第23話 ロラン・ヴァルターシュタイン


 ロランが普通学校を飛び級、1年半早く卒業した。

 9才だよ、本当に子どもだよ?

 そして中等科に進まず魔術学校編入希望。

 本当は11才から入学なんだけど、成績優秀で特例で試験受けられた。

 あっさりパスして魔術学校戦闘科に通い始めた。

 黒っぽくて丈が長い制服に着られてる。

 仕立屋さんは、こんな小さな魔術学校の制服を作ったのは初めてだって。

 実際、ロランは本当に小さいんだよね。

 マリスは「確かに勉強時間が増えていたが……」って呆然としてて。

 クレアは「進級式も入学式も見られなかったわ」って呆然としてて。

 天才としか思えない。

 地道でたゆまぬ努力の真価。

 確かに普通学校の成績はすごくよかったって知ってたけど、よすぎる。

 2学期末試験、中途入学だったのにロランは学年主席。

 でもバレルは普通学校のまま。

 しかも成績がモップみたいに床を這ってるらしい。

 大丈夫なのかな、この格差。

 でもどうしようもないよね、才能と資質と意欲の問題。

 バレルは絶対追いつけない。

 だって全然勉強しないんだもん。

 僕は猫だから詳しくないけど、何か物語を書いてるみたい。

 飛び級して魔術学校に入って、首席で、周囲に褒められて——。

 その先は何となくわかるから、知らなくていいや。

『ねえキース、どう思う?』

 10才のロランは魔術学校の2年生。

 10才のバレルは普通学校の6年生。

 バレルは卒業試験通れないかもって、みんな諦めてる。

 試験通らないと留年で、中等科に進めないって。

『よりよく学ぶ者がより上にゆくのは正しきこと』

『そうなんだけどね……最近バレルの人相怖いよ』

『兄に及ばず悔しいのであれば勉学に励めばよい』

『無理、勉強が苦手なんだよ……好き嫌い以前に』

『才覚の差は埋め難し……諦めるが得策だろうな』

『今は物語を書くのに夢中。飛び級して魔術学校で首席で』

『坊ちゃんの記録か。それもよかろう』

 違うって。

「おいそこ、集中集中」

 あ、訓練中だった。

 けっこう強くなったよ僕。

 やっぱり現場に出ると上がり方が違う。

 魔法はクレアがよく教えてくれるし。

 ……マリスはあんまり教えてくれない。

 だけど、キースには全然及ばないけど、少しはマリスの力になれる。

 午前中いっぱい訓練して、マリスは切り株に座ってお弁当。

 僕らはおやつ。

 僕がチーズでキースは干し肉。

『しかし、あの坊ちゃんが魔術学校で主席とは、感慨深い』

『キースは子どもたちが赤ちゃんの頃から見てるよね』

『うむ。坊ちゃんは赤子の時から聡明を見て取れた』

『そういうのって外に出るよね』

『小柄だがヴァルターシュタイン家を継ぐにふさわしい風格があった』

『みんな長男っていうけど、次男はダメなの?』

『無用な争いを避けるためのしきたり』

 それはステラからも聞いた。

『じゃあ男の子がいなかったら?』

『男児の生まれなかった代はないと聞く』

『不思議だね』

『行いがよいゆえ、天主様の祝福があるやもしれん』

『それはあるかもね。ちゃんとお祈りして、立派な魔術師の家だもん』

「お前たちはどんな話をしているんだい?」

 パリジャンみたいなパンのサンドイッチを頬張りながらマリスが言う。

「ヴァルターシュタイン家の歴史だよ」

「そりゃまた壮大な話だな。500年分だ。後で家系図を見せてやろう」

「それもいいけど、明日出発の討伐の話は?」

「ああ、そうだった。そっちが先だな」

 シティから80キロ離れた村にオークが何体も出るって。

 村にも自警団はあるけど手に負えないって。

 自警団じゃ無理だと思うよ、あいつら。

 それで討伐依頼が来て、マリスはパーティに招かれた。

