人の心を支えるもの

「気持ち悪い…。」


あれから数週間後、アスカは謎の体調不良に悩まされていた。


「大丈夫?最近無理しすぎなんだよ。色々な人と魔法と科学で何か出来ないかって、魔法使い続けてるの知ってるよ。」


アーシファがアスカの背中をさする。


「なんか鼻が敏感になっちゃってんの。今までなら平気だった揚げ物の匂いも辛くって。…あたい、犬にでも取り憑かれたかな。」


アスカは、平気だ、と笑った。

しかし、最近のアスカの顔色の悪さにアーシファは気づいていた。

無理しすぎてるから休ませなきゃと思うが、前を向いている時のアスカは大丈夫だの一点張り。

もっと自分を大切にしてほしいと、アーシファは思っていた。


「今日は絶対に休んでて!私も今日はトルクさん家に行く必要はないから!ずっと見張っててやる!」


今日のアーシファは絶対に負けるつもりはなかった。

無理やりにアスカを引っ張り、自分達が使わせてもらっている空き家に意地でも移動する。


「わかった、わかったから。ちゃんと自分で歩くから。」


アスカはあまりの力強さにたじろんでしまい、今日はアーシファの言う事を聞かなきゃいけないか、と観念した。

最近はお互いにゆっくり話す時間も持てなかった。

アーシファが今どうしてるのかゆっくり聞かせてもらうのも良いかと思った。

しかし、なんともいえない胃の不快感が常時アスカの中にある。

無茶食いをした記憶もないし、無理しすぎたのかなと歩きながら少し反省した。


部屋につくなり、すぐに寝巻きに着替えさせられ寝かしつけられるアスカ。

ずっと見張ってるとばかりに、アーシファはベッドのすぐ横に椅子を運んできた。


「なに、怖いんだけど。」


アスカはなんだか嬉しくて笑ってしまった。

最近どうしてるの?

