第29話 VSマックスグリズリー、その後


 出歩けない。

 僕たちがマックスグリズリーを倒した話はまたたく間に広がって。

 出歩くと人が群れてくる。ベタベタになで回されまくる。

 ……辛い。訓練所にも行けない。

 もう頭と背中の毛がなくなりそう。引きこもるしかない。

 なのにフレイヤ様は嬉しげに微笑んでいらっしゃる。

「存分に力をお使いなさい。せっかく授けたのですから」

 はい、本当にありがたいと思ってます。

 おかげでこの家にいられるし、魔獣として生きています。

 僕の憂鬱とは反対に、ロランは停学を満喫してる。

 絵を描いたり、好きな本を読んだり。

 普段勉強で忙しくてなかなかできないことを、いろいろやってる。

 今は椅子に座ってピアノに似た楽器を弾いてる。

「初めて聴いたよ。上手なんだね楽器。何ていうの?」

 ピアノと鍵盤の白黒が逆。鍵盤が二段あるし。

 針金を爪で引っかけて鳴らしてるみたい。

 硬いけどステキな音。

 ときどき聞こえてたけど、クレアが弾いてるのかなって思ってた。

「ハープシコードだよ」

 とてもシンプルで心地よい音。

「9代目が好んで弾いたんだ。それから歴代当主はみんな弾くよ」

 戦闘だけじゃない。絵を描いて本を読んで、音楽もするんだ。

 本当にすごいね、この一族って。

「マリスが弾いてるの見たことないよ」

「お父様は昔、戦いで左手の中指を傷めたからね」

 マリスも音楽やってたの? ビックリした。

 でも、似合ったと思う。見たかったな……。

「少しだけ後遺症が残って弾けなくなった。聴きたかったな」

「僕、全然気がつかなかった」

「戦士は自分の弱みを知られちゃダメ。お父様に教わらなかった?」

「うん、言われた」

「でも君には弱みがないからね」

「弱み…………あるよ」

「あったの?」

「教えないよ、弱みだから」

「将来バディになるんだから知っておかないと」

「土と水の魔法が使えない」

 なくても困ってないけど。

「そういえばそうだった」

「理由はわからないけど」

「僕が考えるには、フレイヤ様が豊穣を司る方だからじゃないかな?」

「?」

「作物を作るのに必要なのは土と水。フレイヤ様にとっては戦いに使うエレメントじゃないのかも」

 ビックリした。

 みんな使い勝手を軸に考えていたのに。

 フレイヤ様にとって土と水は命を育むもので、奪うものじゃないんだ。

 ロランが手を止めて僕を見た。

「フレイヤ様がお優しいのは、君が優しい子だからだと思うよ」

 君だって、いつだって僕に優しい。

 僕がこの家に来た時、君はまだ3才だった。

 悪気なく僕のしっぽをつかんで引いて、結界に弾かれて泣いてしまった。

 でも君はフレイヤ様に命を賭けてお誓いしたんだ。

 まだ小さかったのに。

 7年経ったんだ、あれから。

 ——今、気がついた。

 猫は14年くらいで死んでしまうんだって。

 たとえばロランが16才くらいで魔術師になったら。

 僕はもう老猫になってる。

 おかしいじゃないか、そんな猫がバディなんて。

 討伐に出るのに。

「ねえロラン?」

「うん?」

「……僕が君のバディになる前に死んでしまったら——」

「死なないよね、君」

 え?

 僕、君には話してないよ?

「不死とまではいかなくても、長寿は間違いない……桁外れに」

 何でわかるの、そんなこと……。

「君がフレイヤ様から頂いてるご加護は尋常じゃないよ」

 そうか……わかっちゃうのか。

「君は万能結界を持ってた、最初から」

 うん、フレイヤ様がくださったから。

「普通の子猫はレイドに行かない。訓練所にさえ入れないのに」

 うん、そうだよね。

「Cランクになったり、マックスグリズリーをひとりで倒したりしない」

 そう思う。

「フレイヤ様はバレルに神罰をお与えになった」

 お優しい方だけど、守護神様だからね。

「何より青い目までくださった、大変なご寵愛を賜ってる」

 そしてロランはニッコリ笑った。

「そんな猫が簡単に死ぬわけないじゃないか」

「でも、そんな猫は普通じゃないし」

「君を普通の猫だなんて誰も思ってないけど?」

「え?」

 ロランはクスクス笑ってる。

「そもそも、コールサルトっていう時点で普通じゃないよ」

 そうだった、僕は何者にも捕らえられない。コールサルト。

 不死と魔法と自由を授けられた純黒の猫。

「魔力、3000超えてるよね。お母様から聞いてるよ」

 だって、クレアが訓練してくれるんだもん……。

「コールサルトはドラゴンと猫のハーフだって言われてる。事実はわからないけど」

 僕の両親は普通の猫だった、と思うけど……。

「そうなるともう、何千年生きても誰も不思議に思わない」

 何千年っ?!

