8 助けたいと願った

 クラトスの正体が、魔法をこの世に生み出したエヴァ博士!?

 驚くと同時に、納得することもあった。

 それじゃあ、クラトスが持っていた魔法書は自著だったってわけ……。魔法石の製造法を編み出したのもエヴァ博士だから、自分で作れるってことか。

 そこでクラトスと目が合った。クラトスは小さくほほ笑んで、口元に指を当てる。


「他の人には、内緒にしておいて」

「う、うん……」


 いや、言ったところで信じてもらえないと思いますけど!

 だってさ、


「エヴァ博士って千年前の人だよね? 何でこの時代に存在しているの?」

「言えない。誓約があるから」

「え?」

「僕の口からは言えないようになっている。でも、君の過去視なら、見ることができるかもね。この先、僕が怪我をすることがあったら、見てもいいよ。エリン」


 マルセルと相対していた時とは、打って変わって穏やかな様子になっている。

 クールなのは変わらないんだけど、敵意と苛烈な感じが消え去っていた。そんなに真っすぐな目で見つめられたら、ドキドキしちゃうんですけど。

 特にクラトスの正体が、私の手が届かないような偉人だとわかったらなおさら。

 その時、炎が吐き出される音が横手から上がる。

 ミュリエルだ! 彼女の目はまだ正気に戻っていない。今もなお、王都に向かって炎を吐き出している。

 クラトスが街に掌を向ける。防御を展開して、建物を守った。


「ミュリエルさん……!? 元に戻ってない?」

「魔法陣の効果だ。司祭の命令は『王都を焼き払え』だった。それがまだ有効なんだ」

「私の祝福なら、魔法陣を壊せるはず。クラトス、私をミュリエルさんのところまで連れて行って」

「いいよ。その前に少し待って」


 クラトスは魔法の詠唱を始めた。

 すると、街全体を包みこむように、下から透明な壁が立ち上る。それがドーム型となって完成した。ミュリエルの炎は壁に弾かれる。

 街全体にかけられた、結界魔法だ!

 こんなにすごい魔法を使えるのも、この世界ではクラトスくらいなんだよね……。


 クラトスはミュリエルに向かって飛行を始める。

 距離が近付くと、ミュリエルの首が持ち上がって、私たちを睨みつけた。こちらに向かって、炎を吐き出す。

 クラトスは上へと飛んでそれを避ける。

 そのまま接近を試みるも、こちらが近付いた分だけ、ミュリエルは後方へと逃げていく。

 翼を羽ばたかせて、空を飛び回る。私たちを警戒するように、距離をとっている。更に炎を吐き出してきた。


「え? こっちを狙っている?」

「街に結界を張っているのが僕だと気付いた」


 あ、そうか。ミュリエルは今、マルセルの命令を遂行することを第一優先にしている。

 そのために、邪魔者を排除しようとしているってわけね。

 ミュリエルが次々に炎を吐き出してくる。クラトスは避けるのでせいいっぱいだ。これじゃあ、彼女に近付けないよ!

 クラトスは後ろ向きに飛んで、ミュリエルと距離をとった。


「エリン。僕は街の結界の維持に力を使っているから、他の魔法はあまり使えない」

「うん」

「君なら【フロガルド】の攻撃を相殺できる。短縮呪文を教えよう。短縮呪文というのは、本来必要になる詠唱を圧縮してこめたもので、それを唱えることで……」

「博士! 講義はあと、あと! 今は急がないと!」


 クラトスはハッとすると、気をとり直して続けた。


「さあ、手を貸して。魔法を発動する時、こう唱えるんだ――」


 彼がある言葉を呟くと、手に光が宿った。その光と“何か”の力が私の手をつたって、流れこんでくる。


「短縮呪文は1回限りだから、ここぞという時に使うんだよ。他の攻撃は僕が避ける」


 私にできるかなあ……なんて。

 言ってる場合じゃないよね。


「やってみる! 任せて」

「君ならできるよ」


 クラトスは信頼の眼差しで頷いた。

 魔法技術を確立した、第一人者がそう言ってくれてるんだから。すごく心強いよね。


「クラトス、ミュリエルさんの上をとれる?」

「何か考えがあるんだね」


 クラトスは上昇を始める。

 雲を突き抜け、その上へと出た。

 そのまま雲に沿うように飛行していく。

 ――突然、雲から炎が飛び出してきた!

