10 殿下、ファイト!

 私たちは、街の広場に集まっていた。

 マルセルとミレーナ、ロイスダール様の姿がある。彼らは後ろ手に手錠をかけられて、座りこんでいた。

 彼らには私に不当な罪を着せて、追放した嫌疑がかけられている。

 マルセルはボロボロになって、意識を失っている。

 一方、ミレーナは憔悴しきっていた。


「もう……聖女なんてこりごりよ。……お姉さまが聖女をやればいいじゃない……」


 そんなことを言いながら、泣きべそをかいている。

 混乱の最中、ミレーナは市民に詰め寄られたみたいだ。祝福を下さいと。

 だけど、ミレーナにはできなかったから、皆が怒ったのだという。散々、責められて、彼女は憔悴している様子だった。

 まあ、今回の件の主犯はマルセルだし、ロイスダール様とミレーナは彼に騙されただけだ。そんなに大した罪には問われないだろう。

 そして、ロイスダール様の方だけど。

 彼は未だに、みっともなく喚いていた。


「僕は何も悪くないぞ! 悪いのはすべてマルセルだったのだろう! では、僕は被害者だ!」

「まだそんなことを言っているのか。兄上」


 レオルド様が呆れたように呟く。

 すると、ロイスダール様が閃いた顔で、私の方を向いた。


「そうだ、エリン! お前と婚約してやろう! それに聖女にも戻してやる! だから、僕を助けてくれ!」

「婚約? 私とロイスダール様がですか?」

「そうだ! 僕にフられて、傷心していたのだろう!?」


 何を言っているんだろう。この人。

 私は冷めきった目を彼に向ける。


「私、ロイスダール様とは婚約しません」

「なっ……」

「だって、ロイスダール様って、私の好みじゃないですから」

「なっ……、ファッ……!? ふぇ……?」


 ロイスダール様は呆けきった顔をした。ディルベルが後ろで大笑いしている。いや、笑いすぎだから。

 レオルド様が毅然とした声で命じた。


「お前たち。彼らを連れて行け」

「待ってくれ! エリン、僕を助けろ! 助けてー!」


 兵士たちが3人を連れていく。

 ロイスダール様は、涙声で私にすがってくる。

 往生際悪く喚き散らす声が響いて……そして、遠のいて、聞こえなくなった。

 レオルド様が私と向き直る。片膝をついて、深く頭を下げた。


「エリン。この度のことは、本当に申し訳なかった」

「レオルド様!? 頭を上げてください! レオルド様は何も悪くないです!」

「私はこの国の王子だ。だから、国を代表して、君への謝罪と……そして、感謝を述べさせてもらう」


 真摯な声で、レオルド様は続ける。


「教会や王家は、君に大変不躾な行いをした。それにも関わらず、この国を窮地から救ってくれたこと、深く感謝する。君がいれてくれてよかった。ありがとう、エリン」

「レオルド様……」

「君がいてくれなければ、皆も私も困るんだ。だから、どうか聖女として戻ってきてはもらえないだろうか?」


 彼にそんなに懇願されると、心が揺れてしまうけど……。

 でも、今の私には他にやりたいことができた。女神様にも誓っちゃったからね!


「私、今の教会のことを信用できません。だから、聖女には戻れません」

「ああ……そうだな。当然だろう……」


 レオルド様は捨てられた子犬のように、寂しそうな顔をする。そこまでショックを受けなくても……。


「でも、礼拝堂や街で、困っている人たちをたくさん目にしました。それを知っていながら放っておくこともできません。だから、週に1度でもいいですか?」

「えっ?」

「私、王都に通います。それで、ペタルーダ様の祝福を必要してくれる人たちのために、祈ります」

「エリン……」


 レオルド様は信じられないという様子で目を見張る。

 次の瞬間、彼は破顔して、私の手を握った。


「ありがとう。本当にありがとう! 今日から君……いや、あなたはこの国の救世主として、また、大聖女として扱わせていただきます。あなたのための聖堂を建てましょう」

「そこまではしなくていいです!」

「いいえ。そうしなければ、私の気がすみません。それに……」


 私の手をぎゅっと握りしめて、真摯な眼差しで私を見上げながら。

 彼の瞳がわずかに潤む。頬を染めて、心から嬉しそうな表情をした。


「君とこれからもまた会えるのだな。そのことを知れて、私は今、とても嬉しい……!」

「レオルド様……」


 え、そんなに見つめられたら、恥ずかしいんですけど。あと、そんなに強く手を握られても困ってしまう。

 すると――べちん!