と、アーシファに尋ねると、アーシファは昼間トルク家での話を聞かせてくれた。

科学者さん達の中には、

一度考え込むと誰の言葉も耳に入らなくなる人。

とにかくやってみろ精神で失敗を繰り返し学ぶ人。

すぐに喧嘩になる二人。

まるで子どものような顔つきで物を作るトルク。

色々な人がいると教えてくれた。

トルク。

その名前を聞くだけで胸がキュンとなるアスカがそこにいた。

絶対に顔には出さないようにつとめてはいるが。

それでね、と、アーシファが続けようとした時、コンコンと家の扉をノックする音が聞こえた。

走ってアーシファが返事をすると、外からやってきたのはトルクだった。

珍しい、普段皆との開発中に絶対に外に出ることがないトルクが、誰かからアスカが倒れたとデマを聞いて、慌てて走ってきたらしい。


「あたいは大丈夫だよ。大事な仕事、投げ出して来ちゃダメじゃん。」


アスカは怒り口調でも嬉しそうなのが、アーシファには伝わってきた。


「いや、倒れたって聞いて…もしも君になにかあったらって……。」


アスカのあちこちに触れ、怪我がないか、熱がないかと触診をするトルク。

アスカは黙ってそれを受ける。

ここにメッカがいたら、また一言言われたんだろうなってアスカは思っていた。

アーシファはトルクを信頼していたので、どうか?と尋ねる。


「少し熱っぽいな。何か冷たいものでも持ってこよう。」


「いいよ、最近胃がおかしいし。」


「私は医学はあまり得意ではないが熱からきてるかもしれない、まずは熱を下げることを考えよう。あまり酷くなるようなら、シグレさんにも相談しよう。」


と、言い、その何かを取りに行こうとしたので、


「私が行きます!トルクさんもお疲れでしょうから、ゆっくりしていてください。」


と、アーシファが手をあげ、冷たい何かの指示をもらい、それを雪を降らせた娘の家にいただきに走った。


二人きりになる。


「本当に大丈夫なの?」


アーシファが座っていた椅子に腰かけたトルクは、アスカの手をとり、両手で握りしめて少し涙目になりながらアスカに尋ねた。

本当に心配だったらしい。


「大丈夫だって。最近魔法使い続けてたからね。体に無理がかかってたのかも。」


アスカは、トルクの油やら機械にまみれた匂いは逆に安心することができた。

でも、これも今までこんなに強く感じたことはなかった。


「最近、全然来てくれなかったから…。そっか。街の皆を助けてくれていたんだね。ありがとう、アスカ。」


片手を離し、アスカの頭を優しく撫でるトルク。

うん、と可愛く頷くアスカ。

トルク家を爆発させたあの日から、二人の距離はグッと近いものになっていた。

アスカもトルクに惹かれていた自分自身を認めたことによって、素直にトルクと接することができるようになった。

ヒコが頭に浮かぶことももちろんあった。

でも今はこの幸せの中にいたいと打ち消してきた。


トルクがそばにいた安心感からアスカは眠りに落ちる。

それを見ていたトルクもつられて眠ってしまったらしい。

アーシファが戻ってきた時には、二人は手を握りあいながらスースー眠りこけていた。

平和な時間がそこにはあり、クスッと笑ってしまったアーシファだったが、二人の握られた手が少し気になった。

もしかしたら二人は…

そう思っていたのはアーシファだけではなかった。


次の日、ちょっと楽になったからと、アスカはまた街に出かけ、何かメカニクの力になれることはないかと歩き回っていた。

お昼頃、あちこちの家から本来なら美味しそうと思える匂いを鼻がとらえると、一気に吐き気に襲われる。

気持ち悪い…。

アスカはおえっと街の隅で、吐きそうな自分を必死に抑えていた。


「アスカ。」


後ろから名を呼ばれた。

シグレの声だ。


「話があるの。」


そう言って、アスカをアーシファ達が借りている家まで支えて歩いた。

帰宅すると、昨日同様にすぐに着替えさせられ、ベッドに横になるように指示される。

アスカは何を言われるのか正直怖かった。

シグレの目が冷たいような気がしたからだ。


「アスカ、あなた最後に月のものがあったのはいつ?」


シグレは単刀直入に尋ねた。

しかし、慌ただしい日々の中、最後にいつあったかなどアスカにはまったく記憶がなかった。

最初にヤマトヲグナを出たあの日以来、一度も来てない気がする。

それに苦労した記憶がない。

正直に答えるアスカ。

それだけ日々にストレスがかかっていたようだった。


「じゃあ、貴方…誰かとそういう関係を持った?」


シグレは真っ直ぐに言葉にする。

それには正直心当たりがあった。

すぐに顔に出るアスカの反応で、シグレは事を察した。

フーッと息を吐き、そばにあった椅子に腰をかける。


「そう…。貴方とヒコ様にそんな時間はなかった。別の誰かなのね…?」


シグレは俯き自分を落ち着けてアスカの回答を待つ。


「はい…。」


スーッと息を吸い、顔をあげるシグレ。


「ずっと気になってたの。貴方の体調…貴方きっと妊娠してるわよ。匂いに敏感になったり、胃がずっと気持ち悪かったり…私も貴方がお腹にいた時に経験したわ。」


妊娠…。

まさか!とアスカは思った。

トルクと抱き合ったのは、あの日たった一度だった。


「で…そういう可能性があることはわかってたでしょ?どうするつもりだったの?」


正直、アスカはその日無我夢中だった。

トルク以外のことを一切忘れ、温もりに包まれていた。

まさか妊娠するなんて…。

アスカは戸惑いの表情を隠せなかった。


「せっかく出来たアマツ家との縁…お父様は怒り狂うでしょうね。あの性格ですから…。ヒコ様もこの事実を知ったらいったいどう思われるでしょうか?」


シグレは現実を突きつける。

アスカは目に涙が浮かんできたが、泣ける立場じゃないと無理やり涙をこらえた。

もしかしたら、クニツ家に大きな罰が与えられる可能性があった。

アマツ家がヤマトヲグナ最高権力者の権利を持っているからだ。

すべてはヒコの采配次第なのである。

でも…。


「あたい…産みたい…。」


アスカは声と共に涙も漏らした。


「初めて大切だって想えた人の子…あたい産みたい…。ヒコには…ヒコには悪いけど…大切な人ができたの…お母さん。」


アスカは涙を流しながら自分の気持ちを吐き出した。

シグレは黙って聞いている。


「大切な人の血…あたい繋ぎたいの…。ヤマトヲグナの血を外と混ぜちゃいけないってずっと言われてきたけど…それでも…もし、お腹に赤ちゃんがいるのなら、あたい大切な人の子どもを殺すことなんて出来ない!」


アスカはワンワンと声をあげて泣いている。

それでもシグレはただ黙ってアスカの言葉を待つだけだった。

色々なことが頭を巡りすぎていた。


ガタンっ


と、家の扉が開く。

アーシファが休憩中に戻ってきた。

街にアスカの姿が見当たらなく、心配になって食べ物を持って帰ってきてくれたらしい。

が、

食べ物はアスカの好物の揚げ物であり、ともに今は鼻にとても辛い匂いの揚げ物だった。

アスカはオエッと吐けない吐き気にまた襲われる。


「アスカ!」


アーシファが慌てて駆け寄ろうとしたが、シグレがそれを静止した。

食べ物の匂いに反応してることがわかっていたからだ。


「しっかりしなさいアスカ!貴方、お母さんになるんでしょ?」


キツイ言葉であったが、母がアスカの意志を認めた言葉であった。

アスカは、はい、と吐き気の中また泣き出した。


「お母さん…?」


アーシファの思考が停止する。


「アーシファ様、申し訳ございません。アスカはたぶん妊娠しており、これらの症状は悪阻からきてると思われます。アスカの大好物をというお気持ち、誠にありがたいことなのですが、今の彼女には悪阻を助長させるものとなってしまっております。持ち帰り、アスカの分もお召し上がりください。あと、このことは他言無用でお願いいたします。」


