9 女神の信頼

 それは教会で見た石像と、瓜二つの姿。

 神様がどうして、私の前に……!?

 ペタルーダ様は私の顔を見て、静かにほほ笑む。

 次の瞬間、ペタルーダ様の姿がにじんでいく。

 そして、別の姿へと変化した。

 私は息を呑む。


 人の姿……じゃない?


 鮮やかな色の4枚羽。辺りにはりんぷんが飛び散る。目隠しは複眼へと。そして、4本の腕は、4本の“脚”へと変わった。

 元からあった脚と合わせて、6本脚に――。

 そこに現れたのは、1匹の蝶だった。

 この姿ってまさか……。


「ペタルーダ様って、幻獣だったんですか!?」


 ペタルーダ様は口元を優しくゆるめる。

 慈愛のこもった目で、私のことを見つめていた。


『あなたのことは、幼い頃より見守っています。あなたには常に、幻獣を慈しみ、大切に思ってくれる優しい心がありました。だから、わたくしはあなたに多くの加護を与えたのです』


 私は驚きすぎて、声が出なかった。

 ペタルーダ様がゆっくりと降下して、私の前に立つ。

 堂々とした動き、光輝く姿。

 それはまさに、降臨したという表現がふさわしい出で立ちだった。


『古代――幻獣は神として、または奇跡を生み出す神の使いとして、敬われる存在でした。しかし、世界は変わったのです。魔法がこの世に生み出されたことによって』


 それって……。

 エヴァ博士――クラトスの発明だ。

 魔法が生み出されたことで、世界は変わった。人間の文明は飛躍的に発展した。

 でも、その一方で……。


『やがて、人は幻獣を軽視するようになりました。一部では幻獣を虐げ、道具のように扱う人間もいます。多くの7神は失望し、人に加護を授けることをやめました。しかし、わたくしは信じているのです。エリン……あなたのように、幻獣を大切に思ってくれる人間がいることを。そして、いつの日かまた、幻獣と人間が助け合って、共に暮らせる世に変わることを』


 ――ああ、そうか。


 私は初めて理解した。

 クラトスが幻獣を助けるために、尽力している理由。

 きっと後悔しているんだね。自分の発明のせいで、幻獣が蔑まれる世の中に変わってしまったことを……。

 マルセルと相対した時、クラトスの記憶が見えた。


『僕は、こんなことのために、こんな世界を作るために、魔法を生み出したんじゃない』


 彼はそう思っていたんだ。


「ペタルーダ様」


 私はこれまでのことを思い出した。

 王都を追放されてから、私は今まで知らなかったことをたくさん知ることができた。


「私、王都で暮らしていた時は知りませんでした。世界で今、幻獣たちがどんな目に遭っているか。苦しんでいる子、悲しい思いをしている子がいるってこと。そして、それは私たち人間のせいであるということ」