 レオルド様が謎の力を浴びて、後ろに弾け飛んだ。


「話、終わった? それじゃあ、帰るよ、エリン」


 冷然とクラトスが割りこんできた。私の体はふわりと浮かび上がる。

 当然のようにクラトスの腕の中に抱えこまれた。


「クラトス! 君は空気が読めないのか!? もう少しくらい、エリンとの別れを惜しませ……」

「じゃあね。『じゃない方の王子』」

「話は最後まで聞け! あと、君は私の名を覚える気がないだろう!?」


 レオルド様の言葉をしれっと無視して、クラトスは飛び立つ。

 ディルベルも飛行して、私たちの隣に並んだ。彼の腕には小さくなったミュリエルが抱えられている。彼女はまだ目を覚まさず、静かに眠っている。

 ディルベルは下を向くと、レオルド様に気さくに声をかけた。


「またな! レオルド王子! 馬鹿王子とはちがって、あんたはちゃんとかっこよかったぜ」


 その間にも周りの景色が動き出している。

 ちょ、ちょっと。クラトス。もう飛んで行こうとしてます? 相変わらずマイペースだなあ、この人は!

 私は慌てて、下を見る。レオルド様に手を振った。


「えーっと……何かごめんなさい。レオルド様。また来ます!」

「エリン! エリーーン!」


 レオルド様の声が辺りに響き渡った。


 ◇


 空を飛んで去っていくエリンたち。

 王都の民は上空を仰いで、彼らを見送っていた。中には手を合わせて拝んでいる者までいる。エリンたちの姿は彼らの目には、とても神々しく映っていたようだ。

 民は皆、どこかすっきりとした、晴れやかな面持ちを浮かべている。

 ――例外は1人だけ。

 エリンたちの姿がどんどんと遠のいていく。

 それに比例してレオルドの眉は、ぐんぐんと垂れていった。

 やがて、飼い主に見捨てられた子犬のような、哀れな表情に変わった。

 そして、エリンの姿が完全に見えなくなると。


「あ~!」


 レオルドは地面に大の字で倒れた。

 臣下たちがぎょっとして、


「殿下、おやめください! こんな往来で!」

「民も見てますよ! 素を出さないで! ほら、もっと『殿下モード』でがんばってください!」

「お前たちは、酷なことを言うな。僕は今、傷心中なんだぞ」


 レオルドは体をひねって、地面の方を向いた。

 指で何かを書く仕草をする。その姿は誰がどう見ても、いじけきっていた。

 敬愛する主君のそんな姿に、臣下たちは涙を禁じえない。


「殿下……! ああ、何とおいたわしい!」

「大丈夫です! フラれたって、殿下は素敵です!」

「いや、まだフラれてないぞ!?」


 レオルドは勢いよく起き上がると、その場に座りこんだ。


「しかし、まさか留学中に、別の男にかっさらわれるとは……。あいつは何者なんだよ……クラトスめ。少しばかり僕より魔法が長けているからって。次に会う時までには僕も魔法の特訓を重ねて、あいつよりも優秀な魔法士になってやる。それで、決闘でぶちのめして、エリンを奪い返す」

「さすがです! ナイスガッツです、殿下!」

「よし、やるぞ! そうと決まれば、魔法士ギルドに行って、エヴァ博士の文献を読み解かなくては」


 レオルドは目の輝きをとり戻し、立ち上がった。

 彼は知らなかった。クラトスが崇拝する『エヴァ博士、ご本人!』であることを。

 レオルドがクラトスの正体を知るのは、もう少し先の話である――。


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