第4話 不思議な感覚

 平坦な田んぼ道。その真ん中をシャカシャカ音を立てながら、自転車は進んでいく。

 心地の良い風が髪を攫い、頬を撫でていく。

 青い空を鳥が駆け、白い雲がゆったりと流れていく。

 男子学生のワイシャツが風で膨らんで、彼の汗の臭いが鼻先をかすめた。


「つーかさ、おまえ、本当にどっから来たんだよ」


 そう質問されて、俺は正直に答えた。


「電車で三時間だあ? それって柚葉に会うためだけだろう? 正気かよ」

「そうだよね。でも、とても大事な人に頼まれたおつかいなんだよ」

「はあ、おつかいねえ。頼んだやつも頼んだやつだけど、おまえも相当なお人よしだなあ」

「そう……かな」

「電車賃はどうしたんだよ? まさか自分持ちってわけじゃねえよな?」

「あ……自分……だけど」

「完全なボランティアかよっ! おまえ、そういうの絶対やめたほうがいい! つーか、足元見られすぎ! そういうときは、電車賃くらいちゃんと払わせろ! つーか、その前にてめえで行ってこいって言ってやれ!」

「俺からしたら、きみのほうがよっぽどお人よしだと思うけどなあ」

「なんでそうなるんだよ?」

「だって、俺のこと、助けてくれようとしてるだろう?」


 そう言った途端、男子生徒はきゅううっとブレーキを握った。自転車がつんのめるようにして停まったから、俺は彼の背中に鼻を打ち付けることになった。


「いたたた……」


 鼻をさする俺を見て、彼は「悪い」と謝った。それから、今度はゆっくりと自転車をこぎ始める。

「なんかさあ」と彼が言ったので、俺は「ん?」と返した。


「よくわかんねえけど……」

「うん」

「おまえのことは、なんか気になんだよ」

「え?」

「なんか、本当によくわかんねえけど、こう、胸がざわざわするっていうか。これが女の子だったら、きっと一目惚れって言うんだろうけど、そんな感じなんだよ。運命?」

「はあ……」


 会って間もなくの男子に告白されるとは思わなかった。ただ、彼の言うこともわかる気がした。俺にも彼が感じた同じ感覚があったから。


「でもまあ、俺たちは男同士なわけで。俺にはちゃんと好きな女がいるわけだから」

「ああ、そうなんだ」


 その言葉に俺はほっと息をもらす。

 初めて会ったのに、すごく話しやすいと思った。

 妙な心地よさがあるのだ。気やすいというのだろうか。

 それはとても不思議な感覚だった。なぜだろう。

 じいさんと一緒にいるときみたいな感覚に近かった。


「同じ学校に通えたらいいのに……」


 知らないうちにそんなことをつぶやいていた。


「今の学校、嫌なのか?」

「実は……学校に行ってないんだ」

「いじめ?」

「うん……」

「そっか」


 それからしばらく俺たちは無言になった。キコキコキコキコ……ペダルを踏む音に耳を傾ける。


「そんなに今の学校が嫌ならさ。転校してくりゃいいよ」

「え?」

「俺、おまえとなら親友になれそうな気がするわ」

「むちゃくちゃなこと言うな」

「そうか?」

「うん。でも……」

「ん?」

「俺もそんな気がするよ」


 そんな気がする。こいつとなら、俺は楽しく学校に行ける気がする。


「よし、見えたぞ。あれが柚葉の家だ」


 そう言って、彼は前方に見える白い家を指さした。

 家の前で自転車を停めた彼は二階に向かって大きな声で「柚葉あ」と叫んだ。

 しばらく待っていると、正面の窓が開いて、ひとりの少女が姿を見せた。長い黒髪をポニーテールに結った彼女は、じいさんに見せてもらった写真そのままだった。


「なんか用?」

「俺じゃねえ。こいつがおまえに用があるんだってさ」


 そう言うと、少女は「わかった。ちょっと待ってて」と窓を閉めた。


「じゃあ、俺は帰るから。しっかり渡せよ」

「うん。ありがとう」

「転校のこと、ちゃんと考えろよ」

「うん」


 頷くと、彼は「またな」と手をあげて自転車を漕いで行ってしまった。

 去っていった彼に替わって、今度は少女が出てきた。

 彼女は俺に「あいつは?」と訊いた。


「帰っちゃったけど」

「そう。で、私に用ってなに?」

「ああ、あの……これ……」


 急いで彼女にじいさんの手紙を渡す。手紙を受け取った彼女はくるりと裏を見て、それから俺をじっと見つめた。


「これを、私に?」

「うん。頼まれて……」

「頼まれ……て?」


 彼女は首を捻っている。俺の目の前で手紙を開けて、中の便箋を取り出し、読み始めた。

 しばらくすると彼女の様子が変わっていることに気づいた。


 手が震えている。険しくなった彼女の目には涙まで浮かんでいる。

 じいさんのひとりよがりではなかったということか。彼女はやはりじいさんの『秘密の恋人』だったのだ。そう思ったら、手紙を渡せてよかったと思った。


 俺は彼女が手紙を読み終えるまで、じっと待ち続けた。読んだ感想をじいさんへ報告してやらなければと思ったからだ。


 彼女は読み終えると、手にしていた手紙を丁寧に封筒に戻した。それから俺をじっと見た。


「あなたはこのこと、全部知ってるの?」

「このことって?」


 彼女は俺に手紙を差し出した。読め……ということだろうか。

 手紙を受け取り、ゆっくりと便箋を開く。

 じいさんの字で綴られた手紙に視線を走らせる。


『この手紙を読んでいるころ、俺はもうこの世にいないことだろう。だから、これを俺の最高の親友にして、最愛の孫に託すことにした』


 手紙はそうやって始まっていた。そのまま読み進めて、俺は言葉を失った。最後まで読み終えたときには俺の目からはボロボロと涙がこぼれ落ちていた。


「知らなかったの?」


 彼女の質問に、俺は「うん」と首を縦に振った。

 知らなかった。


 今日から二年後に、18歳になるじいさんが80年近く過去へ飛ばされてしまうことになるなんて。

 戻る方法を必死に探したけれど見つからず、そのまま過去で時間を過ごさねばならなかったなんて。

 過去で結婚し、子供が生まれたこと。

 その子供が結婚して孫が生まれたこと。

 孫の名前は『宇津木光輝』俺であるということ。


「教えてくれ」


 俺は声を絞り出して彼女に尋ねた。


「彼なの?」


 さっき別れたばかりの男子学生の顔を思い出す。

 彼女は「うん」と答えた。


「あいつが『宇津木伊織』だよ、光輝くん」


 だからだったのかと、俺は思い知った。

 とんでもない秘密を隠していたのだ、じいさんは。


 あの人は……俺に過去へ飛ばされる前の自分と会わせるためにこの手紙を書いたのだ。

 もちろん、彼女にも真実を伝えたかったのはあっただろう。

 だけど、同時に俺にも会いたかったのだ。

 俺を……俺の未来を変えるために。


「うわああああ」


 俺はその場に崩れ落ちた。

 その傍らで彼女はじっと立っていた。

 そうして俺らはしばらく、そこから動けないでいた。



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