ポットの秘密

 さて、とある夫人の愛用していたとされているスターリングシルバー製の紅茶ポット。陶磁器製のものと比べて、水に影響を与えにくいとうたわれる銀製のポットは、熱伝導が良く、茶葉本来の味わいを楽しめると、紅茶通の間で人気を博した。


 夫人のポットも見た目は十八世紀半ば当時、主流となっていたリンゴ型をしているが、エンボス加工を施した紋章入りのポットは全体的にとても装飾主義的で、いかに手間をかけた逸品か窺い知れる。

 とりわけ目を引くのが高台部分で、当時としてもやや嵩高かさだかであり、強度を落とさない程度には透かし彫りをふんだんに盛り込んだシノワズリ傾向の強い鼓型をしており、極めて特徴的であることは興味深い。


「これが、噂の暗殺茶器アサシンティーポットですか」


「銀製品で作られているものは、初めて見るけどね」


「毒物に反応しそうなのに、毒殺に銀製品を使うなんて酔狂ですねえ」


「主に、ヒ素反応を見るために使われたのが、当時の銀器だからね。もっとも、現代じゃヒ素は銀食器には反応しないっていうから、毒発見器としての実用性は下がったと言ってもいいだろうね」


「え、反応しないんですか? なんで?」


「ヒ素の純度が上がったから、かな。昔のヒ素って混ざり物が多かったんだ。厳密にいうと、銀に反応していたのは硫化りゅうかヒ素。

 シルバーアクセサリーも長期間放っておくと勝手に黒ずむけど、あれは酸化じゃなくて、硫化が原因ってことだね」


「じゃあ、ヒ素そのものに反応していたわけじゃないんですね」


「そういうことになるね」


「てっきり、銀って毒物全般に有効なんだと思ってた。世の中そんなに甘くないかあ。ところで、ポットの内部ってどうなってるんですか?」


「これが、ポットの断面図」


 展示されている現物ポットの隣に、見開きで図解されているポットの内部は、歪な二階建て構造になっている。

 概ね、一般的なポット内部と同じように、蓋を外して目視できる大きな内部空間は紅茶用。茶葉がジャンピングしやすいように、丸々としたゆとりのある設計になっている。

 注目したいのがその下、すぼまったリンゴの底部分に接した、鼓型をした嵩高の高台内部にも少量の液体を溜める空間が隠れていて、しかもその狭い空間への入り口は、ちょうど小指が添えられそうな持ち手の下部に開けられた小さな穴のみ。

 液体は、空洞になっている取手の中をぐるっと回ってから最下部に集まるという二世帯同居になっている。

 出口となるポットの注ぎ口も、断面図から、内壁を隔てて大小二本の通り道になっているのが良く分かる。


「入り口は二つあるのに、出口は一つだけなんて、これでどうやって毒の出入りをコントロールするんだろう? 傾けたら無差別にカップの中で混ざっちゃいそう」


「それは、流体工学で説明できるよ」


「流体工学? 何ですか、それ」


「具体的な例を挙げる方が分かりやすいかも。たとえば、ジュースの入ったコップにストローを入れると、どうなる?」


「どうなるって、コップのジュースと同じ高さまでストロー内にもジュースが入る……?」


「だよね。じゃあ、その状態でストローの飲み口に指で蓋をして、ストローをコップから引き抜いたら、どうなる?」


「あ。昔、遊んで親に怒られたけど、ストロー内にジュース溜めたまま、持ち上げることができた!」


 ストローの飲み口から一瞬でも指を離すと、途端に液体は全部こぼれ落ちるけれども。


「そのとおり。ストロー上下の大気圧の差と、ストロー内のジュースの重さが釣り合うことで、出口に蓋がなくても中身が溢れない。この時、出口で戻ろうと働く引力が表面張力だね。

 一応、計算式あるけど、(上下の圧力差)=(液体の密度)×(重力加速度)×

(液体の高さ)で求めることができるよ」


「あ、そのあたりは結構です」


「そう? まあ、あえて今計算する必要はないけど。ストローだけだと説明が不十分だから、たとえばペットボトルの水をひっくり返すとするよ。中身が満々のペットボトルって、傾けても上手に水が出てこないよね」


「確かに。ゴッポン、ゴッポンなりますね」


「それって、何でだと思う?」


「うーん、大気圧と関係あります?」


「あるある。器から水が流れ出るには、同じ分だけ空気が必要になるんだよ。水が出ていった空間は何も無いんじゃなくて、その瞬間に空気が埋めてるんだ」


「へえー。じゃあ、空気の流れが止まると、水は流れないってことですか?」


「そういうこと。ストローの例と同じように、水が流れ出る力を重力、引っ張り戻す力を表面張力、下から押し上げる力を大気圧に置き換えて考えると、暗殺ポットの原理が分かるよ。

 重力より、表面張力と大気圧の力が強いと、いくら注ぎ口が開いていても水は動けなくなる。つまり、持ち手の下に開いてる小さな入り口を塞ぐと、毒は高台内部に止まったまま流れ出て行かなくなる」


「普通に紅茶を飲みたい時は、小指で穴を塞いでポットを傾けて、毒を注ぎたい時は小指を離せば注いだカップの中で紅茶と毒が混ざるってわけですね。うっかりしたら、自分で毒入り紅茶を飲むことになりそう……」


 展示してある銀ポットは、ピカピカに磨かれて照明を反射している。これを仮に縦に真っ二つにしたら、毒の通った狭い方の内部空間は真っ黒に変色しているのだろうか。

 こんなに手の込んだ暗殺茶器を用意するほど、このポットの持ち主は一体、何に対して恨みつらみを抱いていたのだろう。


「紅茶飲んで、くたばれ! って、どっかで聞いたような気がする事件だよね」


「うわ、それって……」


「まあ、ただの憶測に過ぎない。さて、次を見に行こうか」




——ブラックティーはいかが?——完

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ブラックティーはいかが? 古博かん @Planet-Eyes_03623

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