 まだ若いDランクのパーティ。

 人材育成だ。

 オークは身長2メートル以上で豚みたいな顔。群れで行動してる。

 人間みたいに後ろ足で立ってる。

 時々こん棒持ってるやつがいて殴りかかってくる。

 知能低い。好戦的でかなり凶暴。問答無用。

 オークを1匹倒すと金貨が1枚。いつも同じじゃないそうだけど。

 依頼主とギルドの交渉次第。

 今回の契約は1匹につき金貨1枚。

 村は1匹に金貨1枚に銀貨数枚くらい払ってるんだろうな。

 ギルドの取り分があるから。

 翌日、マリスは動きやすそうな鎧を着て出かける準備。

 相手は魔法なしのパワー勝負。ローブは危ない。

 いつもの魔術師の服なら、腕に飛びつけるのに。

 左腕の肩から手首まで、バックスキンのアームガード。

 僕が飛びつくと、抱っこしてもらえるし肩にも登れる。

 ブンって振ってくれたら大きな敵に飛びつけたり、至近距離で魔法使えたり。

 気持ちよくて便利で大好きだ、アームガード。

 でも今日は鎧。

「あれ? いつもと違うね。新しくしたの?」

「いつものは修理中」

 あ、そうだ。脚のとこ傷が入っちゃったんだよね。

 いつ何があるかわからないから、武具の手入れは入念に。

「これは大昔、初代が王様から下賜されたミスラルの鎧だ」

「ミスラルって何?」

「鉄よりもずっと軽くて頑丈だ。魔法耐性もあるんだぞ」

「いつも使えばいいのに」

「家宝だぞ、おいそれとは着けられないよ」

「僕が雷を落としても大丈夫?」

「私を殺す気かお前。さすがにそこまでは頑丈じゃない」

 そうして僕たちは馬車で目的の村に行った。

 村の周辺にオークが群れを作ってた。

 20匹くらいいる。

「何体ってレベルじゃないよこりゃ」

「きっついわー、何このオーダーミス」

「見分けつかないからしょうがないけど、これはひどい」

「マリスさんがいなかったら即行敗走だったぞ」

 想定は10匹以下で、6人とバディで一気にたたみかけるはずだった。

 でも数のミスはよくあること。

 見かけの数でオーダーしてくるなんてしょっちゅうだよ。

「さすがにひとり3匹ノルマは厳しいな」

「でもここまで来て背中を見せる方が危険だぞ」

「あいつら食欲旺盛だもんな……」

「キースに攻撃補助を連続してかけてもらおう。ルイ、出られるかい?」

 バディや仮契約魔獣は、サインで作戦を理解する……と人間には思われてる。

「雷魔法で集団の中心を崩して、パニックになった奴らを叩くぞ。短時間で決める」

「仲間に損害が出ない範囲で派手にやってください、マリスさん」

「ん。みんなは雷が落ちるまで待機、一気に攻めるぞ」

 つまり僕が何匹潰すかでみんなの負担が変わるんだ。

 誰も死んでほしくない。みんなで笑顔で帰りたい。

 まったく警戒してなかったオークの群れに雷魔法を落とした。

 何匹潰れたかは目視できない。

 でも、当たらなかったやつらがパニックになって散り散り。

 戦いの始まりだ!

 キースの強い攻撃補助魔法で、みんなの攻撃力は5割以上上がってる。

 僕は足下に走っていって真上に近いところに爪を振るう。

 そうすると喉がバッサリ切れて、血を噴きながら倒れる。

 返り血が飛んでくるのは嫌だけど、僕は小さいから、これが一番効率的なんだ。

 他の人のバディも魔法や攻撃で戦ってる。

 大きめの丸っこい犬……ブルドッグ? がすごい。

 オークの首を噛んで動けなくするほど強い。

 あれはさすがに僕には永遠にできない技です……。

 みんなで一気に相手を崩して、あと3匹くらいの時。

 パーティのひとりが石を踏んであお向けに転んでしまった。

 もちろん敵が見逃すはずはない。

 ダメだ、やられる……助けたい!

