第9話 降臨


 おやつの時間が済んだら、ロランは部屋から〝あれ〟を持って来た。

 僕が大好きな、あれ。

「ルイ、ねこじゃらししよう」

 望むところ!

 ロランは勉強ばっかりしてるけど、毎日必ず、猫じゃらしで僕と遊んでくれるんだ。

 時間は短いけど、すごく楽しい。

 子どもなのにすごく上手なんだ。意外と強敵。

 猫じゃらしの天才だ。

「きょうも、ぼくがかつからね」

 絶対勝つ。3連敗してるんだ。

 猫のプライドにかけて、今日は負けられない!

 タイマーは5分、絨毯の上に座ったロランと、いざ勝負!

 今日も熱い戦いだ。

 走り回って飛んで跳ねて、でもやっぱり捕まらない。

 あんまり捕まらないと、ちょっとつまんなくなる。

「なあにルイ、もうこうさん?」

 って言いながら、僕の視界のギリギリのところで、猫じゃらしの先がチラチラ揺れてる。

 どうしてもウズウズして、やっぱり飛びついてしまうんだけど……。

 やってしまった。

 勝ちたすぎて、勢い余ってロランの手の甲を引っかいちゃった!

 赤い筋が2本できて、血が出てきた。

 どうしよう、猫の爪の傷はずっと痕が残るって、向こうのお父さんが言ってた。

 どうしよう、ロランの手に痕が残っちゃう。

 ロランは傷をもう片方の手で覆って、苦笑した。

「こうさん。めいよのふしょうだ」

 そんな場合じゃないよ! 血が出てたじゃないか!

 思わず、ロランが重ねた手に前足を片方乗せた。

 心配だったから。

 そうしたら僕の前足がふわっと柔らかく光って、ロランの手を覆った。

 ロランが不思議そうな顔をして、重ねてた手を放した。

 重ねた手には血がついてた。

 右手の甲には——傷がなかった。

 何で? 確かに僕が引っかいた傷があったのに!

「お……おかあさま……」

 うろたえたようなロランの声がクレアに届いて、こっちに来た。

「どうしたの? ルイに引っかかれてしまった?」

「ひっかかれたんですけど……」

「すぐに手当をしなくちゃ」

「きずが……きえてしまいました……」

 えっ? って小さく言って、クレアはロランの前に膝をついた。

「血が出てるわ」

「さっきはいたかったけど、ルイがさわったら、いたくなくなって……」

 ちょっとの間、クレアは呆然として、急に僕の方に体を向けた。

 叱られる!

 でもクレアは僕を叱らなくて、視線は目に向いてるんだけど、目は見てない。

 ステラがときどきやる、ステータス確認っていうのだ。

「……ロックがかかっていたんだわ」

 ロックって何?

「火魔法、氷魔法、風魔法、雷魔法、重力魔法、衝撃魔法、転移魔法、補助魔法……神聖魔法」

 魔法?

 ステラが何があるかわからないって言ってたけど、そんなにあるの?

「スキルは万能結界、契約強制解除……魔力移動って何かしら……」

 クレアとロランの様子を見に、バレルがそーっと近づいて来た。

 そうしたら、僕の近くが柔らかく光ったんだ。

「わたくしの眷族、わたくしの愛しい子」

 この声……フレイヤ様だ!

 しばらく周りがしんとして、絨毯に座ってたロランが急にお尻を上げて片膝をついて頭を下げた。

 クレアは跪いて視線を下げて両手の指を組んで胸元に置いてる。

 その手が震えてる。

 ロランもだ。震えてる。

 どうして? フレイヤ様はお優しいのに。

「あなたはもう大事にしたい人を見つけたのね」

「はい! この家の前に僕を送ってくださったんですね」

「そうよ、今はここがもっとも、あなたが幸せになれる場所と思ったの」

「幸せです、みんな優しくて大好きです」

 一応そう言ったけど……ひとり嫌な奴がいるけどさ。

 そこで、ボーッと突っ立ってるけど。

 フレイヤ様の視線が僕から少し離れた。

「ヴァルターシュタインの者たち」

 クレアとロランがもっと頭を下げた。

「わたくしはフレイヤ。豊穣を司り、猫を守護する女神」

 ロランがちょっとだけクレアを見たけど、違うって感じで小さく頭を振った。

「フレイヤさま、おそれおおくも、ごこうりんいただいて、かんしゃいたします」

 すごい……こんな子どもなのに、ちゃんとご挨拶できてる。

 フレイヤ様は微笑まれてる。優しいお顔。

「聡い子よ、名は?」

 意味はわからなくても自分に声が向いてるからね、返事はできる。

「は、はい、ロラン・ヴァルターシュタインともうします」

「ヴァルターシュタインは、わたくしの眷族を受け入れますか? 受け入れなくてもかまいません。強制はしません」

 ロランがビクってなって、顔を上げた。

 そしてあわてて、また頭を下げた。

「うけいれます、このいえで、おあずかりさせてください! たいせつにします、ぼくのいのちにかけて、おちかいいたします。うそだとおおもいになられたら、いつでも、ぼくのいのちを、おめしあげください」

 フレイヤ様、とっても満足そうな笑顔。

「わたくしは、正しい子とこの家の者たちを祝福します」

「も……もったいないおことば、ありがとうございます」

「ただし、我が眷族を足蹴にした者には罰を与えます」

 ロランは一瞬迷った素振りだったけど、すぐに答えた。

「みこころのままに」

 フレイヤ様はほんの少しうなずいて、僕を見てくださった。

「わたくしの眷族、愛しい子、困った時はわたくしを呼んで頂戴ね」

「はい!」

「世界一幸せな猫になってね」

 そう仰ると、優しい微笑みを残して、お姿は消えてしまった。

 もっと一緒にいたかったのに。

 お姿が消えてちょっと経ったら、クレアは絨毯に両手をついて、ロランはそのまま横にぱたんって倒れてしまった。

「立派だったわ、ロラン……よくできたわ……あなたこそ次期当主」

「おとうさまが……みおしえのごほんを、いつもよんでくださっていたから……」

「大人でも咄嗟にできることではないわ」

 そしてクレアは少しだけ後ろを見た。

 ぼんやり立ったままだったバレル。

「あなたは、お父様が御教えを説いてくださる時間、何をしていたの……?」

 声、硬い。

 ——クレア、本当に怒ってる。

 バレルが何もしなかったから。

 女神様のご降臨に、手を組むことさえしなかったから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る