6 ガーレの人知れぬ献身6

 私たちは森へと向かった。

 私の胸は早鐘を打つ。嫌な予感が外れますように。


 お願い……チコ、無事でいて。


 マーゴがチコのニオイを辿ってくれた。

 そして、私たちはチコを見つけた。

 地面に倒れている……!


「チコ……!」


 そばへと駆け寄る。

 怪我は……していない。息は……まだある。

 でも、ぐったりとしている。苦しそうに浅く息をくり返していた。


「衰弱している……力を使いすぎたのかもしれない」


 クラトスが冷静に告げる。

 私はチコの横に膝をついて、必死で祈った。


「《ペタルーダ様の祝福を》……!」


 怖くて、声が震える。

 どうか間に合って……! 心の底から神様に祈った。

 光がチコの体に降り注ぐ。すると、チコの息遣いが穏やかなものに変わった。

 よかった……!

 安堵すると同時に、光景が頭の中に流れこんできた。


 ――それは、チコの記憶だった。


 ◆ ◇ ◆


 子供たちが、人間に連れていかれた。

 アタシが産んだ……3匹の子供たち。

 大事な大事な子供たち……。

 それからずっと、アタシはひとりぼっちだった。




 雨の降った次の日。

 森は湿ったニオイに満ちていた。

 2人の人間が倒れていた。

 まだ小さい。

 子供だわ。

 怪我をしている。

 アタシは初め、彼らを素通りするつもりだった。

 人間たちから距離をとって、森の中を駆けていく。


「……まま……」


 か細い声が聞こえた。

 アタシの足は止まった。

 気が付けば、子供たちに駆け寄っていた。

 初めは怖がっていたのに、アタシの姿を見るなり、子供たちは笑顔になった。




 子供たちはアタシの巣に住み着いた。

 仕方ないわね。怪我をしてるんでしょ。治るまではここにいてもいいわよ。


「ええ!? ベッドがないの?」


 ベッドならあるじゃない。

 木の葉で作ったベッド。アタシの手作りよ!


「寒いよ……」


 あんたたち、毛皮はどうしたのよ!

 そばに寄って行ったら、ぎゅっと抱きしめられた。


「あったかい」


 子供たちはふわっと笑う。

 その顔は悪くないわね。




 子供たちが名前を言った。

 長ったらしくて、覚えられないわ。

 大きい方はルー、小さい方はフィー。

 それでいいわね。


「ねえ、おにいちゃん。この子の名前、どうしよう」

「そうだな……。昔、村にいた犬がチコって名前だった。だから、チコにしよう!」

「うん! チコ! チコ!」


 ちょっと! 犬なんかと同列にするんじゃないわよ!




「やだあ、チコが変な物、もってきた~!」


 失礼ね! 食べ物に決まってるでしょう!

 せっかくトカゲを狩って来てあげたのに。

 何て贅沢な子たちなの。


「おにいちゃん……おなかすいた……」

「うん……。そうだね。フィリス……ごめん」


 あら、どうして元気がないのよ。

 お腹が空いてるなら、トカゲを食べなさい! 好き嫌いするなんてダメよ!

 やがて、子供たちはぐったりとしていく。

 どうしよう……。

 アタシは森の中を駆け回った。

 人間が食べている物。同じものなら、食べてくれる?

 おばさんがカゴを持って、森を歩いている。

 よし。あの人間から奪いましょう。


 ふふ。アタシったら人間から食べ物をくすねることもできるなんて。

 一流のハンターになれるわね。


「おいしい!」

「おいしいね」


 子供たち、笑顔。

 うんうん。存分に食べなさい。




 フィーが花をいじっている。

 馬鹿ね。それは食べ物じゃないわよ。人間って、食べられる物の区別がつかないのかしら?


「できた! チコ、おいで」


 花でできた輪っかを頭にかぶせられた。すとんと落ちて、首に引っかかる。

 フィーは同じものをルーと自分の頭に載せる。


「はい、おにいちゃんも!」

「うん。みんな一緒! おそろいだ」

「へへ、おそろいだね」


 ふうん。

 そう。

 贈り物ね。

 悪くないんじゃない?




 ルーとフィーの怪我は治って、元気になった。

 アタシのおかげね。

 2人は森を歩く。

 前から人間がやって来た。

 人間……。


【――アタシの子供たちは 人間に連れていかれた――】


 だめよ!

 ルー! フィー! 危ない!

 アタシは2人を幻術で覆った。

 すると、やって来た人間は震え上がって、


「ひぃ! ば、化け物……!」


 逃げて行った。

 ふう。

 危なかったわね。




 大丈夫。

 あなたたちは、アタシの子供よ。

 アタシがママになってあげる。

 ずっとアタシの巣で暮らしていいのよ。

 アタシ、人間の食べ物だって狩れるようになったわ。

 人間なんかに、連れて行かせたりはしない。


 ――アタシが守ってあげる。




 変な人間がやって来た。

 女と、空を飛ぶ男と、猫。

 アタシの幻術が効かない。

 どうして……。

 子供たちを連れて行かないで!

 ルーも、フィーも、アタシの子なの!




 変な人間たちは、懲りずにやって来る。

 女が私に向かって言った。


「あの子たちは人間だから、森の中では暮らせないの」


 何を言っているの?

 アタシはあの子たちのママなの。

 あの子たちには、ママが必要なの!

 ……どうして……。

 子供たちとアタシを、引き離そうとするの……?