 近すぎて魔法を使ったら道連れになる。

 瞬間移動で連れて逃げ——。

 倒れた仲間に、近くにいたマリスが駆け寄って、オークが狙いを変えて、手を……手をマリスに伸ばして、首を——。

 鈍い音がした。

 持ち上げられてぶら下がったマリスの体には、全然力がなかった……。

 オークはそれを乱暴に投げ捨てた。

 マリスの首は壊れた人形みたいに、変な方向に向いてた……。

 そこで記憶が途切れてる。

 気がつくと僕の前にオークはいなかった。

 周辺に人が両手で包めるくらいの肉の塊が散乱してた。

 ああ、僕がやったんだ……みんな爪で切り裂いたんだ。

 こんなに小さな肉片になるまで。

 体に何か被ってるみたい。

 重くて生臭い……全身にオークの返り血を浴びてた。

 顎の先やお腹から、ポタポタ血が垂れてる。

 今の僕は、血まみれの黒猫。

 魔物と変わらない、今の僕は。

 マリスに言われていたのに……。

 冷静でなきゃいけないって言われてたのに……言いつけを破っちゃった……。

 僕を叱ってよマリス、いつもみたいに。

「それじゃあダメだ、お前もまだまだだ」って、頭をなでてよ……。

 3匹分減った討伐証明を持って、僕たちは馬車でホームに帰った。

 無言のマリスを連れて。

 ちゃんと、ときどきアイスブレスを使って。

 大切なマリスを、大切な家族の元へ。

 クレアはしばらく呆然としてて、そして大声で泣き崩れた。

 何度も名前を呼んで、起きてって繰り返して。

 ごめんなさい、僕はあなたの大切な人を守れなかった。

 バレルにとっては他人事らしい。

 ロランは必死で涙をこらえてた。絶対泣かないって顔だった。

 大好きな人なのに、こんな形で対面なんて。

 ごめんね、クレア、ロラン……僕が悪いんだ。

 あそこで正気を失わなかったら。

 すぐに治療したら。

 もしかしたら、神聖魔法なら間に合ったかもしれなかったんだ。

 僕のせいなんだ……言いつけを破ったから、だから……。

 棺に入れられたマリスは3日間家にいて、それからお葬式。

 みんな黒い服を着て、キースも黒いローブをかけられてた。

 僕はもともと黒猫だから。

 ステラの時と同じくらい、とてもたくさんの人がお別れに来てくれた。

 もちろんヴァルターシュタイン家の分家、一族も。

 参列の人はみんな泣いてるのに、クレアもロランも泣かなかった。

 人前では。

 バレルは家にいてもほんとに涙の一粒も流さない。

 たまにひとりで不気味に薄ら笑いしてる。

 お父さんが死んだのに、何を考えてるんだろ……。

 司祭様がお祈りをして、棺を墓地に埋めた。

 参列者への挨拶はロランがした。

 第18代当主、ロラン・ヴァルターシュタイン。

 たった10才で。

 普通は未成年の当主には先代の弟が後見人するみたい。

 次男とか。

 でもマリスはひとりっ子、ロランの後見人になれる人がいなかった。

 遠縁の人が何人か名乗り出たけど、クレアが断った。

 そんなの胡散臭いって猫でもわかる。

 家のしきたりは知ってるはずなんだから。

 依頼があるならまだしも、名乗って出るなんて怪しさ満点。

 ロランはまだ子どもで後継者いないもん。

 彼に何かあったら、得をするのは誰でしょう?

 それにロランは下手な大人よりしっかりしてる。

 お葬式の後、僕とキースはマリスの部屋で話した。

『キースはどうするの? 誰かのバディになる?』

『……しばらく考えたい……マリス以上のバディがいるとは思えん』

『だよね……僕もそう思う』

 人格も実力も本当に優れてた。

 ヴァルターシュタイン家の当主として、本当に立派な人だった。

『お前はどうするのだ』

『頭の中がグチャグチャだよ……』

『よほどの者でなくば、お前とバディなど組めぬぞ。コールサルトの力は凄まじい』

『キース……僕は恐ろしかった?』

『——恐ろしかった。血が凍ったのは初めてだ』

『自分でも怖いと思ってる……ひとりじゃダメだ、僕は……でも……』

 主がいなくなった部屋にロランが来た。

「やっぱりここだったね、君たち」

 幼くても当主なんだね、君は。

 こんな時でさえ落ち着いてる。僕らはまだうろたえてるのに。

 でもマリスもそうだった。ステラが死んで悲しいけど落ち着いてた。

 ヴァルターシュタイン家の当主って、すごいんだな。

 ステラは当主じゃなかったけど……長老?

