第3章 初めての依頼

1 ガーレの人知れぬ献身1

 朝起きると、顔にもふっとしたものがあたった。

 うわ……ふわっふわ! くすぐったい!

 それは【スキュフラート】の尻尾だった。上半分は淡い水色、下が白い毛並み。耳がウサギのように長いリス。

 私の顔の横で、丸くなって寝ている。あまりに可愛いその姿に、私は内心で悶えた。


 あれから私は施設に滞在することになって、個室ももらえた。前は誰かが住んでいたのかな? ベッドやタンスが置いてあったので、使わせてもらっている。


「おはよう、スゥちゃん」


 私は起き上がって、【スキュフラート】に声をかけた。この子もここに住み着いちゃったんだよね。他の保護していた幻獣たちは、クラトスが住処に送って行ったみたいだけど。スゥちゃんだけは帰ることを拒否して、私から離れなかった。

 可愛い……へへ、名前も付けちゃったよ。


 私はベッドを下りて、姿見の前に座った。

 肩口で切りそろえられた銀髪を、丁寧にとかす。顔の横の一房を手にとって、編みこんでいった。数少ない私物である、細めのリボンで結ぶ。

 よし、完成!

 この髪型は、せめて少しでも女の子らしくしようと思って、覚えたものだ。実家では妹が「可愛い」担当で、私は「地味」担当だった。

 両親はいつも女の子らしくて可愛いミレーナばかりを構っていた。

 だから、少しでも私に目を向けてほしくて……。

 修道院生活で短くするしかなかった髪を、少しでも華やかに見せたくて。私はこの髪型をするようになった。


 結果は、意味なかったけれど。

 最後まで両親はミレーナばかりを可愛がって、私のことは褒めてくれなかった。

 鏡の中の自分が暗い顔をしていることに気付いて、私はばちんと両頬を叩いた。

 こんな顔してちゃ、だめだめ!

 へへ、と笑ってみる。

 悲しそうに眉を垂らしていたせいで、寂しげな笑顔になってしまった。

 何度か笑顔の練習をして、「合格!」のラインを出せたので、私は部屋を出る。スゥちゃんが慌てて駆け寄ってきた。「待って~!」みたいな感じで。腕を差し伸べると、肩まで登ってきた。


 ここで暮らすようになって、数日が経っていた。生活にもだいぶ慣れてきた。

 ここは大陸の中央部、クルーリ地方に位置しているらしい。

 大陸は7つの地方に分かれている。まだ魔法が存在しなかった大昔、この大陸には7つの都市国家が存在していた。

 その後、魔法が生み出されたことで、世界は変わった。魔法を編み出し、今の王家の祖先となった『エヴァ一族』が絶大な権力を持ったのだ。そして、7つの都市国家は統一されて、今のエザフォス王国となった。7つある地方はその時の名残だ。


 私は今まで、実家や王都の外に出たことがなかった。だから、別の地方にいるという状態が、何だか不思議だ。それに、ずっと聖女や神官として働きづめだったから、こんなにゆっくりと過ごすのは初めてだった。

 うーん、と背伸びして、深呼吸。森の中の空気、美味しい!

 スゥちゃんも真似するように、肩の上で両手を伸ばしていた。

 お腹空いてきたなあ。よし、マーゴのお手伝いに行こう。




 キッチンに行くと、マーゴが何かをふみふみしていた。


「おはよう! マーゴ、何してるの?」

「この感触が、たまらんのにゃ~」


 ふみふみっていうのは、たまに猫ちゃんがやる動作だ。子猫の時、お母さんのおっぱいを両手で押して、おっぱいの出がよくなるようにする。その時の名残で成猫になっても、毛布とか、ぬいぐるみとか、柔らかいものをふみふみしていることがある。

 マーゴがふみふみしていたのは、


「って、生肉!?」


 どうしてそれなの……。

 マーゴは生肉をふみふみしてから、


「ハッ、またやっちゃったのにゃん。これはマーゴのお腹に回収にゃー」


 お肉を両手で持って、かぶりついた。

 あ、そのまま食べるのね……。

 マーゴは宙に浮かんで、ふりふりと左右に揺れる。


「クラトスが『ふみふみしたお肉を料理に使うな』って言ったのにゃん」

「ふふ、それはそうだね」


 私は噴き出した。

 クラトスが「ふみふみ」って言ったのかな? それは聞いてみたかった……。


「だから、お肉はふみふみしてないお肉を使うのにゃん」


 カゴの中から新しいお肉をとり出している。


「朝食の用意だね! 私も手伝うよ」

「ありがとにゃ。エリンはお料理上手だから大助かりにゃん」

「へへ、ありがとう。マーゴのご飯もいつも美味しいよ」

「当然にゃん。マーゴのお肉は世界一にゃー」

「あー、マーゴ! そのお肉は、ふみふみしちゃダメ!」


 私たちがそんなことを言っていると。


「依頼! 依頼! 依頼だよ!」


 外から小鳥が飛んできた。

【バロープ】のシルクだ。この子は喋れないけど、台詞の真似っこがうまい。

 これは誰の台詞の真似?