 ミュリエルの姿は見えないけど、雲の下から私たちを追ってきているみたい。

 クラトスが体を横に傾けて、炎を避ける。

 私は目を凝らして、雲を見つめる。この下にいる気配はあるんだけど……。


「これじゃあ、どこにいるのかわからないよ」

「これくらいの雲なら……まだ余力がある。晴らすよ」


 クラトスが飛行しながら、魔法の詠唱を始める。

 そして、掌から光を撃ち出した。

 その光が雲に着弾――閃光が弾ける! 次の瞬間、光に駆逐されるように雲が消え去った。一面の蒼穹が広がる。

 私たちの下を追走している、ミュリエルの背中、


「見えた! それじゃあ、私、行ってくるね!」

「え……エリン!?」


 私はクラトスを突き飛ばすようにして、空中へと飛び出した。クラトスの焦った声が追ってくる。

 ミュリエルが首をもたげる。私を見た――!

 炎が吐き出され、迫ってくる。

 落下しながら私は、両手をそちらに向ける。先ほど、クラトスに教わった呪文を唱えた。


「アニティス――!」


 炎が消え去る。

 代わりに、私の視界いっぱいにミュリエルが映った。

 ふわりと体を包みこむ、浮遊感。私は少しだけ浮き上がって、ミュリエルの背に乗った。

 さすがクラトスだね。何とかしてくれるって信じていたよ。

 私はミュリエルの体に手を当てて、祈る。


「《ペタルーダ様の祝福を》――!」


 光があふれて彼女を包もうとした――でも、その瞬間。

 ミュリエルがいやいやをするように首を振る。そして、咆哮を上げた。

 その声が辺りの空気を振動させる。祝福の光が弾け飛んだ。

 え、何で?

 ミュリエルは上空を見つめている。そして、もう一度、咆哮を上げた。

 この声……すごく苦しそうで、悲しそうな響き。


(ああ、そうか……ミュリエルさん……)


 私は彼女の気持ちを理解した。

 きっとミュリエルは怖いんだ。正気に戻ってしまうことが。だから、私の祝福を受け入れなかった。

 自分がやってしまったことと向き合うことが、恐ろしいんだね。

 私はミュリエルの背に、優しく手をあてる。


「ミュリエルさん、大丈夫だよ。ミュリエルさんは何も悪くない。それに、安心して! もし街で怪我をしている人がいたとしても、全部、私が治してあげる!」


 私は心の底から祈って――願った。


(ペタルーダ様……お願いします。力を貸してください)


 この子は苦しんでいる。私はこの子を助けてあげたい!

 だから、ペタルーダ様。


「この心優しき竜を救って……! ミュリエルさんに祝福をお与えください!」


 私の祈りに応じるように――。

 手に光が宿った。

 その光が爆発するようにあふれていく。

 次の瞬間、私の視界は真っ白に塗りつぶされた。


 ◆ ◇ ◆


 ◇ ◆


 ◆


 ◇


 気が付けば、私は真っ暗闇の中にいた。

 上も下も、右も左もわからない。

 私は空中にふわふわと浮いていた。

 これはいつもの過去視とちがう。直感的にそれがわかる。


『あなたのことはずっと見ていましたよ――エリン』


 穏やかな声が頭上からかかる。

 目の前に、人の影が現れた。

 その姿に、私は目を見張る。

 神々しく光をまとった女性。顔には目隠し。四本の腕。そして、背中から生えた煌びやかな羽――。


「太陽神ペタルーダ様……!?」

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