれながら、脚を開いて爪先を上にする。

毎日こうして飛んで行くことに飽きることはないだろう。

「いい天気ねー」と母が気持ちよさそうに言うので私も大きく頷いて応える。

「今日も一杯飛んで、いっぱい飛んでもらうよ」

「えー!」

 思わず大きな声が出る。

しかし母はお構いなしに続ける。

「いいでしょ?あんただって嬉しいでしょ?飛びたいくせに」

 図星だった。本当は嫌じゃないし、むしろ楽しいのだが、それを認めると負けた気分になるので決して肯定したくないのだ。でも母はしつこく言い寄って来るだろうなぁと思い憂鬱になる。だから仕方なくしぶしぶ頷くことにする。

そんな私の様子に満足したのか、母は微笑んで手を離した。



 エレベーターに入ると、母がボタンの前に腰を下ろす。私は彼女を見下ろす形になった。

1階のボタンを押されてから、ふと思い出す。今日は終業式。学校が休みなら色々持ち帰らなきゃならない。つまり、手提げ袋が必要だってこと!

思い出した時にはもう遅い。エレベーターが1階に到着してしまった。仕方ないけど、家に戻るしかない。

「お母さん、ちょっと忘れ物したから取ってくるね!」

「あらそう?」

「すぐ戻るから待ってて!」

 そう言って踵を返したが、腕を掴まれ引き戻される。

「待ちなさい、紬」

「何?」

 振り返ると、母は少し困った様子だった。

「あのさ、あんたの手荷物、全部学校に置いてあるの忘れてない?それともわざと置いてきたの?」

 言われて初めて気付いたが、確かにその通りだ。学校のロッカーに置きっぱなしになっているはずだ。

手ぶらで登校するなんて恥ずかしいし、不便を強いられるのは目に見えている。

「あちゃー、忘れてたわ。どうしよっかなー?」

「ほら、やっぱり分かってなかったの。あたしが気付いてよかったわね。まったくもう」

「ごめんなさい」

 素直に謝ると、母は呆れたように溜息を吐く。

そして、腕時計に目を落とす。

「まぁ、いいわ。取りに帰りましょう」

 私が失念したことを恥じていると、そっと腕を引いてくれる母。

そのまま二人で家へ引き返すことになった。



 家に着き、玄関先で母に靴を脱いでいると、廊下の奥から声が降ってきた。父は寛いでいるようだ。

 母がただいまと声をかけると、おかえりと返される。

「お母さん、ちょっと待ってて」と母に告げ、リビングへ急ぐ。

新聞を読む父の後ろを通る。彼は新聞を捲ると、私に目配せした。

何か用かと首を傾げていると、椅子の上に置かれた紙袋を示される。

 それは手提げ袋だった。いつの間に用意したのだろう?さすがは父だ!感激しながら礼を言って受け取る。

 踵を返すと、玄関から母の急かす声がしたので慌てて向かう。母がドアを開けると同時に飛び込むように出る私。後ろ手にドアを閉めて施錠するのを見届ける私。そんな私たちを見て父は微笑むのだった。それから私は、今度こそ家を出発する。

 母の腰に巻かれた縄に引っ張られ、宙を滑るように進む身体。

まるで遊園地のアトラクションのようだ。いや、どちらかというとジェットコースターだろうか。

身体が浮く感覚も、地に足が付かない不安も、どちらも怖い。

だから、本当は乗りたくない。でも、拒否すると母は怒る。だから、従うしかないのだ。

 それでも、こんな日常が嫌いではない自分がいる。

いつか、自由に空を飛べるようになるのだろうか。

でも、もしそうなったら、この世界はどうなるんだろう?

そんなことを考えながら、通学班の集合場所へ向かうのであった。



「もう、こんな時間!急がないと」

私は、母の腕時計を覗きこみながら言いました。

「うん、ちょっとまずいわね。急ぎましょう!」

母はそう言うと、慌ててボタンを押します。

すると、すぐにドアが閉まり、私たちは地上へと運ばれていきました。

その間、私はずっと腕時計を見つめていました。

(あと二分くらいかな?)

そう心の中で呟きつつ、刻々と過ぎていく時間をひたすら見つめ続けます。

庫内から降りるなり駆け出す母。思わず手が緩む。

「しっかり握りなさい」

「はぁ?こっちの台詞」

母の足取りは仕事着のせいか覚束ない。それでも通路を走る。

突き当たりを曲がれば、もう集合場所だ。

角に着いた瞬間、母が立ち止まる。

通学班の姿はもうなかった。

「流石に間に合わないよね。どうする紬?」

目を背けるように天井に俯く。

ゼエゼエ息を切らす姿を見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「ごめんなさい」

「ねぇ、通学班じゃない?」

「どれ?」

目の前の登り坂を指差す母。

「あそこ。坂の天辺」

母とエントランスに飛び出て、思いっきり声を振り絞る。

「おーい、糸重紬います」

 最後尾が呼び止まる。声が届いたようだ。

手を振って応えると、みんな駆け寄ってきた。

「遅刻だぞー」と茶化す男子に、女子たちが同調する。

「ごめん、ちょっと色々あってね!」

 母は申し訳なさそうに謝罪した。

全員が揃ったところで、列を整え、学校に向けて歩き出す一同。

 その道中で、クラスメイトたちに冷やかされたりもしたが、何とか無事に通学できることに安堵した。

こうして、私の一日が始まったのである。

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