第30話 誇りにかけて —前編—


 ロラン・ヴァルターシュタイン、12才。

 飛び級した。5年生。

 このままだと16才で魔術師になるんじゃないかって大騒ぎ。

 今までの最短記録が15才で、クレア・ケミカリって女性。

 その後名字が変わって、クレア・ケミカリ・ヴァルターシュタイン。

 天才は常に努力するってマリスから聞いたことがある。

「飛び級するのはそれなりに大変だよ」

 ロランはそう言ってカバンから教科書や参考書を出してる。

「やっぱり勉強は難しい?」

「勉強はやれば追いつくから問題ない」

 ほんと、あっさり言うよね。

「何が大変なの?」

「体術。こればかりはね、体格の違いはどうにもならないから」

 子どもの上に元々線が細いから。

「どんな授業をするの?」

「基礎体力、回避術、剣術。槍術。弓術は問題ない、相手がいないからね」

「大変?」

「体格よくて腕力がある同級生が相手なんだ。剣術と槍術は大変だよ」

「勝てないよ」

「今まで以上にアザだらけで帰って来るんじゃないかな」

「そんなに厳しいの!?」

 ロランは机に向かって、ニコッと笑んだ。

「妬まれてるから。体術の時間は格好の憂さ晴らしなんだ」

「妬まれてるって、嫌われるような感じ?」

「ちょっと違うな……たぶん、羨ましい感情が少しねじれてる」

「うーん……」

「家が有名だとか……飛び級してるとか」

 あ、何かわかってきた。

「つまり、100倍に薄めたバレルが何人もいるんだ」

 苦笑してる。

「そういう言い方もできるかな」

 ロラン、こんなに優しくて紳士的なのに?