 人間たちがやっと帰っていった。

 アタシは巣に戻る。

 すると、すすり泣く声が聞こえた。

 フィーが眠りながら泣いている。怖い夢でも見ているのかしら?


「……まま…………」


 親指を吸いながら、アタシのことを呼んだ。

 どうしたの?

 アタシはフィーのそばに寄って行った。

 フィーがアタシを抱きしめる。

 すがるように、小さな手。

 ふふ。やっぱり、ママが好きなのね。

 この子たちはアタシを必要としている。

 だから、離れることなんてできるわけがないの。


「まま……。ママに……会いたい……」


 ママなら、ここにいるわよ?

 きっと寝ぼけているのね……?


 そう思った直後、アタシはぎょっとした。

 フィーが目を開けている。

 起きちゃったみたい。

 フィーはアタシをじっと見つめている。ほら、大丈夫。ママならここにいるわよ。

 アタシはフィーの体に頭を押し付ける。

 フィーの両目はぼうっとして、アタシを映している。

 次の瞬間、その目からぽろぽろと涙が零れ出した。


「まま……ママぁ……! おにいちゃん! ママはどこにいるの? ……ママに、会いたいよ……!」


 ルーが起き出して、フィーのことを抱きしめる。


「フィリス。よく聞いて。ママはもういないんだ」


 ……ここに……。

 ……いるじゃない……。


「ママも、パパも、もういないんだ……」

「ママ……パパぁ……!」

「フィリス……」


 ねえ。アタシを見て。

 ここにいるから。

 アタシが、あなたたちのママなんだから……。

 アタシは、あの女の言葉を思い出した。


『あなたはここで、子供たちのことを守ってあげているんだよね。ルディウスくんと、フィリスちゃん……可愛くて、いい子たちだね。でも、聞いて。あの子たちは人間だから、森の中では暮らせないの』


 人間は、森の中では暮らせない。

 ルーとフィーは人間……。

 アタシは……人間じゃない……。

 そうだったのね。

 アタシは理解した。


 子供たちはアタシを「チコ」と呼ぶ。

「ママ」と呼ばれたことなんて、一度もないわ。

 アタシは……この子たちのママには、なれないのね……。

 あの女の言うことが、正しかったみたい。




 アタシは、ルーとフィーを森の外へと連れていくことにした。

 入口まで来たのに、2人はそこから先には進まない。ぐずぐずとして、アタシのことを見つめていた。


「どうしたの?」

「チコも一緒に行こうよ」


 ……そうね。

 でもね、無理なのよ。

 アタシは幻獣で、あなたたちは人間だから。

 あなたたちが森の中では暮らせないように、アタシは人間の村では暮らせない。

 だから、これでお別れよ。


 ばいばい。ルーとフィー。

 元気でやりなさいよ。

 アタシは森の奥へと向かおうとした。

 ……それなのに。


「チコ……まって……」

「いかないで、チコぉ……」


 あの子たちは私の後を追ってきた。

 ちょっと、何でついてくるのよ?


「チコ……チコ!」


 ダメって言ってるでしょ! 村に帰りなさい。


「チコ!」


 早く行きなさいってば!

 アタシは自分に幻術をかけた。

 すると、


「う、うわああ!」

「お化けだー!」


 ルーとフィーは、慌てて逃げて行った。

 ……これで、よかったのよね……。




「ルディウスとフィリスが戻ってきたぞ!」


 離れたところから村の様子を窺う。

 うんうん、無事に帰れたようね。よかったわ。

 ――そう思っていたのに。




「おい……本当に大丈夫か? あの子たちは本物なのか?」

「ちょっと、あんた、何言ってるのよ」

「あの子たちが失踪したのと、森の化け物が出るようになったのは同じくらいの時だったじゃないか。それに子供たちの話では、森に住んでたっていうんだぞ!? 森には化け物が出るのに!」

「え……それじゃあ、もしかして?」

「あの子たちが化け物?」




 何てこと……。

 2人が疑われている。

 ――アタシのせい。

 アタシがあの子たちに、幻術をかけたから……。




 あの子たちは、化け物じゃない。

 化け物ならここにいる。

 退治するなら……アタシにして。

 アタシは自分に幻術をかけ、村人に姿を見せた。


「いたぞ! あの化け物だ!」


 ルーとフィーは、とってもいい子よ。

 だから、人間の仲間にいれてあげて。


「効いてるぞ! もっと矢を撃て!」


 食べ物は、トカゲはだめよ。

 あと、あの子たちはとても寒がりだから。

 巣はあったかくしてあげてね。


「追いつめろ! ここで確実に仕留めるんだ!」


 それから……。

 それから…………。

 アタシはあの子たちのママにはなれなかったから。

 代わりのママを、見つけてあげてね。




 ――もう、走れない。


 目の前がかすんできている。

 あーあ。幻術を使いすぎたみたいね。

 体が動かなくなっちゃった……。

 こんなみっともない姿、あの子たちに見られなくてよかったわ。


 ルーとフィー。

 アタシの大事な子供たち……。

 さようなら。

 人間の村で、幸せになってね。


『できた! チコ、おいで。はい、おにいちゃんも!』

『うん。みんな一緒! おそろいだ』

『へへ、おそろいだね』


 そういえば、フィーにもらったお花の輪っか。

 巣に置いてきちゃった。


 ――アタシったら、馬鹿ね。


 ◆ ◇ ◆



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