なんとか頭を整理し、とにかくここをはやく出ないとアスカが苦しむことがわかった。

慌てて家を出るアーシファ。

嬉しいようか複雑なような…とにかく、アーシファはトルクの家に走って戻った。


「とはいえ、相手の意志を確認しなくちゃね。ヘタレ野郎だったらヒコ様の名を恐れて逃げ出すでしょう。そんな馬鹿な男だけはやめてよ?」


まるで、アスカのように砕けた話し方をするシグレ。

これが本来のシグレの姿だった。

アスカは泣きながらトルクを想った。


「事は早いほうがいい。今はしっかり休んで、夜にちゃんとその男と話しな。しっかし、何かお腹に入れないとねぇ。栄誉不足を補う魔法なんてないから。」


そう言って出ていったシグレは、街から冷たいスープを入れた小鍋を持ってきた。

もしも、の場合の為に前もって作って冷やしていたらしい。

冷たいものは匂いがましだろ?

と、アスカに注いで渡すシグレ。

さすが母。

そこまで考えていたのだ。

アスカは母親からの初めての優しさに、また涙が止まらなくなる。


「世界一、美味しい…。」


泣きながら口にするアスカに、シグレは

脱水になるよ?

と、笑っていた。


  


夜、少しひんやりした空気に胃の調子を落ち着かせてもらいながら、アスカはトルクの元を尋ねた。

あまりに急な訪問に驚くトルク。

体調を心配して慌ててアスカを中に招き入れ、一番立派な椅子に座らせた。

何か飲むかい?と聞かれたが、アスカは先にどうしても話がしたかったので、トルクにも椅子に腰掛けるように促した。

アスカの心臓はバクバクしている。

深呼吸を意識する。

何かあったのか?と心配するトルクに、意を決して自分の状態のことを話した。


「あたい、お腹に赤ちゃんがいるみたいなの!」


つい、大声になってしまう自分を深呼吸して再び落ち着ける。


「今日、母と色々話して…あたいの体調不良は悪阻なんだって言われた。たしかに覚えがあったから…そうなんだと思う。」


…。

トルクは時が止まったかのように動かない。


「…あたいは…産みたいと思ってるんだけど…いいかな?」


動かないトルクにアスカは不安が混じる。

嫌だったのか。

信じられないのか。

しばらくの沈黙。

…。

…。


「アスカの中に私の子が…?」


固まっていたトルクがフニャフニャと崩れ落ちる。

顔が見えなくなり、トルクの反応が何を意味しているのかアスカはまったく読めなかった。


「う…うん。ヒコとのことがあるから信じてもらえないかもしれないけど…。」


「アスカ。」


顔を伏せたままトルクが口を開いた。

次の言葉がなんだかアスカは怖かった…。


「私と結婚してくれないか?アスカ。君の事情は充分にわかっているつもりだし、もしかしたらメカニクとヤマトヲグナのせっかくの仲にまた亀裂が入ってしまうことになるかもしれない…。」


今度はアスカの時が止まる。

結婚?

思ってもない言葉だった。


「でも、きちんと私から謝罪するし、全て正直に話す。私は君のことが本当に大好きなんだ。私の子を産みたいって言ってくれてありがとう。」


アスカは最近涙腺が緩みっぱなしである。

これも妊娠の兆候からくるものかもしれないが、皆の温かさにたくさん触れられ、嬉し泣きなことが多かった。


「あたいも…トルクが大好きだよ…。」


アスカは子どものように声をあげて泣き崩れた。

トルクが静かに優しく抱きしめ、頭をなで続ける。


「私も覚悟を決めないとね。まずはシグレ殿にちゃんと話をしないと…。」


「はいはいーい、ごめんなさい。ずっとここにいました。」


急にシグレの声が部屋に響き、ビックリしてしまう二人。

なにもないところから急にシシグレが姿を現した。

魔法で透明になり、アスカの後をつけてきたらしい。

部屋にも無理やりに入り込み、二人の動向を見守っていたのだ。

嘘偽りない二人の姿が見たかった。


「アスカ、貴方良い男を捕まえたわね。トルクさん、私は安心しました。」


シグレがグッと伸びをし、話し始めた。


「ありがとう。アスカを愛してくれて。子どもを産むことを許してくれて。責任を全部一緒に背負おうしてくれてありがとう。」


アスカの母として話していた。


「あの、お母様!」


トルクは椅子から立ち上がる。


「アスカさんと結婚をさせてください!」


トルクが頭を下げる。

これだけは絶対に、シグレより先に自分の口から言わなければと思っていた。

シグレはニコリと笑い、頭を下げる。


「ありがたいお話です。ただ…これから先どうするべきか私なりに考えました。まず、そちらを聞いていただけますか?」


トルクはゆっくりと頷いた。


「アスカには死んでもらいます。」


…。

…。

…。

え?

二人の声が揃った。







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