 僕は何かできないかなあ……。

 カゴの中で丸まって考えてても、解決策は出てこない。

 クレアがカゴをのぞいて頭をなでてくれた。

「あまり元気がなさそうね。おやつを少しどう?」

 クレアが小さな皿に入れてくれたおやつを舐めながら考える。

 僕の前にしゃがんだクレアが頬に手を当てた。

「あら、いつもすぐに舐めてしまうのに。どうしたの?」

『にゃぉ〜』

「具合が悪いわけではなさそうね。それならいいけれど」

 クレアに心配をかけただけで、いい案は出てこない。

 晩ご飯、ロランは何もないようにクレアに学校の話をする。

 でも、クレアは勘がよくて、すぐに気づいてしまう。

「何かあったんでしょう? たぶん、虐めだと思うけれど」

「——」

「いいことを教えてあげるわ、ロラン」

「何ですか」

「無視なさい。叩かれても無視なさい。これは戦い、弱みを見せたら負けなのよ」

 ロランはちょっと驚いたふうでクレアを見てる。

「弱みとはつまり動揺」

 クレアは真剣。温かいけど、隙がない。

「動揺すると思われれば相手は面白がり、虐めは続くわ」

「……できるかどうか……」

「できるわ、私の息子ですもの」

 クレアは心配してない。ロランを信じてる。

「状況は何かのはずみに変わるものよ。不変ではないの。討伐と同じなの」

「……あっ、もしかしてお母様も」

「うふふ、私は大量のインクを浴びせられたことがあるわ」

「インクですか!?」

 インク? 何だろう。たぶん人が嫌がるものだな。

「落ちないのよ、あれ」

「落ちませんよ! もし傷でもあったら刺青みたいになって……」

「でも学校には行ったわよ、病気ではないのですもの、休む理由がないわ」

「インクに染まったまま、ですか……?」

「綺麗に落ちるまで2週間以上かかったような」

 クレアは楽しい思い出みたいに話すけど。

「髪は残念だったけれど丸坊主。でも楽だったわ。手間がなくて」

 ロラン、びっくりしてる。

「そうしたら、みんな呆れたらしくて、虐めはなくなったわ」

「何をやっても無駄だと思われますよね……」

 クレア、やっぱり怖い。クレアより強い人見たことないよ。

「ただし、侮辱だけは別よ。決闘です。負けても戦いなさい」

 優しかったクレアが毅然とした。

 そうだ、マリスが激怒したのは、バレルが僕を侮辱したからだった。

 この家は侮辱を絶対に認めないんだ。

「あなたは当主、常に誇りを持って、冷静に、そして勇敢でありなさい」

 息子に喧嘩をけしかけるお母さん。

 しかも相手は3歳年上。

 ロランは「わかりました」って表情もすっきりしてた。

 そして2日後、見事に喧嘩して帰って来た。

 動けなくて学校の馬車に乗せられて。

 一応、先生が応急処置してくれたみたいだけど、無処置同然。

 ベッドに横になったロランを診たら、肋骨3本にヒビが入ってた。

 いくら肋骨だって、子どもが拳で殴ったって折れない。

 相手が武器を持ってたか、倒れてるところを蹴られたんだ。

 打ち身と内出血がたくさん。

 もちろん顔も。左のまぶたが腫れ上がって、目の周りが青紫。

 眼球を傷めててもおかしくない、失明したらどうするの。

 神聖魔法だって失ったものは戻せないのに。

 ほんと、誤解が多いんだよね、神聖魔法は。

 治療が得意な先生いなかったの? 魔術学校でしょ?

 ヘタに治されるより、このまま帰してもらってよかった。

 っていうか……実は鎮痛だけして僕に丸投げしてきた気がする。

 その方が確実だし。

 すぐに全部治した。

 ひどい喧嘩だったんだな。

 相手の子は加減がわからないか、わざとやった。

 授業の体術と実戦は違うからね。

 それは僕にはわかるよ、実戦やってたから。

 わざとなら卑劣。ここまでやる必要はなかったと思う。

 異常に興奮したなら未熟。

 ……子どもにそんなの求めても無駄だな。

 ロランを基準にしちゃいけない。

 相手は精神年齢が低いんだ。

 治ったロランはすぐに起き上がって、頭をなでてくれた。

「ルイ先生には治療費をいくら払えばいいのかな」

「そんなのいらないよ。いったいどうして喧嘩なんて」

 決闘だ、ってロランは真剣な顔で言った。

「お母様が、侮辱されたら負けても戦えって、仰っただろ?」

「それはそうだけど、本当に喧嘩しなくても……」

「ううん……許しちゃいけないことは、あるんだよ」

 クレアが部屋に入ってきて、ベッドの横に膝をついた。

「当主様はどういった理由で決闘を?」

「ルイを化け物と言われました。魔獣に化けた魔物だと」

「まあ……」

 それ……マリスが本気で怒ったやつだ。

 僕を魔物って言った、バレルも。

「ヴァルターシュタイン家は化け物を魔獣と嘘をついて飼っていると」

「まあ……」

「魔獣がマックスグリズリーなんか1匹で倒せるわけがないから……」

「普通はそうね、この子でなければ」

「妬みかひがみで口が滑ったんだろうことはわかります……でも」

 ひと息ついて、ロランは言った。

「だからといって何を言っても許されるわけじゃない」

「立派ね、ロラン。マリスが生きていたら、髪をくしゃくしゃになでて褒めたわ」

 結局、原因は僕。

 ダメだね、ヴァルターシュタイン家って。

 魔獣と絆が強すぎて。

「私はちょっと出かけるけど、安静にしているのよ、ロラン」

 そう言ってクレアは出て行っちゃった。

「何でそんな理由で喧嘩したのさ!」

「そんな理由? ものすごく大事なことだよ」

「だって、あんなにケガをして」

「ルイ、戦闘系がバディになるって、どういうこと?」

「それは、お互いが命を預け合って、預かり合うこと」

「それを化け物なんて侮辱されるのはね、絶対に許してはいけないんだ」

「……」

「これは、僕の命と尊厳が侮辱されたことでもある……わかる?」

「……うん」

「だから戦ったんだ……勝ったんだ、すごいだろう?」

「確かにすごいけど……うん、相手は体が大きい年上だしね……」

 そうか、相手の子は年上だから、3才も下の子どもに負けられない。

 退くに退けなくなっちゃったんだ。

 まさか小柄なロランが決闘を仕掛けるなんて思わなかった。

 仕掛けたからには絶対退かない。

 相手の子は怖くなって自分を忘れたかな。

 軽い気持ちで、ちょっとバカにしたかったんだろうな。

 ヴァルターシュタイン家の誇りと家訓は有名なのにね。

「でも停学1週間だけど」

 あー、そうだろうね……。

 もちろん、傷が癒えたロランが安静になんてするはずなくて。

 絵を描いたりハープシコードを弾いたり。

 本当に無茶しないでよ、いきなり人格変わるんだから。

 しかも冷静なまま。

 魔術師、怖い。

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