 幻獣を売買して、お金稼ぎに使う人たちがいる。

 幻獣を奴隷のように扱う人たちがいる。

 そして、幻獣の力をエネルギーとして利用する人がいる。

 そんな人たちのせいで、苦しんでいる幻獣がいる。

 彼らを助けるために、私にもできることはあるのかな。

 ううん、ちがう。

 私はもう知っている。


 私の祈りで、助けられる幻獣がいるってこと。

 今までの記憶が、走馬灯のように蘇った。

 クラトスと初めて会って、傷付いた幻獣を癒したこと。

 オコジョのような幻獣のチコを助けたこと。

 奴隷のように扱われていた幻獣を助けたこと。

 そして、ディルベルを【隷属の魔法陣】から解き放ったこと。


 ――私には、これだけのことができる力がある。


 だから、自信を失うことはもうやめよう。

 自分で自分のことを卑下することはやめよう。

 ペタルーダ様に期待されて、多くの加護を授けてもらった私にしか、それはできないことなんだ。


「約束します。ペタルーダ様にもらった加護で、私はこれからも幻獣を助けます。それで、世界から悲しい思いをする幻獣がいなくなるように……力を尽くします」


 ペタルーダ様は、嬉しそうにほほ笑んだ。


『あなたの言葉を信じます。エリン』


 りん――そんな涼やかな音が響く。

 りん、りん……。

 羽が開いて、閉じて。

 ……りん。

 ペタルーダ様の羽から、りんぷんがきらめいて、私に降り注いだ。

 それは光だった。

 祝福という名の、温かな光だ。


『さあ、わたくしの力を授けましょう。この力で――救って、エリン』


 ◇


 ◆


 ◇ ◆


 ◆ ◇ ◆


 光が消えた。

 ミュリエルの体に魔法陣が浮かび上がる。それが粉々に砕かれた。

 次の瞬間、ミュリエルの体は変化した。子犬ほどの大きさに変わる。私は空中で彼女の体をキャッチした。

 腕の中から、ミュリエルが私を見上げている。その瞳が揺れて、潤んでいるように見えた。


「――ありがとう――」


 鈴の音を揺らすような、とっても可愛らしい声だった。

 ミュリエルさん……やっぱり本当は優しい竜だったんだね。

 ミュリエルは私にそう告げると、目を閉じる。疲れ果てた様子で眠り始めた。


 って、わわ……落ちる――!


 私が咄嗟に伸ばした手。

 その手をクラトスがつかんだ。私の体がふわりと浮かび上がる。

 彼の目線の高さまで上昇する。まるでダンスに誘うような優雅さで。

 私はクラトスと空中で顔を合わせる。クラトスは私が抱いているミュリエルを見ると、ほほ笑んだ。

 うわ、こんな心から嬉しそうな笑顔、珍しい! 初めて会った時に、私がクラトスに祝福をかけた以来じゃないかな?


「その子は君が助けた」


 私の手をぎゅっと握りしめながら、クラトスは嬉しそうに言う。


「君がいてくれて、よかった。ありがとう――エリン」


 その時、大空に別の声が響き渡った。


「エリン! ミュリエル!」


 ディルベルが飛んでくる。

 私がミュリエルを抱えていることに気付いて、瞳を潤ませた。

 泣き笑いのような表情で――私に飛びついてきた!


「よくやってくれた、エリン! ありがとな! 俺の聖母様!」


 わー、ミュリエルと一緒に、私も抱きしめられてる!


「……は?」


 機嫌の悪そうな声が、横手から上がる。

 次の瞬間。

 ――ばしん!

 謎の力で引っぱたかれて、ディルベルは吹き飛んでいった。

 しれっとした顔で、クラトスが私の横抱きにした。

 え? 何かむっとしてる?


「クラトス……。ディルベルがすごい勢いで吹き飛んでいったけど」

「そう。それより戻ろうか、エリン」


 ディルベルのことはどうでもよさそうに吐き捨てて、クラトスは降下を始める。

 街を見下ろすと、結界が解除されている。火の手は収まっていた。魔法士や騎士の人たちが消火してくれたのだろう。

 でも、怪我をして困っている人たちの姿が見える。

 そうだ、私、まだやることが残っていた! ミュリエルさんと約束したもんね。


「ねえ、私、皆のために祈りたい。怪我をしている人たちのところまで連れて行って」

「いいよ。……どうせなら、派手にやろうか」


 クラトスはにやりとして、悪戯っぽく言った。


 ◇


「ああ……痛い……」

「誰か、助けて……。動けないの……」


 通りで市民たちがうずくまっていた。

 転んで、脚をくじいた者。炎の余波で火傷を負った者。

 彼らは絶望に暮れた顔で、うなだれている。

 上空で暴れていた竜の姿は消えていた。

 しかし、彼らはそのことを喜ぶ余裕がない。負傷して、痛みに悶える者にとっては、自分のことでせいいっぱいだった。

 街にはどんよりとした空気が漂う。

 ――その時。


「おい! あれを見ろ!」


 誰かが空を指さした。

 空から少女が下りてくる。

 全身に光をまとい、きらめいている。

 神々しく、慈愛に満ちていて、清らかなその姿は、まるで――。


「《ペタルーダ様の祝福を》」


 少女が唱えると、光が市民たちに降り注いだ。

 怪我が治っていく。痛みも、苦しみも消えていく。

 すると、彼らの目にもまた、輝きが戻った。

 民たちは空から降りてきた少女のことを、憧憬のこもった視線で見つめた。


「ああ……聖女様だ……!」

「まるで女神様の化身ね……」


 王都の危機に、光をまとって空から現れた少女。

 彼女の祈りによって、多くの人が救われた。

 やがて、彼女の名は、王都中の人々の間で語り継がれるようになる。

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