「心配無用。普通の猫じゃないなんて気にする人は誰もいないよ」

「な、何千年も生きる魔獣とかが、この世界にはいるの?」

「何種類かいるね、きわめて稀少種だけど。まあ、君もその仲間というわけ」

「じゃあロランと一緒にいても、君に迷惑かからないの?」

「迷惑? むしろ誇りだ。僕は君に選んでもらえて本当に光栄だ」

 膝に飛び乗ると、ロランは僕をギュッと抱いてくれた。

「僕は初めのうちは全然役立たずで、君の足を引っ張り続けると思う」

 そんなことないよ、君はきっと新人でも有能だよ。

「少しずつでも強くなって、必ず君のバディにふさわしい魔術師になるよ」

「君が不慣れな間はずっとフォローするよ、大丈夫」

「じゃあ安心だ」

「僕はSランクのマリスと一緒に戦って、Sランクのクレアに教わってるんだ」

「そうだった、頼りになるなあ」

 ロランの腕は本当に気持ちいい。

 細くてちょっと頼りないところはあるけど。

 10才だよ、人間はまだ子どもなんだ。

「ところで君は訓練所に行かないの?」

「行けないよ……どこにも出られないんだ」

「どうして?」

 ロランはときどきちょっとだけ鈍感だ。

「みんなが触ろうとするから大変なんだ」

「……ああ、グリズリーのことが漏れたんだね」

「うっかり爪で引っ掻いたりできないから、なすがまま……」

「そうか、捕まったら逃げられないんだ」

「訓練所になんてたどり着けない」

 誰にも捕らえられない猫なのに。

「んっと……じゃあ僕がトランクに入れて運んであげるよ」

「外に出ても平気なの?」

「魔獣訓練所の見学なら問題ないよ。勉強の一環だって言い張る」

 トランクに入れられて外に出ると、僕と対応が全然違う。

「ヴァルターシュタインさん、先日はご武勲おめでとうございます」

「武運長久をお祈りします」

 明るく声をかけるけど、群れて囲んだりしない。

 猫に対する差別だ。僕だって囲まれずに移動したい。

 訓練所に着いて、ロランは係の人と話してる。

「当家のルイを連れてきたんですが、中に入れてもいいでしょうか?」

「ま、魔法さえ使わなければ、いいですよ」

 係のおじさん、少し腰が引けてる。

「大丈夫です、家の訓練場でしか使いませんから」

 やっとトランクから出してもらって、思い切り伸びをして、スッキリ。

「見学してもかまいませんか?」

「ええ、どうぞ。ルイは誰ともすぐ打ち解けていい子ですね」

「懐っこいですから」

「大事なことですよ、パーティで動く戦闘魔獣には必要な個性です」

 僕が訓練所に入ったら、いろんな反応された。

 しっぽを巻き込んで怯えてたり、地面に伏せてたり、興味津々で僕を見てたり。

 みんな普通に仲良くしてた友達なんだけど……。

 軽い足取りでララが来て言った。

『お前マックスグリズリーを雷一撃で伸したってガチ?』

『デマだよそれ』

『だよなー』

『雷と衝撃』

『マジかよ!! マックスグリズリーより強いのかよお前!』

『Cランクだよ僕。今は休業中だからランク上がらないけど、家で訓練してるし』

 休業中の魔獣は、既定の訓練を受けていればランクが下がらない。

 3か月に1度くらいチェックがあるんだけど「君はしなくていいよ」って管理局のおじさんに優しく言われてから行ってない。

 むしろクレアの教育の賜物で、レベルがどんどん上がってる。

 今たぶんBランク寸前くらい。

『そうだったー! ただのラブリーな子猫じゃなかったー!』

『うちの魔法の訓練は厳しいから、実力的にはBくらいなんだ』

『マジか…………子猫1匹でマックスグリズリー……』

『僕はロランを守らなきゃならないから必死だったよ』

『俺、しっぽ巻くわ……腹も見せるわ……』

『ダメだよ、犬はバディにしかしちゃいけないって』

『俺のバディなんか草摘んでるだけだぞ! 強い奴には喜んでしっぽ巻くわ!』

 しっぽ巻かれてお腹出されてしまった。

 やりにくいなあ……。

『と、それはそうとして』

 切り替えが早いララ。

『実際に直対するとマックスグリズリーってどんな感じ?』

『……獰猛な壁』

『壁?』

『この訓練場の壁のつなぎ目に牙と爪があって、襲ってくるイメージ』

『ぐ、具体的にイメージできねえけど、やたら怖いのはわかる』

『あたし、害獣博物館で剥製を見たことがあるわ。化け物よ』

 キャリーとカッカとサーグが来てくれた。

『あんなのが生きて動いてたら失神するわ』

『俺もある。猛禽は相性が悪い、遭遇したくはないな』

『討伐の道中で不幸にも偶然鉢合わせって可能性はゼロじゃねえぞ』

『そうなれば名誉の戦死だ、致し方ない』

『あとはバディがケツまくってくれるのを祈るか』

『こっ、怖くなかったんですかっ、ルイさん?』

『怖い』

『よくかかって行けるな!』

『グリズリー類は狩猟本能が強くて見た目より足が速いから、背中を見せたら殺されるよ。僕みたいな子猫、3秒だ』

『逃げて死ぬか戦って死ぬかの選択なのね……どっちも選びたくないわ』

『遭わないように天主様に祈るのが一番手っ取り早いよ』

 それから訓練所を走ったけど、さすがに体が重い。

 魔力、まるで戻ってない。完全に使い切っちゃったから。

 使い切ると回復までにすごく時間がかかる。

 訓練所に来ようと思ったのが間違いだった……。

「そうか、君、魔力切れなんだ」

 帰り道、ロランも急に気がついたらしい。

 家に帰って僕をトランクから出して、クレアに言った。

「お母様、お願いがるんですが」

「あら珍しい。言ってごらんなさい?」

「ルイが魔力切れがひどくて、少し分けてあげられませんか」

「そんなことなの? ええ、いいわよ」

 え……そんなに簡単に了解するの?

「たぶん500くらいあればひと息つくと思うんですが」

「どうせなら必要なだけ持っておゆきなさい。3000くらい大丈夫よ」

「失礼しました、Sランクでしたね」

 クレアからいっぱいに魔力をもらって元気になった。

 ほんと、普通の美人のお母さんだけど、人は見た目じゃないね。

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