 私は首を傾げたけど、マーゴは何かを悟ったようだ。

 シルクは室内をふわふわと飛びながら、


「ルルディア地方の農村から! 依頼内容! 『怪物のような幻獣に襲われて困っている!』」

「え? これって……」

「依頼! 依頼! 依頼だよ!」


 それに応えるように、窓の外。

 上からクラトスが降ってきた。窓を開けて、室内へとやって来る。

 クラトスは空中に浮かんだまま、シルクと向き合った。


「シルク、もういいよ。聞こえた」


 その言葉でシルクは口をつぐんだ。梁にとまって、ふうう……と体を膨らませている。


「ルルディア地方か。君も来る?」


 唐突にクラトスが私を向く。

 私は自分を指さしながら、首を傾げた。


「え? 私?」

「君の力は特別だ。来てくれたら助かる」


 直球で言われて、私はドキッとした。

 こんな風に誰かに必要としてもらえることなんて、初めてだ。


「うん、わかった。でも、そもそも依頼って? シルクは何のことを言ってたの?」

「ご依頼が来たのにゃん。エリンの初仕事にゃー」


 マーゴが両手を動かしながら、答えた。

 あ、この子……!

 クラトスも気付いて、マーゴの首根っこをつかむ。


「マーゴ。料理に使う肉は、ふみふみするなって言ってるだろ」


 持ち上げられたマーゴは、空中でふみふみを続けている。エアふみふみだ!

 それにしても、ふふ……。

 クラトスが「ふみふみ」って言った。

 私は必死で笑うのを堪えたけど、見つかってしまい、


「ちょっと、なに? なに笑ってるんだよ」


 クラトスには嫌そうな顔をされた。

 彼にぶら下げられたマーゴは、まだエアふみふみを続けている。

 その2人の組み合わせがツボに入って、私は笑った。




 クラトスに「展望台まで来て」と言われて、私はそこに向かっていた。

 展望台は、下からだと頂上が見えないほどに高い。

 これ全部、階段で登っていくのかなあ? 私はぞっとしながら展望台の扉を開けた。

 中はシンプルな造りになっていた。螺旋階段が外周に沿って、上へと続いている。

 すると、眼前で闇が展開する。空間転移で、ディルベル(今は人型)が現れた。


「よう。ルルディア地方まで行くみたいだな。俺が転移ゲートを開いて、送ってやる」

「ゲートって? 普通の転移とはちがうの?」

「俺が普段やっている空間転移で移動できる距離は、せいぜいこの施設内くらいなもんだ。それより長距離を移動する場合には、『ゲート』を使う。それはこの展望台の頂上にあるんだ」

「それって、何かの装置みたいなもの?」

「ああ、そうだ。俺の力を増幅させる機能がある」


 そういえば、私が王都から追放された時も、転移装置を使った。それと同じものなのかも。


「まずはここの最上階まで行くぞ。ほら、エレベーターに乗ってくれ」

「エレベーターって?」

「おいおい。クラトスはエレベーターの使い方、教えてくれなかったのか?」


 1階の中央には扉がある。ディルベルはその中へと入っていた。私もその後へと続くと、扉が閉まる。

 ディルベルが壁に設置されていたレバーを下ろした。

 その途端。ぶわっ……そんな音と振動があった。

 部屋の中が揺れてる! そして、上へと向かっている感覚。


「わ、なになに……!?」

「これで最上階まで登れる。魔導具と原理は同じだな。下から風を起こしてる」


 魔導具とは、魔法の応用で作られた便利アイテムのことだ。

 火を起こす魔導コンロ、光を灯す魔導灯というようなものがある。エザフォス王国の文明は魔導具によって、発展してきた。

 この世界に魔法と魔導具を生み出したのが、1人の大天才だというから驚きだ。

 それにしても、エレベーターか。こんな大掛かりな魔導装置が存在するとは知らなかった。これなら長い階段を登らなくても、上まで楽に行ける。


 扉が開くと、視界に空の青色が飛びこんできた。まるで空の中にいるみたいで気持ちいい。

 クラトスは宙に浮いて、待っていた。

 部屋の中央には大きなクリスタルが浮かんでいる。あれも魔導具なのかな?

 その奥に設置されているのが、転移ゲートだ。形は普通の扉。複雑な模様が描きこまれている。魔法式だ。やっぱり、教会で見た装置と似ている。


「シルクがさっき『依頼だ』って言っていたけど、あれは何のこと?」


 私が尋ねると、ディルベルはクリスタルを指さす。


「全国からの幻獣絡みの依頼が、あのクリスタルに届くのさ。幻獣が助けを求める声もあれば、人間から依頼を受ける時もある。今回のは、人間側の依頼みたいだな。『怪物のような幻獣に襲われて困っている』ってやつだ」

「何でそういう声が、あのクリスタルに届けられるの?」


 ディルベルは肩をすくめて、「さあ」と言った。

 むむ……謎なのか。


「じゃあ、さっきシルクが言っていたのは、その依頼内容ってこと?」

「ああ。シルクはあのクリスタルと同調しているらしくてな。クリスタルに届けられた依頼文を、ああやって読み上げる」

「そうなんだ。じゃあ、私たちが今日向かうのは、ルルディア地方なんだね」

「そういうこった。ゲートをつなげるぜ」


 ディルベルが掌を扉に押し当てると、光が生まれる。それが扉を駆け巡って、魔法式に光を灯していった。

 すべてが輝くと、扉はにじんでいくように闇色へと変わった。

 ――ルルディア地方への道が開かれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る