第3話 契約


 クレアは毎日、柔らかく煮た肉とミルクをくれて、笑顔でなでてくれる。

 お父様はマリス。僕を見るたびに腕を組んで悩んでる。

 男の子が僕のしっぽを握って引っ張ったら、急にひっくり返って固まった。

 ビックリしたんだ。

 お母さんが来て、男の子の頭をなでた。

「ロラン、猫ちゃんを驚かせちゃいけないよ、優しくしておあげ」

 ビックリしたのはロランの方だよ、お母さん。

「ごめんなさい、おばあさま」

 子どもたちはお母さんをおばあ様って呼ぶ。

 だからこの家にはお父様とお母様とおばあ様、子どもがふたり。

 マリスとクレアとロランとバレル。おばあ様は名前がわからない。

「強くすると、バレルみたいに飛ばされてケガをするからね」

 知ってる、小さな子は悪気なしてやってしまうんだ。

 前の世界で何度もされたよ。

 小さな子は力の加減がわからないから、仕方ない。

 でも……何とかならないかな。子どもにケガなんてさせたくないよ。

 夜、みんなが寝静まった頃、僕はフレイヤ様に呼びかけた。

 すぐにお姿を現してくださった。

「しっぽをつかんだ子どもを転ばせてしまいました」

「結界ね。魔法も力も利かない、あなたを守るシールド」

「僕は子どもにケガさせたり、したくないです」

「それは、あなたがちゃんと制御できるのよ」

「どうしたらいいですか?」

「すぐに慣れるわ。大丈夫よ」

 フレイヤ様がおっしゃった通りだった。

 ちょっと気をつけるようにしてたら自然に慣れた。

 この家はみんなとても優しくて、居心地がよかった。

 ただ、もうひとり男の子がいるんだけど、絶対に僕に近づかない。

 記憶がないけど、僕に弾き飛ばされた子らしい。

 バレル。ロランの兄弟。

 マリスと同じ、ちょっとくせ毛の黒い髪、こげ茶色の目。

 でも……この家の人はみんな顔立ちが整ってるのに、この子だけ残念な顔。

 髪と目と、ちょっと骨格の感じがマリスの遺伝かな。

 怯えた目で僕を見てる。

 気にしない。僕もちょっと気分悪いから。

 倒れてる子猫を蹴ろうなんて、何を考えてるんだろう。

「ここへおいで」

 お母さんの部屋。彼女は僕を膝に乗せて、なでてくれた。

「このヴァルターシュタイン家はね、代々魔術師の家なのさ」

 魔術師って、箒に乗って飛んでゲームをするの?

「あたしは魔法を使って薬を作ったり、病気の手当てをする回復術士」

 お医者さんみたいな?

「他にも装備や道具を作る技術魔術師」

 何か作るんだね。

「人間に害になる魔物を討伐する戦闘魔術師」

 ふうん、魔術師は専門があるんだ。

「昨日からマリスがいないだろう?」

 そういえば朝出かけて夜帰って来なかった。

「冒険者の仲間と一緒に魔物討伐に出かけているんだ」

 そうなんだ、仕事に行ってるんだ。

 魔物……怪獣とか、そんな感じかな。怖いな。

 倒してくれるヒーローとかいないのかな?

 僕の世界にはいたけど。

「お前は野良猫だからねえ」

 みんな自由猫っていうけど、それってやっぱり野良猫のことなの?

 野良猫かあ……幸せどころか苦労の連続決定だ。

 ゴミを漁ったり雨水を飲んだり、嫌だなあ。

「たとえば、もしお前がうちの子になると、野良猫じゃなくなるよ」

 飼ってくれるの?

「お前は神様のご加護がある子。あたしの手伝いをしてもいい、何もしなくてもいい。愛玩動物になるか魔獣になるか、自由に選んでいいんだ。神様の思し召しだ」

 遊んで暮らす……前はそうだった。

 でも、僕はずっとこの世界で生きていくんだし。

 この世界の決まりを覚えて守らなくちゃ。

「ねえ、お母さん」

 ——。

 あ、僕、人間の言葉しゃべった?!

 どうしてだろ?