「ルイ、通訳できるかな?」

 話しかけられた。

「お父様の僕宛の遺言状に、ルイは人と話せるって書かれていたんだ」

「……うん、話せるよ、ロラン」

「キースに伝えてほしいんだ」

「なあに?」

「お父様の親友ハリス氏が先日バディを亡くされた」

 可哀想に……バディが死ぬと、みんな肉親みたいに悲しむんだ。

「鷲で、レイルって強い子だった」

 キースは知ってた。

「もし嫌でなければキースに行ってほしい。猛禽一筋の方なんだ」

 キースがいなくなるの?!

「もちろんちゃんと相性を確認してから」

 キースは急な話に戸惑ってる。

『ハリス氏はよく知っておる、レイルとも親しかった、が……』

「親しい人だけど今は決められないみたい」

「急がなくていいよ、ちゃんと考えてから」

 うん、すぐになんて決められない。

「——それと、ルイには、できればこの家に残ってほしい」

 僕?

 確かに僕もこの先どうしたらいいのか、途方に暮れてるけど……。

「僕のわがままでしかないけれど……君が嫌でなければ……」

 ロランは静かに目を閉じて、続きを言った。

「僕が魔術師になれたら、バディになってほしいんだ」

 ——僕がバディになるの?

 ロランの?

「君も答えは急がなくていいよ」

 とても穏やか顔と声。

 まだ子どもなのに。

 ——違う。

 子どもなのに、フレイヤ様に命を賭けてって言ってくれた。

 ここで預からせてくださいって。

「お父様が亡くなった直後だし、ショックが大きいと思う」

 自分だって悲しいのに、魔獣まで労る君。

「ゆっくり癒やして、それから決めよう」

 ロランはそう言ったけど。

 だけど——。

「……僕、言わなくちゃいけないことがあるんだ」

「何だい?」

 いざとなると言いづらい……いくらロランだって怒る、きっと。

 でも隠してるのは辛い。

「……マリスが死んだのは僕のせいなんだ」

「どうして?」

 ロランの口調は変わらない。

「取り乱してオークなんか殺していないで……すぐにマリスの治療をしたら、神聖魔法なら……」

 ルイ、って僕に呼びかけた声はとても優しかった。

「君も当然知っているはず。即死っていうのはね、文字通り、即死なんだ」

 そうだよ、知ってるけど……。

「死んだら神聖魔法は効かない。常識だよ」

「…………」

 死は神様の領域だから、生者は何もできない。

 ときどき、死者が生き返るって言う人がいる。

 でも違うんだ。死にかけていただけで死んでなかったんだ。

 マリスは一瞬で死んじゃったのかな?

 僕は無力だったのかな?

「検死をされた先生は即死と仰った」

「……うん」

「首の骨が砕けて神経も切れてしまっていた……苦しまなかったよって言ってくださった」

「マリスは辛くなかった……?」

 ロランは小さくうなずいて、僕をなでた。

「先代当主は仲間をかばって名誉の戦死をされた。これだけが事実なんだ」

 先代……名誉の戦死……。

 ステラの旦那さんも、マリスのお父さんも。

 マリスも。

 これがヴァルターシュタイン家の当主の生き方なんだ。

「誰のせいでもない。パーティメンバーにも君にも、責任なんてまったくない」

 10才とは思えないよ、君。

 たった10才なのに、もう当主なんだね。

 そうだ……僕はこの子を、ロランを守らなくちゃ。

 今度こそ絶対に守らなくちゃ。

 お父さんを守ってあげられなかったのに、ロランは僕を信じてくれるんだ。

 君は僕に命を賭けてくれた。

 応えるよ。その想いに。

「何があっても必ず僕が守るから、君は安心して魔術師になって」

 ロランはちょっと笑顔になって、僕をなでてくれた。

「ありがとう。一生懸命頑張るよ」

 翌日、ロランがクレアに伝えたら、とても喜んでくれた。

 僕は正式にロランのバディ予定魔獣として、魔獣管理局に登録された。

 そしてヴァルターシュタイン家の居候になった。

 ——仕事は、ない。

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