3
翌日の夕暮れ時、唯と和人は最寄りの図書館で勉強をしていた。
「そろそろ閉館時刻かな」
時計の針は6時半を指し示している。もういい時間だ。そろそろ帰らなければならない。
「帰ろうか」
二人は荷物を片付け帰路に就いた。
こつこつ、こつこつ。唯は時間を惜しんで、和人は唯を気遣ってゆっくりとした歩調で進む。
「この辺懐かしいね」
昨日見た夢のせいか、唯は自然と小さな頃によく通った道を選んでいた。夢に見た公園も少し先に行けばある。
「結構変わってるから所々わかんないな。下の公園とかジャングルジム無くなったぞ」
「え!ほんとに!?」
「うん」
下の公園というのは例の公園の事だ。正式名称ではなく坂を下ると着くから下の公園と子供たちの間で呼ばれていた。
「そっか……もう10年近く経ったもんね」
公園の安全化が叫ばれて久しい昨今、公園の遊具はそのほとんどが安全性に配慮されたものに変更されている。しかしそれはそれとして、幼少期の想い出の場所が変わっていくのはどこか寂しくなる。
「ねぇ、久しぶりに行ってみない?」
遅くなるまえに帰れと両親に忠告されたばかりではあるが、連絡は入れたし、何より和人がいる。少しぐらい遅れても大丈夫だろう。
2人は寄り道をする事に決め、家とは反対の方向に足を進めた。
2人並んでブランコに乗る。乗ると言ってもこの年で全力でブランコを漕ぐのも躊躇われ、ほぼ座っているだけだ。ぎいぎいと金属がこすれる音が鳴る。
ふいにあの夢を思い出す。あれがあったのもこの公園で、今と同じような夕日が差し込んでいた。
「昔さ」
和人が懐かしむように口を開く。
「昔、唯が喧嘩してたのもこのぐらいの暗さだったよな」
唯は首を傾げる。怒られた記憶はあるが喧嘩した覚えはない。誰かと勘違いしているのだろうか。だとしたら少し不満だ。
「喧嘩なんてした覚えないけど」
そう言うと和人はえっ、と声を上げ驚いた様子だ。もしかして覚えてないだけで本当にあったのだろうか。
「覚えてないのか?ベンチの辺りでさ唯が女の子に囲まれて、皆して唯を責めるけど唯は全然認めないの。私は間違ってないって。あれ見てこいつかっこいいなと思ったんだよな」
……嘘、嘘。
唯の心は驚きで満たされていた。和人はあんな事なんて覚えてないと思っていた。十年近く前の一瞬の出来事。自分にとっては大事でも和人にとってはどうだっていい日常の一部だと思い込んでいた。
「かっこいいって……。私、黙り込んでただけだし。その後助けに来てくれた和人の方がよっぽどかっこよかったよ」
唯はなんとか言葉を絞り出す。本当は覚えていてくれて嬉しいのに口から出てくるのはそっけない言葉ばかり。和人の顔が見れない。
「黙り込んでただけじゃないでしょ。あんな集団に囲まれて本当は怖いはずなのに、自分が間違っていないと思えば絶対に認めない。そういうのは誰でも出来る事じゃない。それに唯、あの時ほんとは怒ってたのに相手に自分の意見を押し付けなかった。思い出せば思い出すほど小学生に出来る事じゃない。俺なんか間に割って入って唯を連れて逃げただけだ」
そうだった……。私、あの時怒ってたんだ。
囲まれた恐怖や否定されたトラウマが 豈呈ッ の様に心にしみ込んであの時の感情を見失っていた。あんなふうに集団で気持ちを 蜷ヲ螳 されて。変だ、 豌玲戟縺。謔ェ縺 なんて言われるのはおかしい。そう思っていたはずなのに何時しか自分がおかしいんだと思い込んでいた。
「唯はさ、かっこいいんだよずっと。俺たちの世代はこうしろこうやれってのに従って生きてるだろ。色々規制されて、でもそれが当然でそうじゃなきゃ駄目だと皆思ってる。俺は唯とずっと一緒だったからなんとなく唯寄りだけど、それでも皆と同じような考え方をしてる」
「そんな事ないよ」
そんな事ない。私はずっと怯えてただけだ。怖がって、逃げて、だから今まで和人に 蜻顔區 してこなかった。