 でも僕がしゃべっても、お母さんはまったく驚かない。

 普通にずっとなでててくれる。

 当の僕が驚いてるのに。

 きっと、ものすごく落ち着いてる人なんだ。

「驚いたねえ、お前はお話ができるのかい。神様が言葉をくださったんだね」

 全然驚いてないじゃん。

「できるみたい……今ビックリしてる」

「どうりで人の話がわかるような仕草をするわけだ」

「痛いのはもう嫌だけど、死なないってフレイヤ様がおっしゃったよ」

「フレイヤ様のご加護だったのかい。美しい女神様だろう?」

「うん、すごく綺麗で優しい女神様だよ」

「そうかい、あたしは肖像画しか拝見してないが、美しい方だ」

「僕は純黒の猫で、そのせいで人間に殺されてしまったんだ」

 お母さんは小さな声で、コールサルト、って呟いた。

「ああ、子猫を殺すなんて、何てことをするんだろう、可哀想に」

「フレイヤ様もそうおっしゃって、安心して暮らせる世界に案内してくださったんだ」

「うんうん、この世界ではみんな黒猫が大好きだ」

「そういえばみんな、僕が黒猫だって喜んでた」

「それにね、魔力があるから魔術師も冒険者もみんな黒猫をバディにしたいんだ。ましてコールサルトなんて、こりゃあ大ごとだよ」

「フレイヤ様も仰ってた、コールサルトって」

「幻獣、幻の猫だ。魔獣屈指の魔法使いさ。みんな猫とドラゴンのハーフだとか言ってるけどね。こりゃあますます、誰もがバディに欲しがるよ」

「バディって何?」

「相棒だよ。ほとんどの魔術師と冒険者は相棒の魔獣と契約してる」

「飼い主?」

「違うよ。特にマリスみたいな戦闘魔術師にとってはね」

「特別なことをするの?」

「お互いの命を預け合って預かり合う、とても強い絆を紡ぐ相棒だ」

「じゃあ強いバディがいないとダメだね」

「お前はコールサルトだから、どんな魔物だってやっつけるさ」

「でもごめん……僕は何もできないよ」

「今はまだ何もできなくても、お前は必ず強くなるよ」

「お母さんも僕が欲しいの?」

「そりゃあもう、喉から手が出るほど欲しいさ。手伝ってほしいねえ」

 笑顔。僕が大好きなおばあ様。

「でも、決めるのはお前」

 欲しいなら自分のものにしちゃえばいいのに、しない。

「女神様のご加護のもと、この世界で自由に生きていいんだよ」

 正直な人なんだなって思う。

 都合の悪いことも本心も、何も迷わずに話してくれる。

「もしバディになるなら、契約っていうのをしなきゃならない。一緒に働くって約束だ」

 約束……守るやつだね、元の世界のお父さんが言ってた。

「これは契約者が死んだら自然になくなる」

 死んじゃうなんて悲しいよ。

「また誰かと契約してもいいし、自由なままでもいい。すべてお前の意思のまま」

 手伝い……仕事だね。

 猫は仕事なんて考えたことがない。ほとんどの動物がそうだと思う。

 犬は紐で繋いだ人間を歩かせてるから、それが仕事かな。

 鳥は自由に飛んでいるし、猫たちも思うままに生きてる。

 でも、僕は人間が好き。

 殺した奴らは許さないけど、僕のそばにいた人間はみんな優しかった。

 独りぼっちは悲しい。

 ずっとずっと独りぼっちなんて悲しすぎる。

「お母さん、僕は手伝いをしてみたいけど、したことがないんだ」

「まだ子猫だし、そりゃあそうさ」

「できるかどうか自信がないよ」

「大丈夫さ。あたしと契約してみるかい?」

「うん、僕はお母さんが好き」

「じゃあ仮契約をしよう。お試しさ。あたしにはもうバディがいるから、二重契約はできないけどね」

 ふうん、バディは1匹だけなんだ。

「うん、僕はお母さんと契約する」

「よし、じゃあ仮契約だ。あたしは老い先短いから、すぐ自由になれるよ」

「嫌だよ、元気でいてよ」

 うんうんってうなずいて、おばあ様は言った。

「お前の名前は、ルイでいいかい?」

 元の名前はシャルムだったけど……僕はこれからこの世界で生きていくから。

「僕が住んでた国の王様の名前だ。カッコいいね」

「王様? そりゃコールサルトのお前にピッタリだ」

 おばあ様は机の抽斗を開けて、すごく小さな輪と、小さくて細い箱を出した。

 輪は銀色で、すごく濃い青色の宝石がついてる。

 箱には細い針が入ってた。

 持ち手がついてて、とっても丁寧な細工がしてある。

 芸術品? みたい。

 そして左手の中指をほんの少し刺した。

 ちょっとだけ血が出て、それを僕の口元に差し出した。

「ルイ、これをお舐め。でないと縁(えにし)が繋がらないんだ」

 ほんのわずかな血を舐めた。

「お前の肉球にほんの少し傷をつけるよ? すぐに治してあげるからね」

 おばあ様は僕の血を舐めて、手で前足を包んだ。

「ルイとステラ、我ら今ここに縁を結びて共にあらん」

 体がふわっと温かくなって、とても気持ちよかった。

 ステラっていうんだね。ステキな名前。

 ステラは指先でつまむくらい小さな輪を、僕の左耳の下に軽く押し当てた。

 あ、ちゃんとはまってる、輪っか。

「これはヴァルターシュタイン家の子だって証さ。冒険者も魔術師もすぐにわかるよ」

「ありがとう。迷っても助けてもらえるんだね」

 そう言ったらステラは笑顔でいっぱいになった。

「いい子だね、ルイ。お前はいい子だ」

 僕を抱き上げて、ステラが頬ずりしてくれる。

 気持ちいい。頬ずりなんて久しぶりだ。

「こんなに綺麗で賢くて可愛い子が来てくれたなんて、あたしは果報者だ」

 この世界はフレイヤ様が仰ったように、僕には優しいところなのかもしれない。

 魔獣管理局? っていうところに馬車で行って、僕はルイって名前でステラの仮契約魔獣って登録された。

 僕はこの世界で生きていく。

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