かっこいいのは和人だ。あの時助けてくれた事もそうだけど、私は何度も和人に助けられている。人を 蜷ヲ螳 しないのだって和人がそうだからそうしてるだけ。
和人は私のヒーローだ。
「かっこいいのは和人だって。あの時の事、連れて逃げただけって言うけど私はそれが嬉しかった。他にも人は沢山いたけど皆遠巻きに眺めるだけで助けてくれなかった」
きっと私ひとりじゃ気づけなかった。周りの意見に押しつぶされて自分の意見なんて無くなっていただろう。優しい家族がいたから、私を受け入れてくれる和人がいたから、私は私を見失わないでいられた。
伝えたい。私を助けてくれた和人に。世間がどうとか普通はどうとかじゃなくて、私の気持ちを私が伝えたいように伝えたい。
「ねぇ、和人」
和人が目を合わせてくる。顔が熱くなり、手に汗がにじむ。呼吸が浅くて喉が少し痛い。
――でも、止まりたくない。
「私、和人の事が好き。ずっとずっと█き」
言った。言ってしまった。目を合わせられなかった。和人はどんな顔をどんな顔をしているだろうか。
ざっざっと砂を踏む足音がする。正面に周っているようだ。
「唯……」
真剣な声。自然と唯に緊張が走る。返事はどうだろうか。意気揚々と██したのに返事を聞きたくない、いや聞きたい。
「唯、こっちを向いてくれ」
肩に手を添えられた。大きな手だ。小さな頃に何度も繋いだあの手と同じとは思えない。
だが今その手が震えていることに気が付いた。
和人も緊張しているんだ。私はそれに答えなければならない。
「うん……」
ゆっくりと顔を上げる。
和人の顔だ。好きな人の顔だ。
和人の顔は夕日のせいかほのかに赤く色づき、その目はしっかりと唯を見据えていた。
「唯。俺も唯の事が好█だ」
……。今好きって。
「本当……?」
声が震えているのが自分でもわかる。
「当たり前だろこんな時に嘘つくかよ」
「でも、だって……。こんな██の仕方……」
違う。こんな事が言いたいんじゃない。██って言ってくれたんだから喜べばいいだけなのに。
「唯らしくていいじゃないか。というか本当は俺からしたかった」
あぁそうだ。和人なら私の事を受け止めてくれる。
世の中がどうとかじゃないんだ。さっき気づかせてくれたばかりなのにもう忘れてしまう所だった。
「うん、そうだね。じゃあ和人からもして?」
私は私らしく。世の中に合わせるんじゃなく自分たちが幸せに生きるために。
「██だ、唯。俺と付き合ってくれ」
「……ありがとう。こちらこそよろしくね?」
たとえ周りから██されようとも、私たちは変わらないでいよう。
私たちはずっと叫び続ける。伝え続ける。
貴方に届ける██を。
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████████
――――――――――――――*
高校からの帰路を唯と和人は2人で歩く。少し遅い時間のせいか人通りは少ない。道端のポスターが2人を見つめる以外には、沈みゆく太陽が道のりを淡く照らしているだけだ。
すたすた、すたすた。唯は時間を惜しんで、和人は早く帰宅したいという思いで足早に進む。
「じゃね」
ようやく家についた。早く部屋でゆっくりしたい。
「じゃ」
唯はぞんざいに挨拶をして自宅の扉に手をかけた。
「……?」
その時唯はずんっ、と腕が重くなっているように感じた。なんだろうこの気持ちは帰りたくないような、なんというか……。
なんだか和人の顔を見たくなって、唯は隣にある和人の家の方向を見た。
「ねぇ、かずっ……」
和人は既にいなかった。しかしそれに気づくと同時に腕の重さも消え去った。
「まぁいいか」
疲れているのだろう。早く温かいお風呂に入ろう。
唯は自宅の扉を開き、以後この出来事を思い出す事も無かった。
貴方に届ける恋心(検閲済み) ゼン @e_zen
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